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悪食(1) FF7二次創作小説


──彼らは一対の翼を分け合って生まれるという。両の翼を備えるは、選ばれし者のみ。その者は全てのくびきから解放され、真の自由を得る──


どんどん胎動の間隔が速くなる細長く巨大な卵を大写しにする画面を、僕は呼吸も忘れて凝視していた。卵のすぐそばに映る靴の大きさからすると、卵の長径は90cmを下回ることはないだろう。

薄暗い部屋で僕が画面の中の光景に釘付けになっている間、教授は革張りの椅子に浅く腰掛け、僕の古い学位論文のコピーに目を落としていた。年代物のエアコンが、死にかけの牛の呼吸音のような音を立てている。

画面の中で、薄く湿り気のある卵殻に包まれた幼体が丸めていた体を伸ばし、体の割に大きな蹴爪を懸命に動かした。彼らの蹴爪はハッチングのために発生の早期に発達したもので、それを使って器用に内側から卵殻を切り裂く。孵化の際に親が近くにいることはほとんどないため、自力で卵殻を破れない個体はそれで仕舞いだ。臍の緒につながった卵黄嚢の中の養分を吸い尽くした後に中でゆっくり干からびるか、獰猛な捕食者の餌食になるか。

画面の中の個体は、最初の試練を無事乗り越えたようだ。ねばつく羊膜を纏ってついにその姿を現した。

人間で言えば5,6歳くらいの子どものように見えるが、そうではない。

僕らとは全く異なる生物なのだ──。

初めて見る世界というものにその個体は澄んだ瞳を2度3度と瞬かせ、戸惑ったように辺りを見回した。生まれたばかりの体を部分的に覆う黒い装甲板はまだ柔らかそうで、いかにも頼りない。

ケホケホと咳き込み、肺の中の羊水を吐き出す。大きく息を吸い込むと、胸郭が膨らみ、体側に走る7対の裂け目が紫色に輝いた。

これが”竜の紫”か…!

僕は思わず身を乗り出した。

ヒトを含む普通の生物とは異なり、彼らの体の中には紫色の血が巡っている。酸素を運ぶための赤血球が赤く見えるのは、その中を満たすタンパク質であるヘモグロビンに鉄が含まれているからだ。彼らはヘモグロビンの他に、鉄ではなくミスリルが配位したタンパク質を持つ。ヘモビリジンと呼ばれるそのタンパク質が運ぶのはライフストリーム──星の内部を巡る、高エネルギー物質なのだ。2つの異なる色調のタンパク質があるために、彼らの血は独特の紫色に見える。その色──通称“竜の紫”は彼らが生きて活動している間にしか見られない。体外へ流れ出た途端、ライフストリームが空気中に霧散してその血液はただの赤いものへと変わるからだ。

その幼体は、ゆっくりと立ち上がるとぐっと四肢を伸ばし、辺りを見回した。片方きりの翼はまだ濡れたままで、体の左側を覆うようにだらりと垂れている。

──と、何かに気づいたかのようにピクリと肩を動かすと、それ(ルビ﹅﹅)は首を逸らして天井を見上げた。自身を監視するカメラの存在に気がついたのだ。おそらくはわずかな電子音を聞きつけて。

カメラは遠く、顔は見えない。

もっとよく見ようと僕が前のめりになったその時、小さな体がかがみ込んだかと思うと、細くしなやかな尾がぴしりと床を打ち、画面からその姿が掻き消えた。鞭のようにしなる下肢が画面の外から急襲したのをどうにか視認した次の瞬間、画角がぐにゃりと曲がり、レンズに亀裂が入った。凄まじい一撃の蹴りが監視カメラに加えられたのだ。生後間もない幼体によって。

──カメラが死んで砂嵐で埋め尽くされる直前、画面いっぱいに大写しになったのは、整った造形の少女の顔だった。全てを見透かすような深い赤色の瞳が、僕の心の奥の方にしっかりと根を張り棲み着いてしまったのがわかった。

卵から生まれ、鋼のような装甲板を体表に持つ生物…鉄とミスリル、酸素とライフストリームが血管の中を駆け巡り、彼らの血を輝く紫色で満たしている。

彼らに与えられたのは、遠い異国の神話に伝えられる世界を支える魚に由来する名前──バハムートだ。

なぜ似ても似つかない魚の名前がつけられたのかと訝しんでいたが、生きて動く姿を見て僕はその理由が分かったような気がした。

僕たち人間よりも、「生命の粥」──ライフストリームにずっと近しい存在だからだ。先の神話の中では、天使が大地を支え、牛が天使を支え、魚が牛を支える様子が描かれている。あれは世界の構造ではなく、生命の進化の樹の表現の別バージョンだったいうことかと僕は今更ながらに合点がいった。

美しい、と思った。

「…….……」
椅子に深く沈み込み、言葉を失って呆けたように深いため息をついた僕を、教授がじっと見つめていた。彼らを世界で初めて発見し、バハムートと名付けたその人が。
「君は何が要因だと思う?」
唐突に教授が訊いた。
「え…?」
質問の意図が読めず、言葉に詰まった僕に向かって、僕の書いた学位論文の束をばさばさと教授は振った。

「性別だよ!実験室で生まれるのはどの個体も雌ばかりだ。外部生殖器に一致した内部生殖器を持つのは分かっているが、性分化の決定機構が全く不明なのだよ」
彼女の姿を見た直後に耳にする”生殖器”という単語に、僕はわずかではあるが言いようのない不快感を覚えた。固まる僕をよそに教授は言葉を続ける。
「野外と何が違う。温度か?羊水中の何らかのホルモン濃度か?」

言葉を切り、僕に視線を据える教授の表情が問いかける──君はどう思うのか?と。教授が右手でしっかりと持っている紙の束が再び目に入り、僕は自分がなぜここに呼ばれたのかを思い出した。僕は背筋を伸ばし、膝の上の拳にグッと力を込める。
「pHという可能性もありませんか?」
爬虫類や魚類の性決定メカニズムについて研究していた頃の知識を引っ張り出し、僕は口を開いた。その僕の頭の中をいくつかの魚種の影が泳ぎ去っていく。
「あるいは…途中で性が変わるのかも」

「ほう」と漏らし、教授は目を細める。「君、学位論文の中で面白いことを書いていたろう。”雌にしか尾がないことが何か関係しているのではないか”、と」
考察のセクションに紛れ込んだ、僕の私的な好奇心の発露である一文を拾われて、僕は少々眉をひそめた。研究に余計な私情を持ち込むタイプだと思われただろうか?
「…はい。他の生物では見られないタイプの雌雄差なので気になっています」
慎重に口を開いた僕と対照的に、教授は熱っぽく言葉を被せてきた。
「雌が雄に変化した場合、尾はどうなる?脱落するのか?」
教授の眼鏡がブラインドの隙間から差し込む夕日を反射してギラリと光る。

部屋の中が熱い。ジリジリとした初夏の西日のせいでも、エアコンの調子が悪いせいでもない。目の前の男から放たれる、凄まじいまでの科学への情熱が僕を圧倒している──。

部屋に満ちた熱気が僕にバハムートの尾について一つの閃きをもたらした。
「雄で見られる構造に変化するのかもしれません……例えば陰茎とか」
昆虫の産卵管のような構造をしているため、バハムートの雌が持つ尾には何らかの輸送機能があるのではないかという説が実際にあるのだ。ただし彼らは鳥と同じく総排泄孔から産卵するため、アイデアは外れだ。実際のところ、雌に特有の尾の機能は現在のところ謎に包まれている。

尾が陰茎に再分化するという僕のアイデアは単なる思いつきではあったが、教授の心のどこかにヒットしたらしい。
「それは考えていなかった!いいぞ」
ニヤリと笑った教授が人差し指を立てる。独創性──それは研究者とその卵にとって何よりも大事なものだ。高名な研究者に認められた喜びで僕は腹の中がカッと熱くなった。

「ふむ……なるほど」
教授はデスクの上に散らばる何枚かのCV──研究職への応募の際に送る履歴書のようなものだ──をパラパラとめくり、ぶつぶつと何か呟くと、もう一度僕の顔を見た。「よし…君、いつから来られる?」
「ということは…?」
期待に目を輝かせた僕に向かって教授が頷く。
「採用だよ。一応あと2人ほどコンペティターがいるが決まりだと思ってくれて構わない」
「ありがとうございます…!」

深々と頭を下げた僕は心の中で拳を握り、快哉を叫んだ。1年間という期限付きではあるが、念願のポジションを得られたのだ。


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