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【FF7二次創作】 花束とワンダーランド


ホテルのふかふかのソファに腰をかけ、エアリスは難しい顔をしていた。いつもは綺麗なカーブを描いている眉はきゅっと寄せられ、好奇心に導かれて忙しなく動き回る視線はひたと一点に注がれている。
彼女の目の前には一枚の紙があった。その紙には、やや癖のある字で数行の言葉が書かれ、そして消された跡があった。

結構自信があったのだ。うまくやれると思っていた。なのに──

「歌詞なんか作れるんですかあ?」という先ほどケット・シーにかけられた言葉を思い出し、エアリスは珍しく深いため息をついた。


クラウドたちが魅惑の遊園地ゴールドソーサーにやってきたのは遊興のためではなかった。これから向かう古代種の神殿をひらく鍵であるキーストーンまたはその所在地の情報を得るのが目的だった。そのためにキーストーンと関わりが深いとされる人物──園長ディオに会わなくてはならない。
北コレルで乗り込んだゴールドソーサー行きのゴンドラの中で、ティファとクラウドは一番後ろの座席に並んで腰掛けていた。華やかな電飾がチカチカと車内を照らし、沈んだ表情の2人が時折小さな声で言葉を交わしているのがエアリスの目に入った。神羅によって二度めちゃくちゃにされた彼らの故郷ニブルヘイムの話だろう。
2人の周りには硬い殻があるようだった。彼らの間で生じる空気の震えはその殻の中で完結してしまっていた。
仲間たちは自然、彼らからは距離をとって各々物思いに耽っていた。

薄暗いゴンドラ乗り場から外へ出ると、あまりの眩しさに一行は思わず目を細めた。凝った形の電灯が野放図に立ち並び、通路に埋め込まれたライトが赤に紫に色を変えて足元を照らしている。ライトアップされた噴水の水飛沫が光の粒を撒き散らし、サーチライトが空に幾本もの光の帯を投げかけていた。クラウドたちの武具の立てるかちゃかちゃという音に混じって、どこからともなく楽しげな音楽が聞こえてくる。

覚悟と使命感と、セフィロスの企みに対する対抗手段を手に入れられるに違いないという期待。
それらの感情はゴールドソーサーの浮かれた空気の中で混じり合い、不可思議な化学反応を経てふわふわとした高揚感を一行にもたらした。

チョコボの着ぐるみを着たダンサーが陽気なステップを踏みながらクラウドたちに近づいてきた。先頭のユフィが歓声を上げてチョコボの翼とハイタッチを交わす。
「あんまりはしゃぐな」
「別にいいじゃん、これくらい」
若干の苛立ちが滲むクラウドの言葉に、ユフィは口を尖らせて文句を返した。短い旅の間にすっかりお約束のようになったその光景を目にして、エアリスとティファはアイコンタクトを交わしてくすりと笑った。ティファの控えめな微笑はエアリスをほっとさせた。

その時、色とりどりの風船が一斉に空に舞い上がった。それに合わせたかのようにもっと高い空で7色の花火が炸裂する。
エアリスとティファの後ろを歩くバレットが小さく舌打ちしたのが聞こえた。
「くだらねえことに魔晄をじゃぶじゃぶ使いやがって…」
苦い顔で呟くバレットの足にナナキがその体を寄せた。

ニブルヘイム、そして北コレル。
先ごろ一行が滞在し、そして通り過ぎてきたくすんだ色合いの寂れた村の光景がエアリスの頭をよぎった。ここゴールドソーサーとのあまりの落差にエアリスは眩暈がする思いだった。

楽しいことが見つかるといい、みんなみんな──エアリスはそう思った。


手分けして園内を探し回った挙句、クラウドとエアリスはバトルスクエアの闘技場内で探し人を見つけることができた。結局、ゴールドソーサーの園長ディオがキーストーンの現在の所有者だった。筋骨隆々とした分厚い肉体を惜しげもなく晒す彼は珍しく弱気になっているようだった。明日開催されるドン・コルネオとの一戦がその原因だと彼は事情を語った。そのバトル──この遊園地の命名権をかけての真剣勝負に勝利することを条件に、ディオはキーストーンの譲渡を約束してくれた。最後のセトラの民である、エアリスに返還するという形をとって。

闘技場でクラウドと別れたエアリスは、ぶらぶらと歩きながらホテルに戻る道を探していた。今日は早めに休んだ方が良さそうだが、こんなに楽しげな場所を素通りできるはずもない。
バトルスクエアからの通路を抜け、階段を降りた先の広場は大勢の人間でごった返していた。チョコボやサボテンダーを象った風船をキャストから受け取って走り回る子ども。パンパンに膨らんだ鞄を抱えて満足げな顔で帰路に着く若者たち。歩き疲れてベンチにへたり込む人、その横でふくらはぎをさすっている人。
あちこちの屋台では売り子が声を張り上げて、綿菓子やアイスクリームの宣伝をしていた。

エアリスがきょろきょろとしながら歩いていると、人混みの間をローラースケートに乗ったキャストがすり抜けていった。ぴたりとした衣装を纏ったそのキャストは、「今日のビッグイベントだよ!」と高らかに叫びながら手に持った紙の束を宙に放り投げた。
金や銀の紙吹雪と一緒に、あたりに手のひらサイズの紙が舞った。
エアリスは足元に落ちた一枚を手に取った。真紅の縁取りのあるその紙の中央には、洒落た字体で”歌詞コンテスト”と書かれていた。

──あなたの、あなただけの思いを歌にしてみませんか?優勝者の歌はゴールドソーサーの舞台で披露されます。

紙に書かれたその文句にエアリスは胸が高鳴るのを感じた。
ゆっくりと振り返った先には大勢の人、人、人…彼らはきっと歌を聴くのだろう。もしかすると友達や家族にその歌のことを話すかもしれない。
それは、ずっと遠くまで歌が、思いが響き渡るということを意味していた。世界の果てにまで届く可能性だってある。

やってみたい、とエアリスは思った。同時にできっこない、とも。

「迷ったときは楽しそうな方を選ぶんだ」──いつか聞いたザックスの言葉が耳に蘇った。あの時ザックスは、「楽しいことって大変だけどな」と笑って続けたのだった。
当時は意味がわからなかったけれど、今なら少しわかる気がした。

心の動く方へ、頑張ってみる──そういうことなのかもしれない。

深呼吸を一つ。エアリスはにっこり笑うと、ビラを撒き終えたキャストに歩み寄った。
「すみません、歌詞コンテストってどうしたら参加できます?」
「お、お姉さん、やる気まんまんだね。それじゃこちらをどうぞ!」
キャストは魔法のような指さばきでどこからか一枚の紙を取り出すと、エアリスの前にそれを差し出した。

便箋くらいの大きさの真っ白な紙を目にして、エアリスは一瞬息が詰まった。それは来る日も来る日も向き合っていた89個の空白を思い起こさせた。インクの滲みと、濡れてなだらかな凹みがいくつもできた紙の感触も。
こわばった顔で動きを止めたエアリスに向かって、励ますような笑みを浮かべてキャストは言った。
「大丈夫、難しく考えないで思ったように書いてみてよ。書けたら誰でもいいからスタッフに渡してね。おっと、名前も忘れずに書いておいて!」
そのキャストは、エアリスの前でくるりと回って深々とお辞儀をすると、軽やかに滑り去ってった。
エアリスの手の中で、くたりと紙が垂れた。


ホテルのロビーで鉛筆を借りると、エアリスは早速歌詞作りに取り掛かった。歌や芝居にそれほど馴染みがあるわけではないが、ミッドガルの八番街でよく催されていたミュージカルならば少しは知っている。それに五番街スラムの家の本棚には古い詩集がいくつかあった。そうしたあれこれを記憶の底から掘り起こしながら、数行書いては消し、また数行書くということをエアリスは繰り返した。

鉛筆の頭についた小さな消しゴムで額をこつこつと叩いてみるものの、冴えたアイデアがやってくる気配はなかった。その時ちょうど5時を指した壁の時計から、ボヨヨンという効果音付きで精巧な作りの目玉が飛び出し、同時にホログラムの幽霊がロビーの中を飛び回った。
ロビーの中央を陣取る若い女性の一団がきゃあきゃあ言って写真を撮りあうのをなんとなく眺め、エアリスは旅の仲間たちは今何をしているのだろうと思った。

その時、毛足の長い絨毯を踏む靴音が聞こえた。名前を呼びかけられてエアリスが顔を上げると、そこにはティファがいた。どこか苦しげな顔をした彼女は、その大きな瞳に動揺を浮かべてポツリと言った。
「クラウド、ザックスのこと思い出したって」
その言葉とティファの表情にエアリスは喉がキュッと狭まるのを感じた。
「クラウド、なんて…?」
そっと訊ね、エアリスは項垂れるティファを見た。
「クラウド、ザックスと仲のいい同僚だった、友達だったって…でも…っ…」
そう言ったティファは弱々しくかぶりを振った。エアリスは慌てて立ち上がり、握り合わせたティファの両手を優しく握ると、何かに怯えている友人をソファへいざなった。先ほど言い淀んだ言葉の先にはおそらく自分にとって悪い知らせがあったのだろう。
「おかしいの…金髪のソルジャーの知り合いなんていない、ザックスはあの時そう答えたんだ…」
ごめんねエアリスと小さな声で繰り返すティファの背中を撫でながら、エアリスは目の奥がじわじわと熱くなるのを感じた。ザックスとクラウド──この2人に奇妙な関わりがあるのは確かだった。2人の間に何かが起こった。そして、どうやら本人も全く知らないうちにティファはその事件を目撃してしまっている──自分ではなく。
その事実にエアリスは歯がゆいような悔しいような気持ちになった。そして、目の前で落ち込む友人を前にしてそんな気持ちを抱いたことに、エアリスは心のどこかで衝撃を受けた。ティファはザックスとクラウドの間のもつれた糸を解きほぐそうと心を砕いてくれているのに──

ニブルヘイムの事件の際、ティファ自身も生死の境を彷徨う大怪我を負っていたため、事の顛末は知らないのだという。村はセフィロスによって焼き尽くされ、当時村に滞在していたザックスがそのセフィロスに斬りかかる光景を最後にティファは意識を失った。ザックスの足跡はここでふつりと消えた。
全ての状況証拠が良くない結末を示唆していた。

だが、この旅を始めてからというもの、エアリスはザックスの影をいつも感じていた。真っ直ぐに見ようとしてもその影はふいと視界の端に消えてしまう──それが何よりもどかしい。
ザックスの故郷ゴンガガでわかったのは、ご両親もザックスの消息を知らないということだった。何かあったに違いないという暗い予感と、日々遭遇する霊魂の群れの中にザックスがいないという事実がもたらす安堵。それらの間を行き来するやるせなさに、もう一つ石が投げ込まれただけだった。

それでもエアリスは信じていた。自分とザックスがまだ確かに繋がっていることを。
鍵はきっとクラウドにある──それがエアリスとティファの出した結論だった。クラウドの不可思議な言動やティファとの記憶の食い違い、それらの背後に自分たちが求める答えがあるはずだ。
ジュノンからの運搬船で過去の打ち明け話をした時に、ティファはエアリスの話を真っ直ぐに受け止めてくれた。過去に受けた理不尽な仕打ちを思い返し、震えが止まらなくなったエアリスの手を力強く握ってくれた。

エアリスは左の手のひらをじっと見つめた。ロビーの天井から下がる豪華なシャンデリアの明かりを受けて、エアリスの華奢な手首を飾る3連のブレスレットがきらりと光った。目を落とした絨毯には意匠化された植物の模様があり、エアリスとティファのちょうど間には横向きの黄色い花があった。ラッパのようなその形は、再会の花を連想させた。

エアリスは勢いよく首を振ると、ティファの手を強引に握り、その顔を覗き込んだ。
「ね、ティファ。やっぱりクラウドとザックスは繋がってた。それがわかっただけでもすごい進歩」
ティファは怪訝そうな顔で瞬きをした。エアリスはぴっと人差し指を立てて口を開いた。
「だってクラウド、自分で思い出したんでしょ?」
「う、うん…黒髪のソルジャーで、陽気ないいやつだった…そう言ってた」
ティファのその言葉に、エアリスは嬉しいような泣きたいような気持ちになった。
「いいやつ。間違いないよ、それ、絶対にザックスのことだもん」声に涙が滲まないようにエアリスは努めて明るく言った。「クラウド、ザックスのこと好きだったのね」

ほんの少し悪戯っぽいエアリスのその言葉に、ティファはほっととしたような笑みを浮かべて大きく頷いた。ザックスのことを話す時のクラウドの声の調子には、悲しみだけではなく慈しみがあった。
偽りの記憶がまだらのようにクラウドの心の中を覆い、クラウドに、そしてティファに混乱をもたらしている。それでも、クラウドの優しさと誰かを想う心がある限り、自分はきっと戦えるとティファは思った。
ティファの瞳に強い光が戻ったのを認めて、エアリスは胸の奥が温かくなるのを感じた。

あの日、八番街でクラウドに出会った瞬間が旅の始まりだったのだ。エアリスはそう思った。

ティファはクラウドを探している。エアリスがザックスを探しているように。存在は感じられるのにこの世界のどこにもいないザックスと、確かにここにいるのに不確かな存在のクラウド。

あの時クラウドに手渡した黄色い花は、クラウドの手を経てティファの元に届けられた。

──そうだ、自分たち4人は確かに繋がっている。私はもう、1人きりじゃない。

エアリスは唐突に立ち上がり、ぱちんと手を合わせた。
「ね、ティファ。甘いもの、食べにいこ!」
「突然だね」
口元に手を当ててティファはくすくす笑った。エアリスはその腕をぐいぐいと引っ張った。しかしそこは非力な自分と格闘家の彼女のこと、その鍛えられた体幹はびくともしない。む、と口を尖らせてエアリスがティファの顔を見ると、ティファは「はいはい」と笑って立ち上がった。

ゴールドソーサーの広場には先ほどと変わらず大勢の人がいた。少し早い夕飯にするつもりか、腹持ちの良さそうな食べ物を売る屋台には人だかりができている。レストランではなく屋台で安く済まそうという魂胆の人が案外多いのかもしれない。
「ここのレストラン、高いもんねえ…」
「本当に」
何気ないエアリスの呟きに、据わった目をしたティファが即座に答えた。先ほど通りかかった園内のレストランの入り口に置かれたメニューにちらりと目をやるなり、エアリスの目をまっすぐ見つめて「ここは絶対だめ」とティファは言ったのだ。その剣幕を思い出し、エアリスは忍び笑いを漏らす。
「砂漠の真ん中で輸送が困難、かつ観光地…それにしたって…」
ぶつぶつと真剣にこぼすティファの背中を押し、エアリスはティファをレストランの前から引き剥がしたのだった。

広場のあちこちに並ぶ屋台で売られているものは様々だ。フライドポテトにサンドイッチ、チョコボレッグ…だが、2人のお眼鏡にかなう”甘いもの”はなかなか見つからない。
──と、辺りを見回しながら歩く2人は、同時に同じ方向に顔を向けた。パステルカラーの風船で飾られた屋台に並ぶ、一際長い行列。その一番後ろでぴょこぴょこと飛び跳ねているのはユフィだった。
「ユフィ!」
ティファが手を振ると、ユフィは器用に上半身だけ捻って振り返り、片手を高く上げた。
「何してんの〜?」
「うーん、散歩?」
ユフィの漠然とした質問に漠然とした答えを返し、エアリスはティファの顔を見た。
「そんな感じかな。何か甘いもの食べようってエアリスと話しててこの辺のお店を覗きにきたの」ティファはそう言うと、列の先頭に目をやった。「これってなんのお店?」
ゴールドソーサー限定!マテリアイスのワッフルサンド──人だかりの隙間に見え隠れするのぼりにはそう書いてあるようだった。
「いやあちょうどいいとこに来てくれたねえ、お二人さん」
「…なに?」
胡散臭い──もとい、ニコニコと朗らかな笑みを浮かべるユフィに若干警戒の色を滲ませつつ、エアリスはそう訊ねた。ユフィは二人にぐいと顔を寄せると両手を合わせて拝み倒す。
「このアイス、超人気でさ。1人1個までなんだよ。味が3つあるのに!!」
なるほど、自分とティファが来て頭数が揃ったということか。ユフィの頼みの内容を察して、エアリスがあっけらかんと言う。
「別にいいよ。一緒に並ぼ!」
ね、ティファと言うようにエアリスが小首を傾げると、ティファもにこりと笑みを浮かべて頷いた。

予想よりも早く列がはけ、3人はそれほど待たずに目当てのものを手に入れることができた。紙の包みにつつまれた焼きたてのワッフルサンド、その内側にはそれぞれ味の違うマテリアイスが挟まれている。
エアリスはきょろきょろと辺りを見回すと、困ったように首を振った。
「全然座れそうなとこ、ないね」
「うん、さっきより混んでるみたい」
エアリスの言葉にティファは頷いた。時間が遅くなってきたせいか、小さい子どもの姿はほとんどなく、代わりに若い男女の姿が目立つようになっていた。自分たちが屋台に並んでいる間に、家族連れの時間から恋人たちの時間へ移り変わっていたということなのだろう。

あ、と声をあげ、ユフィが得意げに笑った。
「あたし、いいとこ知ってるよ!」
言うが早いかユフィは威勢よく走り出した。
「え、走るの!?」
「ほら早く〜!アイス溶けちゃうじゃん!」
思わずギョッとしてエアリスが言うと、早くも広場の端まで到達したユフィが我関せずと大声で返した。
「ええー…?」
げんなりした顔でこぼしたエアリスの背中をぽんぽんと軽く叩き、ティファはユフィの後を軽やかに追っていった。
その後ろを何とか着いて行こうとしながら、エアリスは胸中で呟く。みんな結構スパルタだよなあ…と。


さく、と草を踏み締めると緑の醸す芳しい香りがかすかに感じられた。
「わ、すごい」とエアリスの口から感嘆の声が漏れる。
ユフィが案内したのは、広場から一つ階層を登ったところで、どこかのスクエアに向かう途中の脇道の先にある、芝生で覆われたエリアであった。そこは上階にある巨大な構造物を支える太い支柱のためのスペースであり、アトラクションも何もないため、この一大娯楽施設の中にありながら静けさの漂う場所だった。

「こっちこっち!」
ユフィは足が露で濡れるのにも構わず、芝生の上をずんずん歩いていった。ゴールドソーサーの複雑な構造物のあちこちに取り付けられた照明が弱い光を投げかけている。3人の足元にできた複数の影は、それぞれの光源との位置関係が変わるにつれて伸びたり縮んだりと姿を変えた。
ユフィに導かれた先には、柱の影に隠れるようにぽつんとベンチが置かれてあった。その傍には灰皿が。灰皿からはかすかに煙草の匂いがした。
なるほど、従業員たちの休憩スペースというわけか──ティファは一人得心した。
「よくこんな場所知ってたね」
「へっへ〜まあね」
ティファの言葉に気をよくしたユフィはベンチの真ん中にどかりと腰を下ろした。早速包み紙を開け、ワッフルに齧り付く。少し時間が経ってしまっていたが、ワッフルはまだほのかに温かく、焼き立てのパリパリ感はないもののしっとりとしていて中のアイスとよく合った。
冷たいバニラアイスの中から熱々のベリーソースが現れて、口の中で見事にとろけ、ユフィは「うまっ!」と声を漏らした。「これが『ほのお&れいき』味か〜!」とユフィはご満悦だった。
「こっちも!なんかすっごく不思議な感じ。こう、口の中がパチパチーってするの。あ、今違う味になった!」
エアリスが嬉しそうに報告する。こちらは『いかずち&かぜ』。パチパチ弾けるポッピングが仕込まれたレモンアイスに爽快感のあるミントアイスの組み合わせだ。「おもしろーい!ティファは?」
「うん、すごく美味しい」と口の中で『いんせき』を味わいながらティファがにこりとした。こちらのアイスの中にはキャラメルソースやビターチョコでコーティングされたクランチが入っている。そのクランチもいくつかの種類のナッツを比率を変えて配合しているようだ。しかも食べ進めるごとにアイスとワッフルの割合も変わる。一口ごとに違う味と食感が楽しめるその工夫にティファは内心舌を巻いた。

「ね、ね。そっちと交換しよ〜?」
「う、うん」
キラキラと目を輝かせてユフィは言い、こくりと頷くエアリスの前に自分のワッフルを差し出した。代わりにエアリスから受け取ったワッフルを躊躇なく口に運び、ユフィは「こっちも美味し〜!」と満面の笑みを浮かべた。
「ユフィ、『いんせき』もどう?」
「もらうー!」
今度はティファとユフィが交換する。

二人のやりとりを眺めていたエアリスは、顔がかあっと熱くなるのを感じていた。エアリスは思い出す──伍番街スラムのエルミナの家で、2階の自室からガラス窓に顔をくっつけて見つめていた光景を。自分と同じ年の頃の子どもたちが家のすぐ前の草地で楽しげな声を上げていた。中の一人が何かを手に高く持っている。他の子たちがわっと盛り上がったところを見ると、四葉のクローバーだったのかもしれない。やがて子どもたちは持ってきたお菓子を分け合って食べ、母親に呼ばれてそれぞれの家に帰っていった。
幼いエアリスは見た。姿見に映る自分の泣きそうな顔と、額に残った赤い跡を。

緊張のせいか少し震える手に力を込め、エアリスはえいやっと『ほのお&マテリア』にかぶりついた。じゅわ、と染み出したベリーのソースが舌の上でとろりと溶ける。予想していたよりもずっとずっと美味しかったその味は、エアリスの胸の奥の乾いた領域を密かに潤してくれた。

「美味しいね」
しみじみとそういうエアリスを、ティファとユフィはやや不思議そうに見た。
「エアリス…もしかしてすっごくお腹空いてた?」
恐る恐る訊ねるティファに、エアリスは思わず噴き出してしまった。
「そう、かも。私、お腹空いてたみたい」
「そんじゃこっちも食べなよ。クランチ入ってるからちょっとは腹持ちいいかも」
ユフィに食べかけのワッフルを渡されて、エアリスは笑いが止まらなくなってしまった。
「ま、待って…両手に持ってるのなんか…」
そう言って笑うエアリスの姿を見て、ティファとユフィもじわじわと笑いが込み上げてくるのを感じていた。ロングのワンピースにピンクのリボン。この中で一番可愛らしい格好をしているエアリスが、両手にワッフルサンドを持っているのだ。本人は気づいていないが、実は口元に赤いソースも付いている。
「く、食いしん坊スタイル…ひ、ひーーーっ!あ、だめ、ツボ入ったかも…」
「ユフィ…あんまり笑っちゃ…く、く…」
「ちょっと!2人とも笑いすぎ!」
さすがにムッとしてエアリスが言うと、2人はすぐに「ごめん、ごめん」と謝った。だがその言葉とは裏腹にユフィの体は小刻みに震え、目が泳いでいる。どうにも真剣さに欠ける表情だった。
「ユフィ…?」
「わーー!あっち!あれなんだろ!」
にっこり笑ってエアリスがその名を呼ぶと、ユフィはティファの腕を引っ張って一目散に逃げていく。”ごめん”の形に口を動かしたティファの困り顔に苦笑を返し、エアリスはベンチの背もたれに体を預けた。


身軽なユフィに付き合って、芝生のあるエリアの端まで走る羽目になったティファは息を弾ませて「ちょっと休憩」と言って立ち止まった。
そのユフィはといえば、足場の下を覗き込んだでいたと思うと、くるりと振り返り、「ね、ね、ね」とティファを手招きした。あやしい笑みを浮かべるユフィが指差したその先にあるものを見て、ティファは思わず手で口を覆った。

2人の視線の先では、一つ下の階層の物陰で若い男女がキスを──それも濃厚で熱烈なやつを交わしている真っ最中だった。粘り気のある音や息遣いまで聞こえてきそうだ。すっかりお互いの世界に没入している彼らは、自分たちが注目の的になっていることなど気づく由もなかった。
「こ、こら。こういうのはだめ」
ハッと我に帰ったティファが小声で言って、ユフィをその場から問答無用で引き剥がす。つまらなさそうに口を尖らせたユフィだったが、次の瞬間、にまりと人の悪い笑みを浮かべて、落ち着かない様子で髪の毛をいじるティファをじっと見た。近づいてくるナンパ男のあしらいには長けているくせに、他人のキスにやけに初心なリアクションを示すティファ。そのギャップの意味するところは──

ユフィの視線に嫌な予感を覚え、ティファは半歩下がる。
「なに…?」
「ね、ティファってさ。クラウドが初恋の相手だったりする!?」
唐突かつド直球の質問である。
そう──ユフィは見ていたのだ。ゴンガガ村での、ティファとクラウドのただならぬ一幕を。あれは間違いなく男女の間に流れる空気だった。

興味津々で身を乗り出すユフィを、ティファは驚いたように見つめ、それから風になびく長い黒髪をかきあげた。
少し前だったら慌てて否定していたかもしれない。でも今は──なぜだか素直に自分の気持ちを見つめることができた。ティファは、あの日クラウドに手渡された黄色い花の芳しい香りを思い出していた。再会の喜びと共に。

ユフィに向かって柔らかく微笑むと、ティファは小さく首を傾げ、少しはにかんで答えた。
「そうだったかもね」
「だった、かも〜?」
どこか煮え切らないティファの答えにユフィは口を尖らせた。いや──ユフィは一つの可能性に思い至ってハッとした。そうだ、この美貌である。ティファに寄ってくる男は掃いて捨てるほどいたに違いない。その中に、イケてる男の1人や2人や3人…がいなかったとも限らないのだ。クラウド、ごめん。なぜかユフィは心の中で謝った。
ティファは、無言で百面相を繰り広げるユフィを軽く睨みつける。
「ちょっと、変なこと考えてるでしょ」
へへ、とユフィは笑って誤魔化し、「いや、ティファに恋人とかいたのかなーって」と言った。
「ないない!」ひらひらと手を振って、ティファはその言葉を一蹴する。「ミッドガルに来てからはずっと朝から晩まで働き通しでクタクタで…そういうこと…恋愛とか考える余裕なかったもの」

来る日も来る日も借金を返すために一個3ギルの饅頭を必死で売り、やっと帰り着いたコンテナハウスで泥のように眠った日々。クラウドや故郷の友人を探す時間も伝手も、あの頃のティファにはなかった。
それでも、ティファの胸には昔と変わらず、金色の一番星が輝いていた。それがティファのお守りだった。ティファはそれだけで強くなれたのだ。

「ふうん…」
ティファの答えが予想していたものと違っていたことをユフィは意外に思った。
なぜかあからさまにがっかりしている様子のユフィを少し不思議に思い、ティファは口を開きかけた。その時、冷たい夜風が吹き渡り、ティファはぶるりと震えて剥き出しの両腕をさすった。風が冷たくなってきた。ハッと振り返った視線の先で、エアリスが1人空を見上げているのが目に入った。淡いピンクのロングスカートが大きく揺れ、華奢なふくらはぎがあらわになる。エアリスが風に攫われてどこか遠くへ消えてしまいそうな気がして、ティファの胸の奥がずきんと痛んだ。
「エアリス、呼んでくるね!」
ティファは何やら考え込んでいるユフィを置いて駆け出した。

駆けていくティファの後ろ姿を見つめながら、ユフィはしたり顔でうんうんと頷いていた。
「忙しく過ごす都会の日々…やがて心の余裕をなくし恋の気持ちも忘れていく…か。無情なり!」
このことを知ったらクラウドは目に見えて動揺するに違いない。
でも──頑張れよ、クラウド。あたしは応援してるぜ。

ユフィは心に一つの決意を抱いた──奥手な2人を後押しするために、このユフィちゃんがハッパをかけてしんぜよう、と。場合によっては格安で。

このトラブルメーカーの親切心が、吉と出るか凶と出るかはまた別の話である──


ユフィとティファを遠くに見ながら、エアリスは最後のワッフルの欠片を口の中に放り込んだ。ベンチの上から投げ出した足をなんとなくぶらぶらさせてみる。エアリスは自分の手を見つめた。

あの日、八番街でクラウドに出会った瞬間──いや、もっと前から旅は始まっていた。エアリスはそう思った。

額に赤い跡をつけた自分の顔を見て、エルミナは──お母さんは何も言わずにぎゅっと抱きしめてくれた。2人で作ったクッキーは少し焦げてしまったけれど、素朴な甘さが嬉しかった。
花を持っていけばいつでも喜んでくれた孤児院の先生たち。秘密基地への出入りを許してくれた子どもたち。行けばいつでもニコニコと迎え入れてくれた伍番街スラムのお店の人たち。
それに、教会の扉の内側に閉じ籠るばかりだった自分を新しい世界に連れ出してくれたザックス──。

「会いたいなあ…」
気づけばエアリスの口からそんな呟きが漏れていた。
ザックスに会いたい、みんなに会いたい…今そう思えるのは、エアリスに出会いがあったからだ。神羅の実験室から命懸けで自分を連れ出してくれた母がいたからだ。
そして、神羅ビルに囚われた自分を助けに来てくれた仲間たち。それぞれに辛い過去を抱えて、それでも前に進もうとする彼らがいなければ、この広い世界でエアリスは途方に暮れるばかりだっただろう。

どの出会いが欠けても、今の自分はいなかった。

全部繋がっているんだ──エアリスは胸の奥で静かに思った。

エアリスはポーチから折りたたんだ紙を取り出すと、ベンチの座面にそれを置いて鉛筆を走らせた。自分の思いを、思うままにそこに書き連ねた。会いたい気持ちと、出会えた喜びを。

あれほど手こずったのが嘘のように筆が走った。
「できた…」
呆然と呟くと、エアリスは再び紙をたたんでポーチに仕舞い込んだ。読み返せばきっと提出を躊躇ってしまう。立ち竦んでしまう。それが嫌だった。


ティファがエアリスの元へ戻った時、エアリスは空を見ていた。エアリスはためらうようにゆっくりと口を開け、それから口元に小さく笑みを浮かべた。形のいい上下の唇がぴたりと合わさって、エアリスが言いかけた言葉を閉じ込めてしまったようにティファには見えた。
言えば台無しになる──そういった類の言葉だったのかもしれない。密かな願掛けのような。
ティファはエアリスと出会ってから、今みたいに彼女が秘密をしまいこむ瞬間を何度か目にしていた。

ティファの靴音を耳にしてエアリスは彼女が来たことに気がついた。ティファはそっと問う。
「エアリス、どうかした?」
「なんでもないよ、お腹いっぱいなだけ」
穏やかに笑うエアリスに小さく頷いて、一瞬ためらってからティファは彼女の華奢な肩に優しく手を置いた。
「そろそろ戻ろうか。冷えてきたし」
砂漠のど真ん中にあるゴールドソーサーは、昼は暑く夜は寒い。施設内は空調が効いているとはいえ、ここは屋外だ。今はやや肌寒いくらいだった。
「そうだね」
エアリスは立ち上がるとスカートを叩いてワッフルのかけらを地面に落とした。肩に残るティファの柔らかい熱が自分の体に馴染んでいくのをエアリスは感じていた。


3人が広場まで戻ってきた時、ちょうど時計が7時を回るところだった。

あ、とエアリスは顔を上げた。そういえば歌詞コンテストの締切は7時と聞いていた。エアリスが慌てて辺りを見回すと、最初にチラシをくれたキャストが少し離れたところにいるのが目に入った。

「ちょっと手紙、出してくるね!」
そう言ってエアリスは駆け出した。
「手紙?」
「そう!」
驚いたユフィの声に簡潔に返事をすると、エアリスは懸命に走った。

咄嗟に口をついて出た言葉だったが、『手紙』はぴったりの言葉だとエアリスは思った。

歌の歌詞かと問われると自信を持って頷けない。
これはきっと、私からみんなへの手紙。
みんなに届けたい。私の思いを花束みたいにして。

どうかどうか、届きますようにとエアリスは願いを込める──。



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