悪食(7) FF7二次創作小説
FF7エバークライシスのバハムート衣装に着想を得て書いた二次創作小説です。
第一話のリンクはこちら。
第七話
僕はバハムートのことをもっと知らなくてはならない。彼らの細胞の、隅から隅まで。
早朝、僕は自分のデスクに辿り着くなり、「よし」と呟き、気合を入れた。そんな自分がおかしくて、僕は小さく笑みをこぼした。
そういえば──この時間に研究所周辺を散歩コースにしている黒毛のドーベルマンが、いつもみたいに無視するのではなく、耳を伏せながら低く唸ってきたのだった。わずかな怯えを滲ませて。僕の自信が犬にも伝わったのだろうか?そう思うとなんだか少し小気味良かった。
前向きな気持ちのおかげか、これまでのデータをもう一度よく見てみようという気になった。今までの実験がうまくいかなかったことは確かだけれど、それでも何か得るものはあるはずだ。
フォルダの階層を潜っていき、ディスプレイに表示された夥しい数の写真データの上にカーソルを滑らせた。培養細胞の様子を、撒いた直後から経時的に追って撮影したものだ。
今見ているのは一番上手く行った時のデータだ。初めほぼ球形だった細胞は、数時間後には細長い形状で、次の日には平べったい多角形の姿で培養ディッシュの底に貼り付いていてホッとしたのを覚えている。
問題はその後だった。多角形の細胞同士が互いに接着したまま、順調に領土を拡大していたかに見えていたのだが、球形の細胞がちらほらと現れ出し、まもなくほとんどの細胞がディッシュの底から剥がれて、赤から黄色に変色した培地の中を浮かんでいたのだ。
思えば細胞が剥がれ出す前日に培地の色が変わっていた。細胞が多すぎると、代謝物として放出された乳酸が培地のpHを下げ、液体培地は黄色くなる。だが、培養ディッシュの底にはまだまだスペースがあり、細胞が混み合っているとはいえない状態だった。
生着まではうまくいっていた。だが、増殖のフェーズを支えてやれなかったということだろう。何かが足りなかった。そのためにバハムートの細胞が本来持つ、爆発的な増殖力を損なってしまったのだ。
「代謝…栄養素の輸送…?」
ぶつぶつ呟きながら、僕は山と積まれた論文を引っ掻き回した。古いもの、新しいもの、なんだって参考にしてやる。
この謎はきっとバハムートの細胞増殖や組織形成のメカニズムと関係がある。これが解ければ、ティファが──バハムートたちがなぜ片方の翼しか持たないのか、どうすれば両翼備えた完全な姿になれるのかもわかるかもしれない。そう考えると、俄然やる気が出てきた。
それともう一つ──新たなモチベーションが今、僕を突き動かしている。何がなんでも成果を上げるんだ。
僕は勢いよくデスクから立ち上がると、なみなみと培地を入れた容器を引っ掴んでラボを後にした。
目指すは4階の飼育エリアだ。
エレベーターホールでは、ちょうど上へ向かうエレベーターが来ていた。これはいい。ついている。
「乗ります!…と、すみません!!」
小走りでエレベーターに駆け込んだ僕は、大慌てで頭を下げた。カゴを止めて待っていてくれたのは、教授だった。教授はちらりとこちらを見たが、何も言わずに手元の書類に視線を戻した。
──しまった。デスクから飼育エリアまでたかがワンフロアだ。階段で行けばよかった。
僕は密かにため息をついた。教授とまともに言葉を交わしたのは随分前だ。面接の時をピークに、教授の僕に対する興味は薄れていく一方だった。叱責されることはないが、アドバイスをもらうこともない。
毎週レポートは出している。だけど3週間前のレポートとどこが違うかを教授が気づいているとは思えなかった。気づいいたところで何も言わないだろう。
ここの研究所はかなり特殊だ。
この星のインフラを牛耳る巨大企業である神羅カンパニーの一部ということもあり、研究資金は潤沢だ。際限がないと言ってもいい。もちろん無駄な浪費は許されないが、合理的な理由があれば大抵の購入申請は通してもらえる。
他のあらゆる研究施設が資金のやりくりにヒイヒイ言っている状況とは真逆である。僕が前にいたところでは、使い捨てのプラスチックチューブを3度までは洗って再利用するよう言われていたくらいだ。それに冬でも夕方5時をすぎると暖房が止まった。
もっと大きな研究がしたい、そんな決意を胸に一念発起してこの神羅研究所のポジションに応募した。運良く拾ってもらえはしたものの、入ってみれば戸惑うことの方が多かった。
研究員の人数は多いのに、チームプレイはほとんどなく、それぞれの研究員がそれぞれの能力と熱意に応じて好き勝手にプロジェクトを進めている。僕のように研究の初期段階でもがいている者、先輩のようにどんどん成果を出す者。そして、その両者の間にはクビを切られないだけの最低限の仕事をするだけで、のらりくらりと日々をやり過ごす者もいる。
研究所の外から見えていた華々しい成果は、少数のスタンドプレイヤーのあげたものがほとんどで、”勝手に育つ才能”がないものは埋もれて腐っていくか、ひっそりと出ていくかだ。
ここでは個人の能力が全ての基準だった。
研究者として頭角を表せば「ソルジャー」と呼ばれ、パッとしないものには「一般兵」の蔑称がつく。いや、能力の差が及ぶのは呼び名だけではない。一般兵でも食うには困らないだけの給与が保証されているが、ソルジャーにはいくつかの特権があった。
第七天へのアクセス権──それがその一つだ。
昨日研究所を出た後、先輩は深夜営業のダイナーでハンバーガーを奢ってくれた。その時に僕はソルジャーの特権について知ったのだ。
音を消したテレビに釘付けのやる気のない店員と僕らしかいない店の中で、古いカントリーソングがかかっていた。
「今日は悪かったな。軽率だった」
向かいの席に座る先輩は僕の目をまっすぐに見てそう言うと、深く頭を下げた。
確かに”第七天ツアー”はもう少しで重大インシデントになるところだったが、先輩には感謝しこそすれ、謝ってもらう必要なんてまるでなかった。
僕は慌てて首を振った。
「いえ、怪我もなかったし。謝らないでください。それに……」
先輩のおかげで僕はティファに会うことができた。彼女はまさに秘密の花園に君臨する夜の女王だった。あの深紅の瞳をもう一度間近で覗き込めたら……
「……それに、すごく貴重な体験でした」
僕が小さく笑みを浮かべると、「そうか」と先輩はほっとした顔で呟いた。
テレビの画面の中では、白いボールが行ったり来たりしていた。ボールをぼんやりと目で追いながら、僕たちは脂の冷えかけたバーガーとポテトをもそもそと齧った。
ややあって先輩がポツリと言った。
「バハムートのこと、嫌いにならなかったか…?」
「まさか!また会いたいくらいです」
「よかった」
僕の言葉に、先輩は心底嬉しそうな顔をした。そして温いビールを一口すすると、邪気のない笑みを浮かべた。
「ソルジャーになれよ。そしたらいつでも会いに行けるぜ」
先輩のその言葉は楔のように僕の胸に突き刺さった。
ハッと顔を上げた僕を見て、先輩は「お。これは興味ある、だろ?」と言って快活に笑った。
先輩は続けて、「成果をあげて教授に認められればいい」と簡単に言ってのけた。僕はあの人のこういうところを心苦く思う。それと同時に自分の卑屈さに嫌気がさす。
ソルジャー──最初は憧れていた。だけど最近では、ソルジャーに選ばれるだなんて分不相応な望みからは目を逸らして過ごすのがベターな選択だと思うようになっていた。先輩と一緒に笑っているフリをする僕の口元に浮かんでいたのは、多分苦い笑みだ。
だけど、昨日の夢──夢の中で、ティファは僕に言った。「こっちにおいで」と。
その言葉は火種だった。放たれた火は、僕の中に巣食う、己の限界を突きつけられることへの恐怖も、他人に無能を見透かされたくないが故の怠惰も、同じ日々の繰り返しに埋没したいという惰性も、何かもを焼き尽くした。最後に残ったのは剥き出しの欲望だった。
完璧な彼女が欲しい。
ソルジャー…ソルジャーになれば、堂々とティファに会いに行ける。
しがない一般兵でしかない僕にはまだその資格は、ない──
僕はそっと目線を上げ、教授の後ろ姿を観察した。ソルジャーになるもならないも、全てこの人次第なのだ。
話しかける絶好のチャンスだとは思うが、昇進のためのアピールしようにも今は材料が足りない。僕は息を潜めてエレベーターが止まるのを待った。
目的の4階はすでに通り過ぎ、箱の中には沈黙が落ちていた。エレベーターの操作パネルが告げている。次に止まるのは6階である、と。教授はおそらく会議室に向かっているのだろう。
ゆっくりと上昇するエレベーターの中の空気は重い。僕が足を踏み替えた時、両手に下げた容器の中で、液体培地の跳ねるチャプンという音がやけに大きく聞こえた。
まるでその音を合図にしたかのように、教授はぴくりと肩を動かすと、僕の方へ向き直った。彼のトレードマークの白衣の裾が翻る。
こうして相対して見ると、脂の浮き出た長髪をひっつめにして、個性的な丸眼鏡をかけた教授はやはり偏屈の権化という印象だった。教授は、足の先から頭のてっぺん、逆立った髪の毛の先端まで僕の体をじろじろと眺め回すと、口元を片側だけ歪めて小さく頷いた。その唇を色の悪い舌でぺろりと舐め、教授は口を開いた。
「最近頑張っているようじゃないか」
「えっ」
教授からの思いがけない言葉に、僕は目を瞬かせた。辛辣な言葉でもかけられるのかと身構えていた肩から力が抜ける。
教授は指で手に持った書類の束をトントンと叩いた。
僕のレポートを読み返してでもいたのだろうか?そう思うと、顔がかあっと熱くなるのを感じた。培地の入ったタンクの取手を握る手に力がこもる。これはまたとないチャンスかもしれない。僕は思い切って口を開いた。
「あ、あの!実は今新しい実験を始めようと──」
だが、教授は鬱陶しそうに片手を振って僕の言葉を遮った。
「いやいい。好きにやりたまえ。色々見させてもらっているよ。君のおかげで思いがけない成果が得られるかもしれない」
教授は手元の書類をじっと見ながら忍び笑いを漏らすと再び口元を歪めた。その時、エレベーターの扉が開いた。いつの間にか6階についていたのだ。
「期待しているよ」
そう言って教授は去っていった。
期待している──教授は僕に期待している…!
一気に目の前が明るくなったような気がした。
僕は必ずソルジャーになる。
そしてティファに会いにいくんだ。彼女に相応しい資格を手にして。