悪食(17) FF7二次創作小説
注意書き:FF7エバークライシスのバハムート衣装に着想を得て書いた二次創作小説です。いえ、二次創作小説のはずだったんですけど、設定とか話が独特すぎて二次創作とはいえない感じに仕上がっています。
それでも良いという奇特な方向けですので、どうぞご了承ください。
第一話のリンクはこちら。
第十七話 ※グロテスクな表現があります
書庫があるのは研究所の地下一階だ。あそこは半地下になっていて、明かり取りのための横長の窓が地面すれすれに並んでいる。ここは研究業界の義務として求められている、生データの保管のための施設であって、実際に書庫を訪れる人間はほとんどいないのを僕はよく知っていた。まして今は深夜だ。誰かに鉢合わせするリスクはほとんどない。
僕は薄い患者衣のままで、その上裸足だった。凍りかけた夜露に覆われた地面は冷たく、剥き出しの足の裏に小石が突き刺さった。だけど不思議なことに、寒さも痛みも認識はしているが、さして耐え難いとは思われなかった。「変質」が進んでいるせいかもしれない。
街明かりを反射しているせいで変に薄赤い空の下、僕は神羅カンパニーの所有する広大な敷地の中を斜めに突っ切っていった。病院に隣接する倉庫の横を通り過ぎた時、その波型の屋根の向こうに目指す建物の姿がちらりと見えた。7階建ての直方体。神羅研究所だ。
僕の目はその最上部に吸い寄せられた。第七天──野生最後のバハムートが暮らす、人工の楽園だ。
そこで起こった出来事が全てを塗り替えてしまった。ティファ──楽園に君臨する竜の女王。
こっちにおいで──繰り返し聞こえるティファの声が僕を呼んでいる。自分が引き裂かれていく感じがする。
「は……っ…はっ……」
視界が二重にぶれる。激しく心臓の脈打つ衝動が僕を内側から揺さぶっている。まるで檻に閉じ込められた獣が、ここから出せとその体を打ち付けているかのように。
僕と彼女の間で起こったことのどこからが夢でどこからが現実なのか、その境目は曖昧だ。それに、人間の感情など持ち合わせていないはずのバハムートの胸の内にあるものは僕にはわからない。ただ一つ確かなのは、ティファとの接触が僕の肉体を変質させたきっかけであるということだ。
だけど……だけどどうしても僕はティファを憎む気持ちになれなかった。
僕の手を取り、そっと自分の頬に押し当てたティファ。ティファはきっと今も僕を呼んでいる──
ふらりと明かりのもとに出ていきそうになるのをどうにか堪え、僕は暗がりの中で息を潜めた。今はとにかく情報が欲しい。僕が人間でいるために。
じっと様子を窺う僕の視界を、眩しい光の帯がさっと横切った。巡回の警備員だ。もし見つかったらどうなるのだろう? 悲鳴を上げられるか、いきなり撃たれるか…少なくとも穏やかな結末にはならなさそうだ。
ふらふらと動き回る懐中電灯がゆっくりと遠ざかっていく。警備員が角を曲がったのを見計らって、僕は物陰から静かに飛び出した。灰色の壁に沿って研究所の外側をぐるりと周り、目的の場所に到着した。
「よっ、と……」
明かり取りのために設けられた窓に思い切り石を叩きつけると、めり、という音と共に網入りのガラスにヒビが入った。続けて二度三度と石を打ち付け、僕は自分が通れるくらいの穴を開けた。
書庫の中は冷え切っていて、外よりもかろうじてましといったところだった。床に散らばったガラスの破片は僕の足が踏むたびにチャラチャラと音を立てた。怪我を気にしなくてもいいというのは、メリットと言えるかもしれない。こんな状況でくだらないことを考える自分ののん気さに僕は自嘲の笑みを浮かべた。
広大な書庫の中には背の高い棚が延々と並び、ろくに整理もされないままの実験ノートやら何やらで満杯の箱が数え切れないほど保管されていた。無謀だったろうか。この中から教授の記録を探し出すなんて。一瞬僕はくらりとめまいにも似た焦りを感じたが、すぐに気を取り直した。基本的には年代ごとに奥から詰め込まれているはずだ。「やじりの写真」の出どころである教授の論文の出版年からすると、僕の目指す場所はおそらく一番奥のエリアだ。
箱の側面に走り書きされた大雑把な情報を頼りに、いくつか箱を選び出すと、どさどさと床にそれらを積み上げ、片っ端から中を開けていった。
「バハムートの発生過程の観察」……違う。
「環境中ライフストリームの測定方法とミッドガルエリアでの密度分布」……これも違う。
小ぶりな箱を棚から下ろした時、ガサ、と耳慣れない音がした。慎重に蓋を持ち上げると、中には干からびた植物の束が入っていた。崩れないようそっと持ち上げると、細長い葉と房状の白い小さな花を持つその植物からは独特な香り──軽い酩酊感を覚えるような──がした。几帳面そうな字で書かれたラベルには、学名らしき文字が並び、採集した場所と日付が書かれている。
僕はその箱を壁際のデスクの上に置き、スタンドライトを点灯させた。箱の中には数冊のノートがあった。その中には、植物につけられたラベルと同じ手による細かい字がびっしりと並んでいて、その合間にスケッチが描かれている。スケッチの内容は、簡略化された地図だったり、アイデアの切れ端だったりと様々だ。そして──どこかの文明で使われている特殊な道具を写した何枚かの写真を僕は見つけた。恐ろしげな仮面、翼を広げた竜を意匠化した模様の彫られた腕輪、そして黒曜石のやじり。僕は小さく息をのんだ──この箱だ。
一冊のノートの間にあの白い花が押し花にされて挟まっていた。この植物には精神を高揚させる作用があり、「儀式」で生贄に対して使われたと書かれている。儀式では、灰とバハムートの血を練り合わせたものを黒曜石のやじりに塗り込め、トランス状態になった生贄に突き刺した──ほとんどの生贄は死に、ごく一部のものだけが異形の姿に変化したという。
ぺら、とページをめくった僕は思わず目を逸らした。嫌悪感に顔が歪む。そこには、口の中からでたらめな方向に何本もの牙が生えた豚の頭部や、恥骨から喉元まで切開されたラットの横に巨大な胃や異常に枝分かれした血管が並べられた写真があった。使った動物の種類、性別、週齢、動物に注入した血の量に回数……写真の横にはそれぞれ、事細かに実験の条件が書かれていた。
僕もこうなるのか?
ぞっとしながらも、頭の一部分は麻痺したように明るい展望を求めていた。だって、ようやくバハムートの、バハムートの翼についての謎が解けるかもしれないんだ。
ああ──ティファ……彼女が両の翼を広げるところを見てみたい。僕は心底そう思っていた。
歓びをもって大空を舞う、どこまでも自由なティファ……地上の重力に縛られる僕の代わりに、街の向こうへ、山の向こうへ、どこまでも遠くへ……!
ページを繰る手が震える。瞬きを忘れた目が乾いて痛む。
どこまで行っても続く、異形の動物たち。ぐにゃりと湾曲した背骨の下で目を地走らせたマウス、前頭部の裂け目から脳が飛び出ている猫……
そして突然の空白──何も書かれていないページが何枚も続いた。
その最後に、紙が一部破れるほどの筆圧で書かれた一文があった──”動物じゃだめだ”。
その意味するところは明らかだ。
胸まで水に浸かっているような感じがした。ひたひたと押し寄せる冷たい水が、僕を芯から凍えさせる。
同時に、僕は一つのことを悟った──ここに、治療法についての情報はない。自分でも薄々わかっていたことだったが、僕のこの姿が見つかったが最後、治療どころか実験材料にされるだけだ。白衣の群れに囲まれて、死ぬまで切り刻まれるのだろう。
──ここから逃げないと。でも……どこへ?
僕は口を押さえると、一歩、また一歩と後ずさった。
どんと鈍い音を立てて背中が硬いものにぶつかった。振り返ると、古びたキャビネットの扉が開いていた。バサバサと紙の束の落ちる音にはっとする。落ちてきたのは、質の悪いコピー用紙ではち切れそうな分厚いファイルの山だ。キャビネットの奥から一枚の写真がはらりと床に舞い落ちた。白い写真の裏面は、灰色の床の上でいやに目立っていた。そこだけぽっかりと光っているようなのだ。ひどく落ち着かない気分だ。僕はその写真にゆっくりと手を伸ばした。
背筋を冷たいものが駆け抜ける。それは、まだあどけなさの残るティファの写真だった。震える指で手当たり次第にあたりに散らばったファイルを開くうちに、僕はそれを見つけてしまった。長年に及ぶ、ティファに関する膨大なデータ……ありとあらゆる体の各部のサイズ、血液中のホルモン数値、毒に対する耐性、皮膚サンプルの組織学的検査。強制的に引き起こした喜怒哀楽それぞれの際の脳波パターンに、肉体損傷からの回復過程の詳細な記録なんてものまである。ページを一枚めくるたびに、熱、酸、刃物による新しい傷がティファの体に追加され、それらは驚異的なスピードで治っていった。再現性をとるという名目で繰り返し行われる実験、実験、実験…
「なんだよ…これ……?」
あまりの悍ましさに吐き気がする。無味乾燥な文体で綴られた報告書は語る。科学者たちの好奇心がナイフの形をとって、ティファの身体中に何度も何度も突き刺されてきたのだということを。
僕は、心のどこかでティファだけは別だと思っていた。他のバハムートたちがどんなに酷い扱いを受けていたとしても、ティファだけはあの楽園で守られているのだと、自由に生きることを許されているのだと。野生の世界に居場所のない生物種に与えられた、ささやかな幸せがそこにあると、能天気に信じていた。
だけど──それは大間違いだった。全部、全部。
緑に満たされた第七天は、特別仕様の檻だった。魔晄の液に漬けられた他の竜たちと同じだ。
「はっ……は…っ……!」
声にならない悲鳴が狭まった喉の奥で爆発しそうになっていた。
目蓋が熱い。僕はしばし瞑目する。眼球と眼窩を覆う粘膜の間に澱む涙が、行き場を失って目蓋の間からこぼれ落ちた。
人間、バハムート、人間……
滅ぶべきはどちらだ?
「あ、あ……あああ……っ!」
喉の奥から絶叫が迸る。がらんとした書庫に響く自分ものとは思えない声。その声は、僕の内側の穴の中にも響き渡った。
残響がうつろにこだまする。同時に、僕の中で何かが灼き切れる感覚があった。
──もう無理だ。
背中の真ん中に激しい痛みが背中に走った。ぶちぶちと音を立てて皮膚が裂けていくのが感じられる。僕の周りに紫の燐光が舞った。体の表面はざわざわと波打ち、黒く変色した箇所が一気に広がって僕の全身は腐った果実のような色に染め上げられた。ずる、と何かが滑る感触に腕を見ると、弾力を失った皮膚の一部が剥がれ落ちるところだった。
ぼとり。ぼとり。ぞっとするような音を聞きながら覗き込んだ剥がれた皮膚の下には、びっしりと闇色の鱗が並んでいた。
きいんと甲高い耳鳴りがした。頭蓋の中は小鳥が羽ばたいているみたいに騒がしい──と、がやがやと喧しいうねりを差し貫いて、聞こえてきた声がある。
ああ……ざわめきは遠のき、心が穏やかになっていく。
──こっちにおいで──
ティファが呼んでいる。
行かなくては。