悪食(5) FF7二次創作小説
FF7エバークライシスのバハムート衣装に着想を得て書いた二次創作小説です。
第一話のリンクはこちら。
第五話
広い研究所のひとフロアがまるまるこの庭園に当てられているようだった。
先輩の後について進むにつれて、ますます現実から離れていくような感じがした。半ばぼうっとなりながら歩く僕の頭は、次々に奇怪な世界に迷い込んでいく。
毒々しい赤い葉脈の目立つ葉の中心に巨大な包を持つ植物が地面から生えていた。どこからか水の流れる音が聞こえてくる。研究報告会で僕の出したペラペラのレポートを見て、聞き取れないほどの小声でぶつくさと呟く教授の白衣姿がなぜか頭に浮かんだ。錆びたネジを巻くような鋭い鳥の声がそのイメージに重なった。
──鳥の姿を探して思わず上げた視線が、高所の枝葉が重なり合うその奥に、鮮やかな紫色をとらえた。
もしかすると、鳥は侵入者がいるぞと庭園の主に警告したのかもしれない。
木の葉の奥に、じっとこちらを窺う何者かがいた。その圧倒的な気配に鼓動が早くなっていく。
がさり、と葉を揺らして枝の上に立ち上がったのは、長く黒いたてがみを腰まで垂らしたすらりとした竜だった。
僕が4階の飼育室でたまに見かける幼体ではなく、成体の証であるティアラのような冠棘を頭に戴く大人のバハムートで、毒蛇のような細い尾を優雅に揺らしながら僕たちを見下ろしている。
息をのむ僕を見て先輩が小さく笑みを浮かべ、「ラッキーだな」と言った。
ヒトではあり得ない形に湾曲した下肢、枝を鷲掴みにする鋭い鉤爪。彼女がその気になれば、僕なんか一瞬でボロ布のように引き裂かれてしまうだろう。
黒い装甲板が全身のほとんどを覆っており、隙間からわずかに覗く皮膚の白さが際立っていた。
瞬きすらできない。
あんなにもヒトに似ているのに…いや、むしろ人間に似ているからこそ、生物としての違いをまざまざと見せつけられているように感じた。ぞくりと背中が震えた。これは恐怖──?
「すごいだろ。本物のバハムートだ」
「本物?」
僕は思わず振り返って先輩の顔を見た。
「随分前の野外調査の時に持ち帰った卵らしい。4階にいるクローン体とはワケが違う。唯一孵化まで漕ぎ着けたんだと。貴重だぜ。今は……」先輩は視線を彷徨わせ、言葉を切った。ほんの一瞬伏せた顔を上げて、先を続けた。「今はバハムートが育てるくらいライフストリームが豊富な場所はみんな人間のものになっちまったからな」
フィールド調査を専門にする先輩の言葉に僕は曖昧に頷いた。
野生のバハムートの生息数は年々減少していると聞く。彼らの卵はライフストリームを多く含む清澄な水の中でしか育てない。そうした場所のほとんどは神羅カンパニーが魔晄炉を建ててしまった。
人間よりも遥かに強靭で長い年月を生きるバハムートだが、人間による魔晄の大量消費という急激な変化に適応できなかったのだ。天然のライフストリームに強く依存する彼らの命運は風前の灯火だった。
いずれ研究室の中でしか生きていけない生物になるというのが、悲観的な一派の予想である。
彼らから生息地を奪った神羅カンパニーの一部であるこの研究所で、濃縮された魔晄液に浸されて培養器の中で産声を上げるバハムートたち。同じ遺伝子を持つクローンの群れ。
確かに特別だ。このバハムートも、この場所も。
枝が大きくしなる。彼女が跳躍したのだとわかったのは一瞬ののちだった。日差しが遮られ、片翼の竜の影が地面に落ちた。熱帯の植物が放つ強い花の香りを含んだ風が吹きつけてくる。
軽い音ともにしなやかに着地を決めた彼女がゆっくりと顔をあげる──
僕の喉がごくりと鳴った。
成長することなくすでに死亡したものと思っていた、赤い瞳の竜が、今目の前に立っていた。
あの日教授の部屋で見た古い記録映像にあったのと同じ、強い光がその瞳に宿っている。そして、その顔。神の腕前を持つ職人が作り上げた仮面のようだと思った。夜の世界を支配する女王のための仮面だ。
「ティファっていうんだ」と、どこか誇らしげに先輩が言う。「生命の樹の構成要素のうち、美を象徴するティファレトにあやかって名付けられたそうだぜ」
「ティファ…」
ただの個体識別のためのIDではない、意味を持った名前──その名前を口にすると、舌が甘く痺れるような感じがした。生まれて初めて発した音の連なりが生み出す振動が、僕を静かに揺さぶっていた。
僕の呟きが聞こえたのだろうか。彼女は小首を傾げて、じっとこちらを見ていた。
そのティファは形のいい小鼻を動かし、恍惚としたように目を閉じた。
次の瞬間、僕はぎくりとして体を硬直させた──数メートルの距離などまるでなかったかのように、彼女がすぐ目の前に滑り現れたのだ。よろめいて尻餅をついた拍子に、うっという情けない声が僕の口から漏れた。
彼女の太ももを覆うぬらりと光る鱗と鋭利な小刀のような爪が目に入り、ヒヤリとしたものが背中を走る。視界の端で、先輩が顔をこわばらせてこちらを凝視していた。
限界まで見開いた瞼に一筋の汗が流れこみ、ひりつくような痛みを感じた。夢の中で溺れているみたいに満足に体が動かない。ティファの背後の草むらから、飛び立った蝶の微細な触角の動きがやけにはっきりと見えた。
ティファがすい、とその顔を僕に近づける。
ちらちらと熾火が輝くように、ティファの深紅の瞳に光が踊っていた。彼女の首に嵌められた、不恰好な電子錠が発する光が反射しているのだ。
「──────」
ぽってりとした唇を僅かに開き、ティファは僕の耳に何かを囁いた。遠い異国の子守唄のような響きだった。敵意はない。
僕はハッと顔を上げた。彼女は何かを伝えようとしている…?
「ねえ──」
僕が口を開くと同時に、ティファが素早く視線を上へ向けた。目を細め、何かを注視している。
何を見ているのだろう──見上げた先には密に重なり合う枝葉と太い蔦が絡まる木の幹があるばかりだ──と思ったその時、僕の肩がぐいと引かれた。肩に置かれた、関節の目立つ手を払い除けると、今度は頭に衝撃が走った。先輩が僕の頬を叩いたのだと理解するのに数秒要した。未だ呆けたような顔をしているであろう僕に向かって、険しい表情で先輩が怒鳴る。
「おい、しっかりしろ!」
先輩は僕を抱えると、ゆっくりと後ずさった。どこか高いところで鳥が羽ばたく音がした。
「…悪い、近づいてくることなんて今までなかったから油断した。俺のミスだ」
先輩の硬い声に、僕はようやく事態が飲み込めてきた。あと一歩で重大な事故につながっていた可能性だってあったということを。
すみません、と口の中で呟きながら、僕は背後に目をやった。
遠ざかる世界の中に、悠然と佇むティファの姿を見た。その口が声を出さずに言葉を刻む。多分、さっきと同じ言葉を。
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