見出し画像

悪食(8) FF7二次創作小説

FF7エバークライシスのバハムート衣装に着想を得て書いた二次創作小説です。第一話のリンクはこちら。

第八話


ラボにずらりと並んだ細胞培養器──その何台かは僕のサンプルが占拠している。

新しく細胞を播種してから今日で3日だ。実験がうまくいっているかどうかは今日の観察で大体わかるだろう。
見たい、と同時に見たくない気持ちが僕の中で押し問答をしている。結果を見なければ、自分のアイデアにうっとりする時間が延びるから。だが、こうしていても先へは進めない。僕は、一度大きく深呼吸してから目の前の細胞培養器の扉に手を伸ばした。
外扉に続いてガラス製の内扉を開けた途端、中から高い湿度を伴うムッとした温かい空気が流れ出てくる。細胞培養器の中には金属製の3段ラックがあり、どの段も重ねられたシャーレの列でいっぱいだ。僕は慎重な手つきで、奥の方から2枚のシャーレを取り出すと、なるべく揺らさないように顕微鏡のところまでそれらを運んだ。

オレンジがかった赤い色をした培地と、紫がかった培地がそれぞれのシャーレに入っている。まずは赤い方から。シャーレの底に点在する細胞たち。ほとんどが増殖しやすいはずの線維芽細胞だが、半分くらいは元の形を失って丸くなりかけている。死にかけているのだ。予想通りの結果ではあったので、わずかに生じた落胆を冷静に受け止めることができた。

本命はもう一方のシャーレだ。赤い方と入れ替えて、鏡筒に目を近づける。レンズに映り込んだ自分の睫毛は震えていた。それにまるで喉元で心臓が拍動しているみたいだ。自分の鼓動がはっきりと感じられる──。

「は…はは……!」
顕微鏡の視野の中に広がる光景を目にして、僕はその場にへたり込んだ。膝に力が入らない。口から情けない声が漏れた。目には涙が滲んでいる。
シャーレの底は細長い細胞に覆われつつあった。細胞たちのささやかな領土は、暗闇の中にあった未知の領域が科学の光で照らされたことを、すなわち科学の勝利を意味している。大袈裟かもしれないが、僕は本気でそう思った。

それを自分が、この僕﹅﹅﹅が成し遂げた……!

心地よい震えが僕の全身を揺さぶった。計り知れない高揚感──何度失望や挫折を味わっても、ごくたまにこういった瞬間がある。研究を続けていてよかった。本当に。

ひとしきりの感慨に耽ると、少し頭が冷えてきた。体外に取り出したバハムートの細胞を殺さないでおくことにはどうやら目処が立ちそうだ。次の段階は、細胞たちをもっと長期間にわたって増殖できる状態に留めておくこと、そしてもっと多くの種類の細胞でそのやり方を試すことだ。

「期待しているよ」と教授は言った。その期待に応えなくては。


久しぶりに食事が美味しいと感じた。

研究所の食堂は昼時のピークをとうに過ぎ、遠くの方のテーブルにいくつかの小さいグループが残っているだけだった。彼らは遅めの昼食を摂りながら世間話に興じていたり、興味深いデータについての会話が聞こえてくる。

僕は山盛りになったチーズマカロニの山に勢いよくスプーンを突き刺し、口に入るだけかっこんだ。その合間にコーンスープを飲み、サラダを食べ、バターをたっぷり塗ったパンを口に運んだ。
「すげえな。まだ食うんだ」
僕の食べっぷりを評して先輩がそう言った。初めは面白がって僕のおかわりに付き合ってくれたのだが、今は僕を呆れたような感心しているような顔でこちらを眺めながら食堂の薄いコーヒーを飲んでいる。
「なんかお腹がすいちゃって……」
口の中のものを飲み下し、僕は水の入ったカップに手を伸ばした。ふやけて柔らかくなった紙コップは気をつけていないと潰してしまいそうだ。ぬるい水が喉を伝って胃の中に落ち着くのを感じてから、僕は再びスプーンを手に取った。
「まあ、いいんじゃないの?元々お前は細すぎるくらいだったしさ」
かかかと笑って先輩は言った。僕はこくりと頷いて、もう一山のマカロニを口の中に放り込んだ。

「……で、最近どうよ?」
頬杖をついて先輩が言った。その目はキラキラと輝いていて、押し付けがましくない人懐っこさと自然体の好奇心が現れている。
僕は晴れ晴れとした気持ちで微笑んだ。
「やっと突破口が見えてきた気がします」
「あ、やっぱりか。そんな感じしてたんだよな」

「よかったな」と言って、先輩はタンブラーを掲げてみせた。
「ありがとうございます」
僕も空の紙コップを手に取り軽く振る。小さな成功を祝って、乾杯。
「軌道に乗るまでが大変なんだよな。わかるわー。俺も経験あるもん」
うんうんと大きく頷きながら先輩はそう言った。僕はグッと身を乗り出し、口を開く。
「血液培養に切り替えたんです。バハムートの生体の環境を再現しようと思って。今まで培地の組成を細かく変えたりしてたんですけど、どんなに培地が栄養豊富でも細胞にちゃんと入っていなかったんだと思います」


以前、天然のライフストリーム──それも高純度のやつだ。当然値段もお高い──を培地に入れてみた時は、細胞の寿命が半日ほど伸びたものの結局は全て死んでしまった。豊富なライフストリームがないと生きられないバハムートだが、それそのものだけでは不十分で、ライフストリームと彼らの細胞を繋ぐ存在が必要だったのだ。
この前エレベーターの中で教授と会って、面接の時のことを僕は思い出した。ビデオの中で生まれたばかりのティファが放った、鮮烈な紫色の光と彼らの体内を巡る特別な血を。

バハムートの血液の中には特別仕様の赤血球が含まれている。その赤血球がライフストリームを一個一個の細胞に運び、受け取った細胞はライフストリームの持つ膨大なエネルギーを利用して、代謝システムを回し新たなタンパク質を作り、そして分裂する。それが彼らの高い身体能力を支える機構だ。

これだ、と思った。エレベーターが6階から4階に向かう短い間に大体の実験プランを立て、その勢いのまま、いつものように飼育エリアで組織サンプルを分けてもらう時についでに血液ももらってきた。

ライフストリームの代わりに魔晄だけを加えた培地と、魔晄と共に新鮮なバハムートの血液を加えた培地で細胞を培養してみたら、結果は一目瞭然だった。

「なるほどなー!赤血球ってデリバリーシステムが必要だったってわけか。すげえじゃん!」
先輩は感心したように目を丸くしてそう言った。彼のストレートな賛辞に僕は自分の頬が緩むのを感じた。
先輩は椅子の背もたれに大きく寄りかかり、何気ない調子で言葉を続けた。
「それってなんか参考にした?」
その言葉を聞いて、心の奥底でざらりとしたものが首をもたげるのを僕は感じた。舌の先に、チリリと微弱な電流が走る。眉間に力がこもるのが分かった。
そんな僕の様子に頓着せず、先輩は伸びてきた髪をかき上げ、宙に視線をさまよわせると、何か思いついたように「あ」と小さく呟いて僕を見た。
「それとも教授のアドバイスか?そういえばさ、最近の論文で──」
「いえ」自分で予想していたよりも硬い声が先輩の言葉を遮った。「僕の、アイデアです」

「変な意味じゃない。俺はただ──」
驚いたような先輩の言葉の途中で僕はトレイを掴むと、椅子から立ち上がった。トレイの中で空のコップが倒れてぶつかり、使い残しのケチャップが汚れた紙皿の上に飛び散った。まるで血飛沫だ。そう思った時、心のどこかに自分の知らない自分がいるような感じがした。大声で叫び、暴れ回って気に入らないもの全てを壊したい──そんなひどく暴力的な衝動が腹の底から湧き上がってくる。
幻の血の匂いにぐらりと視界が揺れた。きつく目を瞑ると頭の奥に細い刃が差し込まれるような痛みを感じた。ゆっくりとマグマが冷えていくように、衝動が鎮まっていく。

先輩は困ったような顔で僕を見ていた。もしかしたら傷ついていたのかもしれない。その可能性に僕の胸はちくりと痛んだ。
「……すみません、体調が悪いので今日は早く帰ります」
「その方がいいよ。お前さ、気づいてないかもしれないけど顔色あまり良くないぞ」
先輩は僕を神妙な顔で見ていた。ぺこりと頭を下げてから、僕は足早に食堂を去った。


いつもよりもずっと早い時間に研究所の外に出ると、燃え上がるような夕空が広がっていた。その中に、薄紫色の煙が真っ直ぐに立ち上っている。夕刻に稼働する研究所の焼却炉からの煙だ。天に向かって続く一筋の煙は、この道を真っ直ぐに進んでいけばいいのだというメッセージのようだと僕は思った。


自宅の玄関を開けると、ゴミ袋の間に僅かに残る床のスペースに1通の封書が落ちていた。差出人の名前を見てハッとした。母さんからだ。
中の便箋には、「この前はごめんなさい。応援しています」とだけ書かれていた。

よく見ると、鉛筆書きの文字には濃淡でできた縦線が入っていた。きっと母さんは木目の目立つ古いダイニングテーブルでこの手紙をしたためたのだろう。せめて手紙を書いたのが明るく晴れた日であって欲しいと思った。

僕は何をしてるんだろう。心配そうな母の顔が頭に浮かんだ。
冬は実家に帰ろう。今年は雪が多いという予報をラジオで聞いた。屋根の雪下ろしを手伝ってあげないと。

それに先輩にもちゃんと謝るんだ──


潜り込んだシーツの中で僕は明日やるべきことに一つ付け加え、胎児のように体を丸めて目を閉じた。


とぷんと沼の中に沈んでいくように、眠りが僕を包んでいく。

沼の底にはティファがいて、腕を広げて僕を待っていた。
ああ、ティファだ──と僕は思った。やっぱり僕を待っていてくれた。
僕が微笑むと、ティファもまた優しい笑みを浮かべた。僕たちは正面からしっかりと抱き合った。柔らかさと硬さ、温かさと冷たさ……2つの感触が混じり合うのが心地よかった。ティファは僕の耳にそっと囁く。
「あなたがほしい」
「僕も……君が欲しいよ」
僕がぎゅっと力を込めると、ティファの体がぴたりと吸い付くように僕の体に寄り添った。
ティファの手が僕の胸の辺りをまさぐった。さしたる抵抗もなく、そのしなやかな長い指は僕の皮膚に沈み込み、心臓にひやりとしたものが触れた。彼女の指が心臓の先端を軽くつまんだかと思うと全身に向かう太い血管が優しく撫でられるのを感じた。僕は声もなく全身を震わせた。

色のない沼の中で境界線は意味をなさない。体を包む膜がなくなっていく感じがした。だけど、自分の存在が消えていく恐怖よりも、大きな存在に身を委ねられるという安心感が僕を満たしていた。

ティファが欲しい。彼女と一つになりたい。

ティファがもう一度囁いた。
「あなたと、ひとつになりたい」

──ああ、僕も同じ願いを抱いてる。君が、欲しい。

いいなと思ったら応援しよう!