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【FF7二次創作小説】 A Night at the Casino

「え、カジノ?」
胸の前で両手を合わせ、人生で何度目かの“一生のお願い”をするユフィに向かって、ティファは目をぱちくりとさせた。
新しい街に着くや否や「リサーチに行ってくる」と言い残してユフィが雑踏に消えたのが数十分前。宿の手配を済ませ、女子3人に割り当てられた部屋でティファは装備を外し、ベッドの上であちこちの筋肉を揉み解しているところだった。格闘家である彼女にとって、己の体のメンテナンスは武器の手入れのようなものだ。
ティファは手を休めずにユフィの話に耳を傾ける。
「そ! なんかすごい貴重なマテリアが景品であるらしいんだよ~~!」
最初にカジノという単語を聞いた時は少し面食らったが、ただの物見遊山が目的というわけではなさそうだ。確かに、強力なマテリアが手に入ればこれからますます厳しくなるであろう旅の助けになるかもしれない。だが、大飯食らいを多数抱えるパーティの財布を預かる身としては、1ギルも無駄にできないのも事実だ。そろそろ皆の武器も新調したいし──
顎に手を添えて考え込むティファの後ろから、「なになに、楽しそうな話!」と言いながらエアリスが抱きついてきた。ふんわりとした花の香りがティファの鼻をくすぐる。宿に備え付けの石鹸の匂いではない。エアリスが旅の間に集めている各地の化粧品のものだろう。この香りはコスタ・デル・ソルで買ったボディクリームかな、とティファは当たりをつける。
ユフィは大袈裟な手振りを交えて、ティファにした説明をエアリスにも繰り返した。
「すんっ…ごいマテリアを見つけたんだよ。ここのカジノでしか手に入らないの!」
「へえ、いくらするの?」と、いきなりシビアな点を突くエアリスもやはりスラム育ちの人間である。
「お金っていうか、カジノのコインと交換するんだ。1000ギルで1枚コインを買って、ゲームで勝って増やしてくんだよ」
簡単でしょ?と言いたげなユフィの言葉にティファは頭を抱えた。随分な高レートである。しかもいくらギルを注ぎ込んだところで確実に手に入るかどうかはわからない。肝心のマテリアの性能も不明だ。
「ユフィ……そんな出費は厳しいよ。それに──」
「いいじゃない、面白そう!」
諫めようとしたティファの言葉を遮って、エアリスが声を上げる。そのキラキラと輝く翠の瞳を見て、ティファは悟った。ああ、これは誰も止められないやつだ、と。
そうは思ったものの、ティファは一応説得を試みる。
「エアリス、あのね…うちにそんなお金は無いのよ……」
よそはよそ、うちはうち。無い袖は触れない。だが、ティファの哀しい告白にエアリスはちっちっと指を振って見せる。
「ちょうど1000ギル。ここにあるの」
どこか誇らしげに言ってエアリスは肩にかけたポーチから硬貨や紙幣を取り出すと、ベッドの上に広げて見せた。全部で1000ギル。随分と古びた硬貨も混じっていることにティファは気がついた。
「さっき道具屋さんで薬草、売れたの!」
薬草と聞いてティファは一つ思い出したことがある。この前鉱山を通った時にエアリスが懸命に白っぽい草を集めていたのを。聞けばそれは随分珍しい薬草で、乾燥させたものを煎じて飲めば頭痛や喉の痛みをピタリと抑えるという。確かにこの街に着いてすぐに道具屋に売りに行くと言っていた。でもあの薬草だけで本当に1000ギルもの売却額になったのだろうか──
怪訝に思ったティファがエアリスの顔をそっと見やると、その視線に気付いたエアリスは人差し指を唇に当ててにっこりと笑みを浮かべた。唇の動きだけでティファに伝える──へそくり、だよ。
「さっすがエアリス!」と言いながら、ベッドの上にかがみこんでジャラジャラと硬貨を数えているユフィは2人のやりとりに気がつかなかった。
「いい? ユフィ、コイン1枚だけだよ~? 一発勝負。それでダメならすっぱり諦めること」
噛んで含めるように言うエアリスの前に正座したユフィは、神妙な面持ちでこくこくと頷いている。真剣さを装っているが、心底楽しそうなエアリスを見ているうちに、ティファもまあいいかという気持ちになった。
ユフィとエアリスはティファの表情の変化を的確に読み取った。2人に期待に満ちた眼差しを向けられて、ティファは降参のポーズを取った。
ただしクラウドには黙っておこう。こういう逸脱を許す我らがリーダーではない。ナナキとヴィンセントを伴ってこの先のルートを確認しに行っているクラウドが戻ってくるのは、早くて明日の昼だ。つまり──
「決行は今夜ね」
不敵な笑みを浮かべたティファに、2人はきゃあと言って抱きついた。

ケット・シーは野暮用があると言い残してどこかに消え、バレットとシドはいつものように酒場にくり出した。
そしてティファ、エアリス、ユフィの3人は今カジノの前に立っている。ドレスコードがあるというユフィの前情報に従って、ばっちり盛装もしてきた。
「2人ともそんな服持ってたんだね」
シノビたるもの変装用にこれくらい用意してあるよ、とノースリーブのミニワンピース姿を先ほど宿で披露したユフィが意外そうに言った。ギラギラとしたネオンの明かりの下で改めて見てみると、ティファとエアリスの服装はなかなかに際どく、この辺りのいかがわしい雰囲気に妙にマッチしている。
「ドン・コルネオのお嫁ちゃんオーディション…まあ色々あってね」
「クラウドもドレス、持ってるのよ! すっごい可愛いやつ」
言葉を濁すティファとは対照的に、真っ赤なドレスを着たエアリスは楽しそうに爆弾発言を投下し、「じゃあ行こ~!」と真っ先に入り口へと向かう。
「クラウドがドレス!? ちょ、そこすごい気になるんだけど…ええ~? スルーする流れなの…?」
戸惑いながらユフィがその後を追いかける。ティファは丈の短い紫色のドレスの裾をなんとなく引っ張ると、耳に触れて三日月型のチャームの存在を確かめた。ミッドガルの6番街を仕切るコルネオのところに1人で向かった時のことが思い出される。ベッドの中でコルネオから神羅の計画を聞き出そうという危険な賭けに出た時のことを。
前を向くと、両開きのドアの前で振り返ってティファを待つエアリスとユフィのシルエットが目に入った。
あの時、ユフィがいたらきっとクラウドの代わりにお嫁ちゃんオーディションに参加してくれたんだろうな、と思いティファは目を細めた。
よし、と小さく呟き気合いを入れると、ティファは眩い店内に足を踏み入れた。

お目当のマテリアはコイン20000枚と交換できる景品ということだった。手持ちの1000ギルで交換できた、たった1枚のコイン──1番価値が低い小さなコインだ──を握りしめて3人はカジノの中を彷徨った。どのゲームで勝負するかを慎重に見定めようと思ったのだ。だが、実際にはコイン1枚で稼げそうなゲームは皆無だった。
しょんぼりと項垂れるユフィを宥めてカジノの隅にあるバーカウンターまで来たはいいが、飲み物を頼もうにも金がない。どうしたものかとティファとエアリスが顔を見合わせた時、声をかけてきた者があった。軽薄そうな顔にニヤニヤとした笑みを浮かべた瘦せぎすな男である。
「お姉さんたち、どうしたの? 奢ってあげよっか」
細身のスーツの胸元から極彩色のシャツを覗かせた男は、さりげなく3人の足の爪先から頭の天辺まで眺めやった。その品定めするような目つきに苛立ちを覚え、ティファは眉をひそめた。
「3人ともレベル高いけど、紫のお姉さん、俺の好みど真ん中なんだよねー!」
先程店内を回っていた時から感じていた、しつこい視線の主はこいつか。こういう手合いにはうんざりだ──
男の言葉にティファが顔を曇らせたのを見て、エアリスとユフィが庇うように前に進み出た。口を開きかけたエアリスを手で制し、ユフィが男に訊ねる。
「あのさ、お酒はいいから…コインを賭けてあたしと勝負してくんない?」
あれでさ、と付け加えながらユフィがあるものを指し示した。ユフィの指の先にあったのはダーツボード──男が最も得意とするゲームだ。男はすっと目を細め、薄く笑いを浮かべる。
「こいつは予想外……だが、いいぜ。ルールはどうする?」
「やったことないからそっちに任せる」
手をひらひらと振って事もなげにユフィが言う。
──はっ、初心者かよ。内心ほくそ笑みながら、到来した好機を逃すまいと男はユフィに告げる。
「ならカウントアップで勝負だ。1ラウンドに3本ずつ投げて8ラウンドでの合計得点を競う…要はたくさん点を取ればいいだけだ。わかりやすいだろ?」
「あ、いいね。そういうシンプルなやつ」
にっとユフィは笑みを浮かべた。
「1ゲーム奢ってやる。ただし──」軽薄な仮面の下から残忍な本性を覗かせて男は言った。「負けた方は、勝った方の獲得点数分のコインを支払う…コインが無けりゃ別のもので払ってもらおう。そういう取り決めでいいな?」
男の言葉に、いつの間にか集まっていた野次馬たちがどよめいた。親切そうな老人が、「嬢ちゃんら、悪いこと言わないからやめておいた方が…」と声を上げた。
「それでいいよ」
老人の心配をよそにあっけらかんと言い放ったユフィに男は鼻白んだ。大層な自信である。それともただの馬鹿なのか。ダーツの世界で男の名前を知らない人間はいない。そんな自分に無謀な勝負を挑んだことを後悔させてやろう。身包み剥いで総取りだ。コインの代わりに…そう、あの女に一晩付き合ってもらうのも悪くない。男は再びティファに一瞥をくれた。
男の下卑た思考を読んだかのようにユフィは続けた。
「大丈夫だって。鼻の下伸ばしてるようなやつにこのあたしが負ける訳ないからさ」

エアリスとティファはじっとことの成り行きを見守っていた。おかしなことになってしまったが、正直なところ不安な気持ちは一切なかった。ユフィが大丈夫というなら大丈夫なのだ。
「ユフィ、やっちゃえー!」
エアリスが陽気にけしかけた。

ざっとティファにダーツのルールをレクチャーしてもらったユフィはふんふんと頷き、「大体わかった」と言った。
それを離れたところから見ていた男は、本当の本当にど素人なのかよと面食らった。演技──ではなさそうだ。ダーツボードの各エリアの得点やダーツ自体の説明を受けている様子からすると、短髪のガキはダーツを見るのも初めてという印象を受けた。だが、妙に落ち着いているのが気になった。残りの女2人もだ。
「先攻、譲ってやるよ」と男が声をかける。様子を見るためだ。
「そんじゃ遠慮なく」と答えてユフィはポジションに立った。スローラインにほんの少し左足をかけ、綺麗なミドルスタンスを取るとやや腰を落とし、妙なやり方でダーツを構えた。顔の前で的に向かって持つのではなく、胸元にダーツを引き寄せている。そう、まるで噂に聞くウータイの忍者ニンジャのように──
男があれこれ考えていたその時、目にも止まらぬ速さでユフィの腕が一閃、いや正確には三閃した。その場にいた人間の中で、その動きを目で捉えることができたのはティファだけだったが。
軽い音が三つ立て続けに響き、観衆から大きな歓声が上がる。ユフィの一挙手一投足に目を凝らしていたため、男はダーツの行方を把握するのが一瞬遅れた。何が起こったのか全くわからないまま、ぎこちなく首を巡らせ、男はボードに目をやった。直径34cm足らずのダーツボードのさらに小さな領域──20のトリプルリングに3本のダーツが刺さっていた。

そこからはユフィの独壇場だった。ラウンドごとに20のトリプルを狙い続け、終わってみれば1305点という異次元の成績だった。対戦相手の男は1000点を辛うじて超えたところだったが、それでも十分立派なものだった。
本当に実力のある人だったんだわ、とティファはほんの少し男を見直した。
「いやあ、完敗だよ。あんた大した腕だな」
ユフィを讃えて力なく笑う男はどこか晴れやかな表情をしていた。約束通り点数分のコインを支払うと言うので、3人は男と連れ立って交換所に赴いた。
男は慣れた様子でカウンターにしなだれ掛かり、「こっちのレディたちに1305枚分、俺のから移しといて」と言った。
承知しました、と答えて手続きを進めるスタッフの手元を男はじっと見つめていた。100枚分の大きなコイン13枚、そして端数分の5枚の小さなコインがユフィの前に積み上げられた。枚数の確認が済むと、コインの山を目の前にして、「この調子なら20000枚も夢じゃない」と、きゃあきゃあ盛り上がるティファたちに、「あんたら、あんまやり過ぎないように気をつけなよ」と言い残して男は去っていった。

「よーし盛り上がってきたね! 次何やる!?」
当初の目的を完全に忘れているらしいユフィが鼻息荒く訊ねると、エアリスが素早く手を挙げ、向こうの方を指差した。
「はいはーい! 私、あれやってみたい!」
「いいね、行こ行こ!」
遠ざかっていく2人の声を意識しながらも、男の後ろ姿からなんとなく目が離せず、ティファはしばらくその場に佇んでいた。
「おーい、ティファー!」
少し離れた位置から、早く早くと手を振るユフィに向かって頷き、ティファはためらいながらも2人の元へ急いだ。去り際の男の言葉はどういう意味だったのだろう。どこか忠告めいた言葉だった。
なんだか嫌な予感がするけど──きっと気のせいよね。そう結論づけてティファは足早に友人たちの後を追った。

そのティファの後ろ姿を密かに観察する者がいた。ティファたちがカウンターから去った後、カジノの支配人に連絡が入った。見慣れない3人組の客がいる、と。

ユフィが手を振っていた辺りに来たはいいものの、ティファは2人の姿を見失ってしまった。キョロキョロと周りを見てみると、ずらりと並んだスロットマシンが目に入った。派手な演出がウリの最新機種に群がり、出目に一喜一憂する客たちも。
どこか懐かしい色合いが視界の端をよぎったような気がして視線を巡らせると、一台のスロットマシンがあった。隅の方にひっそりと置かれた、その木製の古い機体を目にして、ティファはミッドガルの7番街スラムにあったセブンスヘブンの店の中の様子を思い出していた。ピンボールやスロットマシン、ジュークボックスにダーツボード。ビッグスやウェッジを始めとする、店に出入りする連中がどこからか拾ってきては持ち込んだものだ。時代遅れな上にまともに動かないそれらをジェシーが片っ端から修理していたっけ。
自分も随分遊んだものだと懐かしく思いながら、ティファはスロット台を一通りチェックしてみたが、2人の姿はどこにもなかった。小さく息を吐いた時、わっという歓声とマシンががなり立てるファンファーレの機械音がすぐそばから聞こえてびくりとした。液晶のディスプレイ上で横に4つ並んだ“BAR”の文字──配当は100倍だ。ジャラジャラと景気のいい音を立てて大量のコインがマシンから吐き出される。
スロットマシンは当たりがでかいが、一度のゲームで必要なコインの枚数も多い。しかもほとんどの機種では、コインを入れてレバーを倒した時には出目が決まっているのだ。
店に儲けが出るようにと、ジェシーに機械の設定をいじるよう唆すビッグスの悪い笑みが脳裏に蘇った。ビッグスとしては半分以上冗談のつもりだったと思うが、ジェシーに真顔で何か言われて平謝りしていた記憶がある。あの時ジェシーは何て言ったのだったろうか。
ほんの少し名残惜しそうにもう一度スロットマシンを見やると、ティファはくるりと踵を返した。

店内をさらにうろついているうちに、ティファは落ち着いた雰囲気の漂うエリアにやってきた。それは客たちの纏う空気のせいか、はたまたこの場を支配しているディーラーのせいか。どうやらこの辺りはテーブルゲームが集められているようだ。
あるテーブル近くの、ちょっとした人だかりの中にエアリスとユフィの姿を認め、ティファは周りの客に小声で謝りながら2人の元へ向かった。
ティファがエアリスとユフィに合流した時、ちょうどゲームが始まったところだった。2人の視線の先で、カラカラと音を立てて白いボールが黒と赤のウィールの中を回っている。ゲームの参加者が固唾を飲んで見守る中、盤はゆっくりとその回転を止めた。ボールの止まった先を確認した客たちから大きな落胆のため息がもれた。勝ち続けていたプレイヤーが最後の最後で外してしまったらしい。慇懃な態度を崩さぬままディーラーがT字型のレーキを優雅に動かし、フェルト張りのテーブル上に置かれたチップの山を回収した。

エアリスが選んだのはルーレットだった。
「玉が赤と黒、どっちに止まるか当てればいいんでしょ? 私、こういうの得意!」
無邪気に言って、前の客がはけたテーブルのど真ん中の席にエアリスは陣取った。心持ち前のめりなその姿勢を見て、こういうところが本当に可愛いなとティファは密かに思った。そのエアリスは、目を輝かせてテーブルの上の細々としたアイテムを見回したかと思うと、にこにこしながらティファの方に顔を向けた。どうやら細かいルールは知らないらしい。そんなところも彼女らしいなと思いながら、ティファはそっと身をかがめてエアリスの耳元に口を寄せた。
「えっと……エアリス、まずはコインをルーレット用のチップに換えるの。ここのカジノは10枚単位だね」ティファはエアリスに小声で話しかけ、テーブルの上に積み上げられたカラーチップを指し示す。「ディーラーにコイン何枚分換えてって言えばいいから」
ティファの説明にエアリスはふんふんと頷くと、「ディーラーさん、コイン1300枚、換えてください!」と威勢よく言いながら目の前にコインを置いた。端数の5枚を除いた全財産だ。
「マジ? 攻めるねえ…」
ひゅうと口笛を吹いてユフィが呟いた。その横でティファも苦笑を浮かべている。
「あっ、ごめん…つい」
しまったという顔でエアリスが2人の方に目をやると、ユフィはにししと笑って首を振り、「やったれ、エアリス!」と親指を立て、ティファも力強く頷いて見せた。
ディーラーはちらりとエアリスの顔に視線を走らせたが、何食わぬ顔でコイン1300枚分の緑のカラーチップをその前に積み上げた。

賭けてくださいプレイスユアベット
よく響く艶のある声でディーラーがゲームの開始を告げた。続いて、テーブルに着いた客たちの顔を見渡し、「スピニングアップ」という掛け声と共に回転する盤に白いボールを投げ入れた。盤の縁に沿って白いボールは速度を増していく。ゲームの参加者たちから、「黒の3に20枚!」「奇数に40枚」などと声が上がり、テーブルの上に色とりどりのチップが積まれていく。
エアリスは一瞬宙に視線を彷徨わせると、笑みを浮かべて小さく頷いた。
「赤に、1300枚ぜーんぶ!」
そのあまりの思い切りの良さに、一緒にテーブルに着いた参加者たちはぎょっとして声の主へ目を向けた。ティファとユフィもである。
そこにディーラーの声が響いた。
賭けは終了ですノーモアベット
盤の回転が緩やかになり、勢いを減じたボールがポケットとポケットの間の仕切りに引っ掛かってさらにスピードを落とす。ボールが止まったのは、赤の16。
やった、とエアリスは小さく両手でガッツポーズをした。配当は2倍。手持ちはコインにして2600枚に倍増した。

「赤に全部!」「黒に全部」
エアリスが小気味よく宣言するたびにチップが倍々に増えて行った。いつの間にか他の客は勝負を降り、ギャラリーに転じていた。ルーレットのテーブルで何かが起こっていることを察して見物人もちらほらと集まってきている。
あと一回当てればコイン20000枚分を超える──
「神様、ダチャオ様、エアリス様~~!」
ティファの横でユフィが、エアリスから預かった残りのコイン5枚を両の手で握りしめ、必死の形相で祈りを捧げている。
その視線の先では、ここまで赤か黒か、瞬時にベットしてきたエアリスが初めてその判断に迷っているようだった。
ティファがふとディーラーに目をやると、テーブルの下にすっと手を差し入れたのが見えた。その不自然な動きにティファの胸がざわりとした。
もしや、と思った時には遅かった。エアリスが手持ちのチップ全てを赤に賭けたその瞬間、盤の中を転がるボールの軌道がほんの少し変化した。
賭けは終了ですノーモアベット」と宣言するディーラーの口元に薄い笑みが浮かんだ気がした。ティファは腹の中に氷の塊を押し込まれたような気分になった。
ボールの行方を見守るエアリスが不安そうな表情を浮かべているのに気づき、ティファはきゅっと唇を噛んだ。

ボールが止まったのは──0のポケット。盤の中で唯一赤でも黒でもない場所だ。
「……ユフィ、ごめん…」
胸が痛くなるような沈黙の末に、エアリスはその一言をポツリともらした。何か言わねばと、百面相を浮かべて口を開いては閉じることを繰り返した挙げ句、ユフィは困ったような顔でティファを見た。そのユフィに向かってティファは小さく頷くと、椅子に座ったまま縮こまるエアリスの横にしゃがみこんだ。俯くその顔を覗き込むと、翡翠の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「……気にしないで。大丈夫だよ」
エアリスの肩にそっと手を置き、ティファはずいと前に出ると、身を乗り出してルーレット盤のポケットの間の仕切りを仔細に眺めた。恐らく、盤に何か仕掛けが施されている──確証はないが。
エアリスが賭けた緑のチップを全て回収しようとレーキを手にこちらを向いたディーラーを、ティファは静かに睨みつけた。
「…イカサマ、よね。汚いんじゃないの?」
怒気を纏ったその姿は、思わず息を飲むような迫力に満ちていた。普段の温厚な姿からは想像もつかないティファの様子にユフィは目を見開いた。そしてイカサマという言葉にも。はったりではないだろう。ティファはそういうタイプではない。だとすると、その指摘は恐らく正しいのだ。全く気がつかなかった自分の迂闊さに、ユフィは密かにほぞを噛んだ。

しかし、慇懃な笑みを浮かべてディーラーは緩く首を振り、ティファの言葉を否定した。
ティファは臆することなく小さく首を傾げてその眼を真っ直ぐに見つめると、きっぱりと言った。
「賭けを締め切ったあとでボールの軌道が変わったわ」
その言葉に客たちがざわついた。エアリスの前にルーレットに参加していた者たちが、自分たちの時にも不正があったに違いないと興奮気味に囁き交わした。それを耳にして、ディーラーは面倒なことになった、と内心舌打ちした。
そこにティファが追い討ちをかける。テーブルに右手をついて詰め寄ると、その分ディーラーは後ずさった。
「ルーレット盤を調べさせて」
ディーラーは答えない。ティファとディーラーの間に見えない火花が飛び、ユフィとエアリスを含めて、いまや全員が事の成り行きを見守っていた。
それにしても、ティファは運営側がズルをする可能性を最初から想定していたということなのだろうか。そうでなければ些細な違和感に人は気づけないものだ。ユフィは、ティファからそういう発想が出てきたことを頭の片隅で意外に思った。

一触即発の空気の中、こつりと床を叩く硬い音がした。
「お客様。当カジノは公正なルールに基づき皆様に楽しんでいただいております。今仰られたようなことは決してございません」
「支配人…!」と、ディーラーが慌てたように声の主に向かって呟いた。その視線を追ってティファが振り向くと、そこにいたのはでっぷりと太った小男だった。ごてごてと指輪で飾り立てた短い指で、これまた装飾過多なステッキの持ち手を握っている。
──親玉の登場って訳ね。ティファはすっと目を細めた。

「本当に結果が操作されていなかったのか、ルーレットを調べさせて頂戴」
今度は支配人に向かってティファは訴えたが、にべもなく断られた。
「それはできませんな。カジノの備品には一切お手を触れませんよう」
支配人のその言葉に、不満そうな呟きがあちこちから上がる──やはり不正があったと見るべきでは…いや、まさか…やましいところがないのなら調べさせてやればはっきりするものを…

にこやかな笑みを浮かべたまま、支配人は腹の中で計算を続ける。今すぐ摘み出すのは簡単だが、エアリスたちに同情的な空気が漂っているこの状況でそんなことをすれば、他の客からクレームが殺到するだろう、と。
──どうせ流れの客だ。ここは穏便に出て行ってもらいたい。自分たちから。
「残念ですが、結果は結果。ご納得いただくか、お帰りいただくか──好きな方をお選びください。そうだ。別のゲームに参加されてはいかがです?…もちろんコインが必要ですがね」
ティファたちが手持ちのコインをほとんど失ったことはすでに確認済みだ。テーブルゲームのディーラーたちにはこいつらを勝たせないよう通達してあるし、ダーツコーナーも今晩は仕舞いにさせた。残るはせいぜいスロットだけだが、数枚で儲けが出る設定にはしていない。ものの5分で一文無しになること間違いなしだ。
ここは俺の帝国だ。こんな小娘どもにでかいツラをさせる訳にはいかない。
──さあ、どうする?

「…ゲームを続けさせてもらうわ」と言いながら、ティファはユフィに向かって手を突き出した。「残ったコインを頂戴──次は私が勝負する」
支配人の顔を真っ向から見据えながら、ティファは力強く言い放った。
ユフィはこくこくと頷き、残りの5枚のコインをティファに渡した。

「それはよかった! どうぞごゆっくりお楽しみください」
支配人はそう言うと、ティファたちに背を向け歩き出した。十分に離れたところで、指をちょいちょいと動かし手近な者を呼ぶと、「あいつらを見張っとけ。何かあれば報告しろ」と耳打ちした。

ティファはエアリスとユフィを連れて、スロットマシンのエリアに戻ってきた。面白がって着いてこようとした他の客たちは、カジノの黒服連中にジロリと睨まれるとその気がなくなったようで、いつの間にかいなくなっていた。あちらこちらから視線は感じるが、とりあえずは3人きりだ。
今、ティファは、古いスロットマシンの前に立っていた。改めて見てみると、やはりミッドガルの7番街スラムのバー、セブンスヘブンに置いていたのと同じ機種だ。思い出のマシンは他の何もかもと一緒にきっと今も瓦礫に埋れたままだろうと思うと、胸の奥がずきりと痛んだ。

久しぶりね、とティファは心の中で呟くと、機体をよく観察しながらあちこちに触れた。リールは5個、絵柄はチェリーやスイカなどのフルーツ、黒地に白抜きのBARの文字、そして金の縁取りで囲まれた真っ赤な7セブンだ。右側面から突き出た金属のレバーの先端には赤いゴム製のカバーがついている。そのくたびれた様子は機体のこれまでの歴史を感じさせたものの、レバーを軽く動かしてみると、引っかかりなどもなく滑らかに動くことがわかった。内部の機構まではチェックできないが、金属部分に錆もないし、きちんとメンテナンスされているのだろう。
だが、カジノに来てから、この古いスロットマシンで客が遊ぶ姿をティファは見ていない。おそらくそれは今日のことだけでは無いだろう。この機体は、ボタンを押してそれぞれのリールの回転を止めることができるのだが、タイミングが途轍もなくシビアなため客からは敬遠されがちだ。しかも運良く当たったところで、コイン1枚ずつしか賭けられないため大儲けできる旨味にも乏しい。かと言って当たりが出ても凝った映像や音で盛り上げてくれるわけでもなく、サービス精神旺盛とは言いかねた。要するに、時代遅れの代物なのだ。
でも、ちゃんと大事にされてるのね──ティファは顔もわからないカジノの整備士に好感を覚えた。多分、機械が好きで好きで堪らない…そんな人。頭の片隅でスパナを片手にポニーテールを揺らして明るく笑うジェシーの姿が蘇った。

私、あなたのことよく知ってるの。大事な友達に教えてもらったから。

 ティファ!いい?まずはリールの絵柄を全部覚えるの!ボタンを押してリールが止まるまでにかかる時間は…
 ま、待ってよ、ジェシー。そんなの出来ないし、賭け事やる時間もお金もないよ!
 なーに言ってんの。スロットくらい今日び乙女の必須技能よ!

ジェシーの言う通りだったと思い、ティファはくすりと笑った。ともすれば暗闇ばかり覗き込んでしまう私に、彼女はたくさんの別のものを見せてくれた。

──私の本気、見せてあげる。
ティファは不敵な笑みを浮かべると、宙にコインを放り投げ、掌でキャッチした。ちょうどどこかの台から鳴り響いた、スロットの当たりを告げるファンファーレに混じって、5枚のコインがチャリチャリと鳴った。

ティファはふっと息を吐くと気合を入れ、スロットマシンの前の椅子に腰を下ろした。すらりとした長い脚を組むと、何度か瞬きを繰り返して目の調子を確認する。
まずは小手調べ。コインを一枚入れ、ティファはレバーをガチャンと倒した。リールが勢いよく回り出した。
マシンの前面、5つのリールが見える窓のすぐ下にボタンが5個並んでいる。それぞれのリールの回転を止めるためのボタンだ。ボタンの近くに右手を待機させるティファの後ろから、ユフィがその手元をひょいと覗き込んだ。興味津々といった顔だ。
「ボタンを押すとリールの回転が止まるの。横3個以上同じ絵柄を揃えれば当たり」というティファの説明にユフィは「へえー!」と呟いた。ウータイの外には今までに見たことの無いものばかりで、飽きることがなかった。
「まだ押さないの?」と小首を傾げてエアリスが訊ねた。そのキラキラした瞳にはもう涙の気配はなかった。よかった、と思いながら目元を和らげてティファが答える。
「うん。今はそれぞれのリールの絵の種類と順番をチェックしてるとこ」
このグルグルとすごい速さで回っている絵のことを言っているのだろうか──信じられないという思いでエアリスが「…ユフィ、見える?」と恐る恐る訊くと、ユフィは目をすがめて「うーん、なんとか…」と答えた。
それにしても、とユフィは思う。シノビである自分も相当眼がいい自信があるが、ティファは動体視力が抜群に良い。戦闘の時も敵や味方の動きを本当によく見ている。以前ユフィがそう指摘した時、格闘の師匠にも同じことを言われたと照れていた。大体、馬鹿でかいバスターソードを振り回すクラウドの間近で近接攻撃に参加するなんて芸当は誰にでもできるものではない。
2人が感心して見つめる前で、「ま、慣れが必要ね」と言いながらティファはテンポ良く左から順に5つのボタンを押した。出た目は、チェリー、チェリー、BAR、チェリー、チェリー。
「あーん、惜しいっ!」
エアリスが小さく叫ぶと、「勝負はこれからよ」とティファは落ち着いて答えた。

しかし、続く2枚目、3枚目、4枚目も当たりが出ることはなかった。口をへの字にして見守るエアリスとユフィの目の前で、ティファはあくまでも冷静だった。
各リールの絵柄の種類と順番、リールの回転がトップスピードに乗るタイミングとそれを維持する時間、ボタンを押してからリールが止まるまでの回転量…うん、大体わかったわ。なんて癖のないマシンなんだろう。整備が行き届いている証だとティファには思えた。ほとんど客の手が付けられていないことも幸いしたかもしれない。

──ここで決める!
心の中で再び気合を入れると、ティファは集中をもう一段高めた。
ティファは投入口に最後のコインを入れた。

「し、支配人…!大変です!」
黒服のスタッフがカジノの3階にある執務室に駆け込んできた時、豪奢な調度品が溢れるその空間で支配人はとっておきのウィスキーをグラスに注いだところだった。前日の上がりを勘定しながらウィスキーをちびちやるのがこの男の楽しみなのだ。
その甘美なひと時を邪魔された怒りを込めて、憎々しげな目つきで部下を睨めつけたが、その口から「例の奴らが」という言葉を聞いて慌てて椅子から立ち上がった。
「なんだ!?」
「とにかく来てください! 我々の手には負えません!」
切羽詰まったその表情と琥珀色を湛えたグラスを交互に見る。支配人はグラスに手を伸ばしかけたが、未練を振り切ると部下を追って部屋を出た。

カジノの一角に人だかりができていた。スロットマシンが並ぶエリアだ。だが、最新の機種が並ぶ列には誰もいないようだ。支配人は訝しく思いながら眉間に皺を寄せ、とにかく人が集まっている方に足を運んだ。何か見えないかと精一杯首を伸ばすが、異様なほど盛り上がる群集の壁に阻まれて一向に事態は掴めない。
──とその時、靴が何かを踏んだような感触があった。ゆっくりと足をどけると、一枚のコインが現れた。そういえば先程からチャリチャリという音が断続的に聞こえてくる。まさか──
杖をつくコツコツという音に振り返った野次馬たちは、怒りのあまり赤紫色に染まった支配人の顔を見て無言で道を譲った。
ひらけた道の先にあったのは、オンボロのスロットマシンとコインの小山だった。そして、先ほど自分に楯突いた生意気な小娘。
「またジャックポットだ!」
「姉ちゃん、すげえな」
興奮した客たちが囃す声や口笛に混じって、マシンからコインが吐き出される音が響いた。床に溢れたコインの山がまた大きくなる。スロットを見やると、紫色のドレスを着た女の背中越しに、横に5つ並んだセブン──配当は2000倍だ──が目に入った。

「これは……どういう…!?」
わなわなと声を震わせて支配人が誰にともなく問うた。それに気づいたユフィがエアリスを小突いた。
「スロットマシンで遊んでんだよ」
見ればわかるだろ?とでも言いたげに、ユフィはこれ見よがしにため息を吐く。
「ちゃーんとコイン、持ってますから!」
エアリスも茶目っ気たっぷりに意趣返しする。
埒のあかないやりとりを続ける間にもコインがどんどん吐き出される。このままではカジノが潰されるかもしれないという焦りが、支配人の中でどんどん膨らんでいく。だが、あの台で大当たりジャックポットを連発できるはずがないという考えが少し冷静さを取り戻してくれた。
支配人は脂汗が浮かぶ顔に薄っぺらい笑顔をなんとか貼り付けて、事態の収拾を試みる。
「…申し訳ありませんが、そちらのスロットマシンは故障しているようです。おそらく整備不良かと…」
「壊れてなんかいないわ。整備も完璧よ」
喋りながらもティファの手はボタンの上をひらめき、いとも簡単に大当たりを引いて見せた。リールの窓の周りの電飾が瞬き、控えめに大当たりを祝福する。台の前面にあるポケットにコインがジャラジャラと出てくるが、そこはすでにコインでいっぱいで、入りきらない分が零れ落ち、床のコインの山がまた少し大きくなる。
──と、十数枚が吐き出された時点でコインの放出が止まった。
「…あら、コインが無くなっちゃったみたい。補充してくださるかしら?」
ようやくティファは支配人の方を振り向き、涼しい顔でそう言った。
そのいつになく冷たい声音が気にかかり、エアリスはティファの凛とした横顔を盗み見た。なんだか怒ってるみたいとエアリスは思った。しかし、きゅっと引き結んだ口元は今にも泣き出しそうなのを堪えているようにも見える。ティファは何も言わないが、時折こんな顔をしているのをエアリスは知っていた。
守ってあげたい──戦闘能力では比べるべくもないのはわかっているが、エアリスは強くそう思った。

ティファの挑発を受け、支配人の中で何かがぶちんと切れる音がした。杖を振り上げ、抑えた声で警告を発する。
「…イカサマだ…! 即刻その台から離れろ。でないと…」
支配人のその言葉にムッとした表情を浮かべたユフィは、「おい、あんたいい加減にしなよ。こっちは正々堂々やってるだろ」と間髪入れずに言い返した。エアリスも頷きながらユフィに加勢する。
「イカサマなんて、してないったら!」
しかしその言葉は全く届かず、支配人は口角泡を飛ばしながらさらに言い募る。
「…そうか! さては整備担当に金でも握らせたんだな!?」

再度支配人に相対しながら、ティファは無性に苛立ちを感じた。最初に見た時からその言動が気に触ると思ってはいたが、特に今の言葉はいただけない。胸の前で組んだ腕に力が入り、手首に付けたチャームの鎖が反対の腕に食い込んだ。
しかしなぜ自分は目の前の男にこれほど怒りを覚えるのだろう。エアリスを泣かせたから? 不正行為が許せない? それもあるが、何かもっと個人的な──
わからない。わからないが、ここで引き下がってはいけないとティファは思った。

ギャラリーがざわつき、支配人と沈黙を守るティファを交互に見た。支配人におもねるような視線を送るもの、ティファたちに同情するような顔を向けるもの…様々だった。
「いやいや、紫のレディはそんなことしてないよ。度胸と技術の賜物さ」
ひらひらと高くあげた手を振り、人だかりの中から現れたのは、ユフィとダーツ勝負をしたあの男だった。
男は、目を丸くして自分を見るユフィの横を通り過ぎざまに、その肩に手をかけて「だから言ったろ、やりすぎるなって」と小声で言った。その手を払い除けると、ユフィは男を下から睨みつける。
「あんたは…」
男の出現に気勢を削がれたのは支配人も同様のようだった。思わぬ邪魔が入ったことに一瞬苛立ちを露わにしたが、声の主を認めてその表情は当惑に変わった。せめてもの抵抗に渋面を作りはしたものの、支配人には振り上げた拳を黙って下ろすという選択肢しか残されていなかった。
カジノが提供するのは一攫千金の夢の世界だ。そこでは貧乏人が億万長者に、富豪が文無しにだってなり得た。だが、現実世界のパワーゲームにおいては決して覆らないヒエラルキーというものがある。
男は、神羅の関係者だった。それもそれなりの地位にいると風の噂で聞いたことがある。

先ほどティファたちがダーツの賭けの勝ち分のコインを目にして賑やかに交わしていた会話を思い出し、男は言った。
「マテリア──だっけ?あんたらが欲しいのは」
「う、うん」と、戸惑いながらユフィが答えると、男は小さく頷いた。
「なあ支配人、それで手打ちにしたらどうだ?」
支配人は床に積み上げられたコインの価値と景品の価値を天秤にかけ、しばし逡巡した。なぜこの男が無関係の小娘どもの肩を持つのかはわからないが、その要求を飲むしか無さそうだ。軍港ジュノンにほど近い、特に目立ったところもないこの街で神羅に睨まれては商売は立ち行かない。誰にでもわかる理屈だ。支配人は荒いため息をついた。
おい、と手近な者に声をかけると、支配人は不機嫌そうに顎をしゃくって見せた。事の成り行きに着いて行けずに茫然としているスタッフに向かって、支配人は「マテリアだ…!」と絞り出すような声で言い、杖で床をドンと突いた。スタッフは慌てて景品を保管している部屋に向かって走っていった。

そのやり取りを眺めながら、男はティファたちににやりと笑いかけた。
「……悪いね。まあこれで勘弁してやってくれや。俺たち﹅﹅﹅もここが潰れたら困る。遊ぶところがなくなるからな」
「あんた何者? ていうか、なんで助けてくれたワケ?」
憮然とした顔でユフィが訊ねた。
「単なる気まぐれだ」と答えてから、男は一瞬口をつぐみ、「……いや、ナイスゲームの礼だと思っておいてくれ」と言い添えた。
ユフィはまだ納得いかない様子だったが、「ほら、お目当てのマテリアが来たみたいだぜ」という言葉には抗えず、男が指差した方向へ目をやった。
「んん~? あれって支援マテリア、かな?」
カジノのスタッフが携える透明な箱の中に鎮座する青い球体を見つけ、エアリスが声を上げた。
あからさまに肩を落として、「支援かー…なんか地味だなあ」とユフィはぼそりとこぼした。まあまあ、とエアリスになだめられるユフィから、2人を見守るティファに目を移し、男は「あんた名前は?」と唐突に尋ねた。
え、という顔をしたティファが目をぱちぱちとさせて「ティファ…」と答えると、自分から尋ねておきながら男は「ハハ、馬鹿正直に答えちゃダメだぜ」と心底おかしそうに笑った。

なんとはなしに連れだってティファたちと男はカジノを出た。奇妙な雰囲気の中でぎこちなく別れの挨拶を交わし、男と別れて3人は宿への道を戻っていく。
去っていくその後ろ姿を眺めながら、男は心の中で呟いた。
──今日はプライベートだからな。タークスに報告はしないでおいてやるよ。
もう2度と会わないことを願って。男はティファたちと反対方向に消えて行った。

眠らない街の夜は始まったばかりだ。もうすぐ深夜だというのに、どぎついネオンで彩られた看板を掲げた飲食店やいかがわしい店はまだまだ活況のようだった。その間をすり抜けて言葉少なに道を歩く3人に、あちこちから好色なからかいの声やら口笛が飛んでくる。
ティファはそれら全てを黙殺し、全身から威圧感を放っているが、それは意識してのことなのか、無意識のうちの行動なのか。
どことなくいつもと違う様子のティファを、半歩後ろからユフィはそっと窺った。旅を始めてからユフィには気付いたことがある。明るく人当たりのいいティファがふとした時に見せる、寄る辺なさだ。薄い膜ですっぽり覆われてしまったみたいに、そういう時のティファには近寄りがたい感じがした。
エアリスはちらりと横を歩くユフィを見やり一瞬目を合わせ口の端を持ち上げると、「ティファ~!」と言いながら足を速めた。エアリスの柔らかい髪がユフィの鼻先を掠めた時、かすかな花の香りがした。
「カジノですごい、かっこよかった~! …ありがとう、ね」と言いながら、エアリスはティファに腕を絡めて屈託なく笑った。
ティファがエアリスの言葉に目元を和らげて微笑を浮かべ、ぱちんと膜は弾けた。確かに普通に接する方がいいのかもしれない、とユフィは思った。
「ちぇーっ、噂の景品が『ぜんたいか』のマテリアだったなんて期待外れもいいとこだよ」と言いながら2人に並び、頭の後ろで手を組んだ。
「でも、マスターマテリアだったよね? みんな助かると思うわ」と柔らかく微笑んでティファはフォローした。
確かに戦闘中の回復なんかはグッと楽になるだろう。それはそうなのだが、期待を裏切られたという感じは否めない。
けどいざとなったら売ってもいいしね、とユフィは心の中で舌を出した。『ぜんたいか』のマスターマテリアの売却額は確か、140万ギル。一瞬で大金持ちだ。しかしそれを考えると、1枚1000ギルのコイン20000枚と交換というのはぼったくりすぎである。やっぱり納得いかない!ユフィの思考は堂々巡りに陥った。
──それに、あそこのカジノはルーレットの結果をディーラーが操作してたってのもあったっけ。
そのことを思い出し、ユフィは面白くない気分が蘇った。ウータイの忍の次期頭領たるこの自分も修行が足りない。
「ルーレットのイカサマなんて全然気づかなかったよ。ティファ、よく気づいたね」と、唇を尖らせてユフィは言った。
「ま、長年スラムでバーやってればそれなりにね」
ティファはユフィに向かって片目をつぶって見せた。そのどこか余裕のある態度に、ユフィは実年齢以上の差を感じた。

さっきからうーんとなにやら考え込んでいたエアリスが顔を上げ、ティファに訊ねた。
「…もしかしてティファ、あのスロットマシン、やったことあった?」
「実を言うと、ね。さっきのと同じ機種がお店にあったの」
「やっぱり!」パチンと両手を打ち鳴らして、エアリスは花がほころぶように笑った。「どこかで見たなあ~、どこだったかなーって考えてたの。……そっか、あのお店にあったんだね」
「壊れて捨てられてたのを友達が拾ってきて、修理したのよ」
懐かしいな、とティファは呟いた。
ティファは、分解して全部のパーツを床に並べ、ジェシーが嬉しそうにあれこれ説明してくれたのを思い出していた。
「だったらさ、ワザと全然当たりが出ないようにも細工できたんじゃない? 楽に儲かりそう!」
にししと笑いながらユフィがそう言うと、エアリスが拳を振り上げる真似をした。
「こら、ユフィ! また悪いこと、考えて…」
「そうそう。商売は地道に真っ当にやらないとダメなんだから」
微苦笑を浮かべてユフィをたしなめたティファは、自分の口から出た言葉にびくりとし、思わず足を止めた。談笑しながらそのまま歩いていくエアリスとユフィの背中を見ながら、ぼんやりと思いを巡らせる。いつか誰かも同じことを言っていた。そうだ、ビッグスがユフィと似たようなことを言ったんだった。あの時ジェシーが──

意志の強い、きっぱりとした声音が耳に蘇る。
──あのねえビッグス。こういうのは真っ当にやらないとダメ。ズルはいつか自分に跳ね返ってくるんだから!

ジェシー、ジェシー、ジェシー。

心の底に沈めておいた箱の、重い蓋が持ち上がる。
どうして彼女を止めてあげられなかったんだろう。私がもっと役に立っていれば、アバランチのみんながテロなんて手段を取らずに済んだ…ジェシーが爆弾を作ることも冷たい鉄塔で血塗れのまま息絶えることも避けられたはずなのに。私はジェシーの歌声が大好きだった──

ズルをしながらのうのうと生きている人間もたくさんいる。例えばさっきのカジノの支配人。
なのになぜ、あいつらは生きていてみんなは死んでしまったのだろう。みんな死んでしまったのに、どうして私は…私だけ…
──罰を引き受けていない、私は、ズルい。

ティファの声が聞こえないことを訝しく思い、ポツンと佇む街灯の下でエアリスとユフィは立ち止まった。振り向いた2人は、暗がりで立ち尽くすティファを見つけた。
その濃い紅の瞳は、目の前の風景ではなく、ここじゃない場所、今じゃない時を映し出しているようだった。
エアリスはすっと手を伸ばして、強張ったティファの手を優しく握ると、自分たちの方へ引き寄せた。灯りの下で見てみれば、その華奢な体は小刻みに震えていた。
「ティファ、帰ろう」
エアリスは、俯いたままのティファの手を引きながら、宿へ帰った。暖かい沈黙の中で、ティファの心がいつか癒されますようにと願いながら。

部屋に戻ると、エアリスは「ユフィ! お風呂っ!」と指示を出した。「ほいきた!」とユフィは浴室へ急いだ。
バスタブにお湯を張ると、エアリスはそこにラベンダーの精油を垂らし、ティファを風呂場に押し込んだ。初めはぽかんとしていたティファだったが、ラベンダーの香りを嗅いでいるうちに少しずつ気持ちが落ち着いて来た。ティファはようやく自分が震えていることに気がついた。2人に心配をかけてしまったことを謝ろうかと思ったが、まずはエアリスの気遣いをありがたく受け取ることにした。温かいお湯に浸かってみると、随分気分が良くなった。
「ティファー! 湯加減どう?」
これは多分、生存確認。ティファは苦笑をもらした。
「ちょうどいいよ、ありがとう!」と努めて明るく答えると、ティファは思い切って頭のてっぺんまで湯船に沈んでみた。
それから、1人になれる時間と場所を用意してくれたことに感謝しながら、ほんの少しだけ、ティファは泣いた。

張りのある声でティファから返事が返ってきたことに安堵して、エアリスとユフィは服を着替え、それぞれのベッドに腰を下ろした。
エアリスが淹れてくれたハーブティーを一口すすると、ユフィは辛そうな表情を浮かべて浴室のドアを眺めた。
「ティファ……あんな風になることもあるんだ」
「…うん。ティファ、いっぱい、いっぱい心の中に抱え込んでるの」
エアリスは寂しそうな笑みを浮かべてぽつりと呟いた。それからふっと顔を上げると、透明な眼差しでユフィをまっすぐに見つめた。
「…ね、ユフィ。お願いがあるの。ティファのこと、守ってあげて」
「え? あたし!? できるかなあ……それにクラウドになんかネチネチ言われそう…」
ユフィはべえと舌を出した。エアリスはクスクス笑いながら、「確かにね」と言った。ティファに近づくもの全てに──老若男女種族問わずに、である──クラウドは不機嫌さを隠そうともせずに睨みをきかせるのだ。それが時にはティファを困らせていることにも頓着せずに。
「めんどくさいよね。クラウドって」
「そうそう」
2人は目を合わせてくすりと笑う。
「クラウドがティファを泣かせるようなことしたら、私、本気で怒っちゃう!」
「あたしもー!」
エアリスが立ち上がって宣言すると、ユフィも手を挙げた。陽気で奇妙な宣戦布告。エアリスとユフィはなんだかおかしくて堪らなくなってしまい、お腹がよじれるくらい笑い転げた。

そこに、「やけに楽しそうね」と言いながら、裸にバスタオルを巻いただけの格好でティファが浴室から姿を現した。自分の荷物の中から着替えを取り出すと、再び浴室へ戻っていく。その目に光が戻っているのを確認して、2人はほっと胸を撫で下ろした。
ラフな格好に着替えたティファはにこっと笑って見せた。
「気を遣わせちゃってごめんね。すっきりしたわ、ありがとう」
今はやるべきことがある。立ち止まってはいられないとティファは自分を奮い立たせた。
「風呂は命の洗濯、だからね~」
ちっちっと指を振って、エアリスが得意げに言った。昔、ザックスに教えてもらった言葉。辛い戦場でもお風呂があると少し気分がマシになる、と。
しかし、その妙にじじむさい言い方にティファは思わず噴き出した。つられてユフィも笑い出した。ムッとしたエアリスは一瞬頬を膨らませたが、気がつけば結局は一緒になって笑い声を上げていた。
小さな街で、なんてことない夜が更けていった。

「おーい、ティファいる?」
声と同時に店のドアが開く音に顔を上げれば、そこにはティファのよく知る顔がひょいと店内を覗き込んだところだった。
新興の街エッジのダイナー・セブンスヘブンで夜からの営業前に仕込み作業をしていたティファは、驚きつつも喜びの声を上げた。
「ユフィ! 久しぶりじゃない」
「たまたまこっちに顔を出す用事があってさ。そしたらもうティファの料理が食べたくなってきちゃって」
にししと昔と変わらぬ笑みを浮かべながら、ユフィはバーカウンターのスツールに腰かけた。
「何飲む?」とティファが訊ねると、ユフィは「レモネード!」と答えた。
冷蔵庫で冷やしていた自家製レモネードをグラスにたっぷり注ぎ、コースターを添えてユフィの目の前に置く。
ありがと、と答えてからユフィはごくごくと喉を鳴らしてレモネードを堪能した。

それから、「ね、これ覚えてる?」と言いながらユフィはポケットから何かを取り出し、天板の上に置いた。かたん、という硬い音にティファは皿を拭く手を止めてユフィの手元を覗き込んだ。
一枚の硬貨…ギルではない。これは──
「…もしかして、あの時のカジノのコイン?」
「そうそう。エアリスが、1番初めに買ってくれたコイン」
ダーツ勝負の時にポケットに入れたまま、出すのをすっかり忘れていたのだ。他のコインはカジノを出る時に全て置いてきたため、手元に残ったのはこの1枚だけだった。
先日、タークスと仕事で顔を合わせる機会があり、そこで偶然ユフィはあの男と再会した。聞けば、男はタークスが情報収集のために各地に置いていた下部組織のようなところに所属していたらしい。「時効だから」とにやりとしながら男が教えてくれた。
その後ユフィがウータイに戻って自室で荷物を整理していたら、旅の間に集めた色々な物に混じってあのコインが出てきたのだ。ドライな性分なため幽霊だの死後の世界だのに興味はないが、これにはさすがにエアリスの導きを感じずにはいられなかった。

「ティファがスロットで当てまくって、コインがそこら中に散らばっててさ…それ見た支配人がぶるぶる震えて怒ってたな。頬の肉が揺れてて、あたし笑っちゃいそうだったよ」
「ユフィ、そんなこと考えてたの?」とティファは言い、クスクス笑った。
セフィロスとの激しい闘いの後で訪れた平穏な日々は空白にも似て、ティファは自身を苛むばかりだった。その後、星痕症候群が世界を覆い、クラウドもまた疫病に見舞われるという苦難の時を過ごした。
それら全てを乗り越えて、ティファは今ようやく穏やかな気持ちで過去を振り返ることができるようになっていた。
支配人の見た目がどんなだったかもう思い出せないが、今となっては自分とユフィと、そしてエアリスの3人で大はしゃぎした楽しい夜だったという記憶だけが鮮やかに残っている。たった1枚のコインに凝縮されて。

しばらくの間、ティファとユフィは思い出話に花を咲かせた。ひとしきり盛り上がった後、穏やかな沈黙が訪れた。何を考えているのか、お互い手に取るようにわかっていた。
グラスについた水滴を指につけて天板に意味のない模様を描いていたユフィが顔を上げた。
「ティファ…あの旅はさ、楽しかったよ。辛いこともたくさんあったけど…それでも楽しかった」
ユフィの黒い瞳は薄い水の膜で覆われていた。ティファは、そこに何かひどく美しいものを見たような気がした。
ティファは目を伏せ、冷たいグラスに体温を奪われたユフィの手に自分の手をそっと重ねた。
「うん、わかるよ。私も…楽しかった」
繋いだ手にきゅっと力が入る。

ティファとユフィは、自分たちの中に残された温かい光を無言で分け合った。

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