悪食(14) FF7二次創作小説
注意書き:FF7エバークライシスのバハムート衣装に着想を得て書いた二次創作小説です。いえ、二次創作小説のはずだったんですけど、設定とか話が独特すぎて二次創作とはいえない感じに仕上がっています。
それでも良いという奇特な方向けですので、どうぞご了承ください。
第一話のリンクはこちら。
第十四話
シャッという鋭い音が僕の耳に飛び込んできた。同時に、薄く開けた瞼の向こう側が一気に明るくなり、額から頬にかけての皮膚が穏やかに温められるのを感じる。
その時、ガタガタと騒がしい音と共に、「うおっ、起きた」という呟きが聞こえたかと思うと、僕の顔に覆い被さる影があった。なんとなく面倒くさい気がして、僕は軽く顔を背けたが、見なくてもわかる。先輩だ。
「おい、大丈夫か? もしかして眩しいのか? カーテン閉めとくか?」
ごろりと背を向けた僕に向かって先輩が言う。シャッという音と共に部屋の中が少し暗くなった。
「ここどこかわかるか、ってわかんないよな……病院だぞ、ここ。お前倒れたんだって? 何やったんだよ。なんか欲しいものあるか? ああ、やっぱいいや。ちょっと待ってろ、すぐ誰か呼んでくっから」
僕がかろうじて挟んだ「よく覚えてません」という答えは彼の耳に届いたのか届かなかったのか。硬いものが倒れる音に続いてガラガラと戸を開く音がした。先輩は、部屋の外で誰かにぶつかりそうにでもなったのか「すんません!」と大声で詫びた。「せんせー!」という声と共にばたばたと足音が遠ざかる。
病院──先輩の言った単語を頭の中で反芻する。鈍い頭で辺りを見回した僕は、真っ白な天井と細い銀色の支柱をぼんやりと認識した。支柱の先の鉤には何種類かのプラスチックバッグが下げられていて、そこから伸びる透明な管は僕の左腕へと繋がっている。あたりには消毒薬の匂いがした。僕はどうやらベッドに横になっているらしい。それも点滴付きで。
夢……だったんだろうか。
親指の皮膚を鋭い犬歯が抉る感触、僕の上にまたがり腰を振るティファ、尾を突き立てられた時の胸の痛みとその傷口からどくどくと広がっていく毒のような熱──清潔で明るい部屋の中では、それらの像はぼんやりとした影のようなものにすぎなかった。どれもこれも現実感が乏しく、本当にあったこととは思えなかった。
僕は左手をまじまじと見つめた。血色が悪く、白さの目立つ僕の手は、少し乾燥して荒れているがどこにも傷はない。親指の腹に微かに疼くような違和感はあったものの、それもすぐに起き抜けの気だるい感覚の中に馴染んで消えた。
シーツをめくって見てみると、僕は淡いグリーンの患者衣を着せられていた。胸の前のあわせをつまんで引っ張ると、痩せた裸の胸が見えた。こちらにも傷はない。体液まみれの素裸の状態で他人に見つかったのかとゾッとしたが、どこからどこまでが現実なのか、正直自信が持てない部分もあった。なにしろ、IDカードのことがある。僕のカードに高い権限は付与されていないのだから、「第七天」に入れたはずがないのだ。ということは、「第七天」の夜の庭園で起きた何もかもは、僕の頭の中の出来事だったと結論づけるしかない。
拍子抜けしたような、安心したような。よくわからない鬱憤を込めたため息を一つつくと、僕はどさりと腕を投げ出した。
あれが夢だったとしたら、僕は相当欲求不満を抱えていたらしい。確かにストレスではち切れそうな状態だったという自覚はある。そういった無理が体の不調となって表出した……と医者には言われるに違いない。
「細胞……全部ダメになってしまっただろうな…」
ポツリとこぼしてみると、どうしようもない虚しさが腹の中を満たした。腎臓も、肺も、血液も。常温で放置され、ゆっくりと死んでいってしまったに違いない。当然悔しさはある。だけど、取り返しのつかない失敗をした今、僕が感じたのはバハムートに対する微かな罪悪感だけだ。僕はあのバハムートを二度殺したのだから。教授は許してくれないだろう。僕が望むにしろ望まざるにしろ、この研究所での生活は間も無く終わりを迎えるに違いない。
なんとなくめぐらせた視線の先、窓の外に鳥の姿が見えた。葉を落とした冬の木の枝の上で寄り添う2羽の小鳥だ。鳥たちの向こうにはゆったりと流れる白い雲があった。ぐっと力を入れると、硬いシーツが手の中でくしゃりと皺を作った。判読不可能な文字が走り書きされた点滴から絶え間なく雫が落ちている。
じわり、と目に水の膜が張っていく。泣くものか、僕にその資格はない──そう思う端から涙がこぼれ、枕を静かに濡らしていった。僕は瞼に力を入れて、嵐が過ぎ去るのをじっと待った。
どれくらいそうしていただろうか──なんだか喉が渇いたな……そういえば、先輩はどこまで医者を呼びに行ったのだろう。先輩、いつもと違って見えたな。やけに静かな部屋の中で、僕はぼんやりとそんなことを考えていた。
重たい体をなんとか起こすと、床に散乱する紙の束がまず目に入った。紙には全てびっしりと文字が書かれている。行間が広く取られたフォーマット、左端に振られた行数、右側には吹き出しの中にコメントが多数。書きかけの論文だ。ミディールに調査旅行に行った先輩が、その時のデータをまとめているのだろう。ちらりと見えた仰々しいタイトルから、バハムートにまつわる新たな地域伝承に関する報告らしいということがわかった。また業績を積み重ねているというわけだ。
頭のどこかで予想していたような衝撃はなかった。嫉妬もなく、悔しさもなく、ただぼんやりと「ああ、すごいな」と思っただけだ。僕は冷たい床の上をのろのろと歩いていき、倒れていた丸椅子を直し、ざっと順番を確かめてから集めた紙の束をその上に置いた。その時、ベッドの影に大荷物があるのに気がついた。丈夫な布でできたバックパックに鍋やらコップやらがぶら下がっている。
先輩の後ろ姿を再度思い出し、違和感の正体に辿り着いて僕は「ああそうか」とひとりごちた。ぴょこぴょこと跳ねる毛先だ。いつもはワックスで綺麗に後ろに撫で付けている黒髪を、簡単に後ろに束ねただけだったのだ。そういえば珍しく無精髭を生やしてもいた。
先輩は、調査旅行から戻ってすぐ、空港から真っ直ぐに病院まで来てくれたのだろう。身支度も全部後回しで。
彼に全部話してみようか──そんな考えが一瞬頭に浮かんだ。だけど、僕はきっとうまく話せない。自分の研究のことも、動物実験の是非も、ティファのことも、全部ぐるぐる混ざってしまって、先輩を困らせるだろう。
それは嫌だなと思った。それに僕は、先輩にがっかりされたくはない。
研究所を辞めさせられるとも直接言いたくない。できれば彼のいない間にこっそりと去りたかった。でもそれは難しそうだ。
僕はひっそりとため息をつき、もう一度窓の外を見た。鳥たちはすでにどこかに飛び去り、空には分厚い雲が低く垂れ込めていた。
悪天候がやってくる──。