悪食(4) FF7二次創作小説
FF7エバークライシスのバハムート衣装に着想を得て書いた二次創作小説です。
第一話のリンクはこちら。
第四話
朝の光に照らされて、7階建ての研究所は厳かな雰囲気をたたえていた。芝生は朝露をたっぷり含んでいる。赤茶色の小石が敷き詰められた、建物の正面玄関に向かう小道を逸れて、僕は芝生をまっすぐに突っ切ることにした。僕のくたびれたスニーカーが草を踏むたび、緑の香りが立ち上った。
ガラス扉を開けて、入り口すぐ脇で24時間常駐の警備員に軽く頭を下げると、僕のボサボサの髪が大きく揺れた。
3階の自分のデスクにどさりと荷物を置くと、僕は早速実験室に向かった。ラボの他のメンバーの姿はまだ見えない。一番乗りだ。
細胞培養用の培地を温めるためのウォーターバスのスイッチを入れ、安全キャビネットの空調を動かした。僕がその日の実験の準備をしていると、「早いな」と後ろから声が聞こえた。振り向いた先には先輩がいた。
「おはようございます」
「うーっす」と返して片手を上げた先輩は、僕の顔をまじまじと見て表情をくしゃりと歪めた。笑いを堪えているらしい。
「お前さ、寝癖なんとかしたほうがいいぞ」
言われてかき上げた僕の髪は、確かに大きくうねり、枕の形に沿って凹んでいた。
「昨日髪を乾かさないで寝てしまったので……」
「結構綺麗な顔してんのに勿体無いな。ちゃんとしたら随分モテそうだ」
先輩の言葉に僕は無言で肩をすくめた。自分を含めた人間の容姿というものにあまり興味が持てないまま、僕はこれまで生きてきたし、これからもおそらくそうだろう。社会の中で何某かの立ち位置を得るためにファッションセンスや話術を磨くよりも、自然の中に含まれる純粋な神秘を追求することに僕は惹かれる質なのだと思う。
それを要約して伝えると、先輩は苦笑を浮かべた。「興味ない、か!お前変わってるな」と。
──と、その彼が何かを思いついたような顔で指を弾いた。
「このあと時間あるだろ?いいもの見せてやるよ」
そう言って先輩は実験室からどこかに消え、戻ってきた時には手にゲスト用IDカードをぶら下げていた。最上階までの入室権限を持つ最高レベルのやつだ。
ぐんぐんと上昇するエレベーターの中で、僕は言いようのない緊張を覚えていた。自分の鼓動がやけにはっきりと感じられ、微かに両手が震えている。エレベーターの乗り口上部には各階を示すパネルが並び、それぞれの階を通過するたびに、そのパネルが鮮やかに光った。
そしてついにエレベーターが止まる。着いた場所は7階──通称「第七天」だ。
するすると扉が開き、僕と先輩はゴム底の靴のキュッキュッという音を響かせて、他の階と同じ造りのエレベーターホールに進んだ。たくさんのスタッフが働く他の階と違い、ひどく静かだ。
先輩は立ち止まり、深呼吸を一つした。まるでここの空気が特別なものでもあるかのように。
「この階は生体のバハムートのためのものだ」と先輩が静かに言った。
「え、でも飼育は4階でやってるんじゃ」
細胞実験のソースとして僕が通常もらう、バハムートの組織サンプルは4階の飼育エリアから提供されるものだった。そこでは、繁殖個体から無性生殖で生まれた卵を孵卵器である程度の大きさまで育てていて、胎仔の発生段階に応じて実験に供する、または孵化後さらに飼育を続けて次の繁殖個体に回すことで一定の大きさのプールを維持していた。
廃棄処分になった個体の臓器や、他の実験で使われた残りを分けてもらうために、僕がたっぷりと培地を満たしたスクリューキャップ付きの容器を手にぶら下げて飼育エリアに姿を現すと、顔馴染みのスタッフが「イキのいいのが入ってるぜ」と軽口を叩くのがここ最近の習慣だった。
「ここは特別」
先輩はにやりと笑って、エレベーターホールとその先のエリアを仕切る、無骨な壁に歩み寄った。ホログラムの女神が現れ、僕たちにカードキーの提示を求めた。ホログラムの投影装置にはArabothと刻まれた金属のプレートがあった。Araboth──古い伝承で天国の7番目の階層を管理するとされる存在の名前だ。
先輩に続いて、僕もゲスト用IDカードをスキャン装置にかざし、半眼に慈悲深い笑みをたたえた女神に入室の許可をもらった。
先輩が扉についたハンドルを回すと、壁の内部でいくつもの機構が作動し、複雑な構造の錠が解放された。ごうんという鈍く重い音を立てて壁の一部が開いていく。扉の向こうには薄暗く狭い通路が続いていて、その先には小さな部屋があった。その壁に沿ってロッカーが並んでいる。
「服全部脱いでこの中入れて」
先輩がそのロッカーを指し示し、僕にそう言った。
「で、消毒したらその辺にあるガウン適当に着て待ってろ」
じゃ、と手を挙げて先輩は通路に戻って行った。
消毒──と先輩は言った。おそらく中に病原体を持ち込まないための措置なのだろうが、随分と厳重だ。僕は戸惑いはしたものの、先輩の言う通り靴と服を全て脱ぎ、ゲスト用IDカードと共にロッカーの中にそれらをしまった。
職場で素っ裸になっていると思うと落ち着かず、僕は次の部屋に急いだ。そこはシャワー室で、大人1人入ればもう満員といったコンパクトさだった。中に入りドアを閉めるなり、自動で照明が点灯し、両壁から強い風が吹きつけてきた。肌が粟立つ──と、次の瞬間天井からざあざあと消毒液が降り注いだ。その冷たい感触に僕は思わず声を漏らした。
ガチガチと歯を打ち合わせて震えながらひたすら耐えていると、ビープ音が鳴り響き、部屋のロックが解除された。いつの間にかシャワーも止まっていた。壁面に備えられた収納ボックスからごわごわしたバスローブを一枚取り、僕はそれを羽織り、きっちり腰紐を結んだ。
次の部屋は簡素ながら休憩室のようで、ベンチと無料の自動販売機があった。施設管理者の心遣いに感謝しつつ、僕は温かいコーヒーを啜りながら先輩を待つことにした。
腰にバスローブを巻きつけた格好で先輩が姿を現した時、僕はそれほど驚きはしなかった。むしろ全裸でないのを意外に思ったくらいだ。付き合いは浅いが、先輩にはそういう野生児めいたところがあった。
先輩は部屋の隅の段ボール箱に詰め込まれた衣服の山からTシャツとズボンを引っ張り出すと、僕にそれらを放り、「パンツがないのは我慢してくれ」と付け加えた。
揃いの白い衣服に着替えた僕らは、いよいよその扉を開けた。扉の先からは芳しい香りが流れ出てきた。これは花の香り──?
ドアを支えた先輩がニヤリと笑って僕を目で促す。
僕は高鳴る胸を押さえつつ、ついに秘密の園へ足を踏み入れた。
そこは小さな空中庭園だった。
色鮮やかな花が咲き乱れ、シェードが全開になったガラス張りの天井からは陽光が燦々と降り注ぐ。
「ここはバハムートの生息地をかなり忠実に再現してるんだ」と、通路に大きくせり出したツヤのある肉厚の葉を撫でながら先輩が言った。「これはコスモキャニオンの」
バハムートは人間が住めないような極限地域を好む。コスモキャニオン近くの楯状地の頂上に広がるジャングルもその一つだ。
誰が想像しただろうか。剥き出しになった太古の地層が作るほぼ垂直の崖の上に、人間と似て非なる”竜”が暮らすとは。
「棘には触るなよ。毒があるから」
先輩はそう言うと、さらに奥へと向かっていった。
僕は、葉に向かって伸ばしかけた手を引っ込めて、彼の後を追った。