エコ改革、我が家の快挙
年初に一時帰国の予定で帰ってきた日本の実家。
のんびりしている間に世界は内省の動きを見せ始め、しばらくの間、田舎で家族と暮らし始めることになった。
不幸中の幸いとはこういうことか。世の中が混沌とする中、自然に囲まれ、穏やかな時間の流れる田舎で安心のある生活を送れることに感謝の念を抱くばかりだ。
エコ意識が芽生え始めた私と衝撃的なまでにプラ漬けな家族との生活はこうして始まったわけだが、それも4ヶ月が経過した。
生活の中心は祖父母。彼らに対して脱プラ啓蒙活動を声高に始めるも、習慣は一夜にして変わるわけでもなく、半ば諦めかけてもいた。目に見えた危険が迫るわけでもないと、何かを変えることは難しいのだろうか。
そんなことを考えていた矢先、ここにきて、遂に成果が見え始めた!
頼るなら、夫よりサランラップと言わんばかりにサランラップを使っていた祖母。残り物はお皿の上に、そのままラップをかけるのが日常だった。エコバッグは活用していたものの、それでもレジ袋をぶら下げて帰ってくることはよくあった。これらの行動には「楽や簡単さ」に重きが置かれていた。
そんな祖母が、最近はなんでもタッパーに詰め替え、シリコンラップをかける。毎日お昼に食べるうどんを買いに行くときには、うどん屋さんに器をもって出かけ、スーパーや直売所ではレジ袋も断ってくる。時にはごめんねと思いながらもプラスチックではない選択肢を、こちらが勧め続けた結果なわけであるが、忘れやすい祖母にここまでエコ意識が定着したのは快挙である。
そんな祖母を大袈裟なまでに褒めちぎると、老いとともに曲がってきた背筋をやけに伸ばして「私だってやれば出来るのよ」と誇らしげに訴えてくる。褒め言葉を全身で受け取る姿勢を「忘れる」ということはないらしい。
本当は、今家にあるプラスチック製のタッパーを全部ガラス製に変えたかったけれど、使えるものをすぐに廃棄するのはリサイクルに出すにしても気が引けたので、劣化するまでは様子を見ながら使うことにした。
シリコンラップも、ミツロウラップなど自然の素材からできたものを使いたかったけれど、なにせ祖母は忘れっぽいので覆った中身が見えないことは致命的なのだ。そこで、信条には反すると思いながらプラスチックではあれど使い回せて、比較的安全なシリコンラップを採用した。これで中身も見えるし、食材を忘れてダメにしてしまう心配も解消できる。
そんなわけで、最近我が家の冷蔵庫の中身は美しい。開けると、全てがきちんと容器に入るかシリコンラップがかけられている。
おばあさま、夢のようで孫はとても嬉しいです。
一方、こちらの方が説得が難航しそうと思われていた、我が道を貫き通す頑固じじい系の祖父はといえば、良い意味で期待を裏切り、一瞬にして優良エコ人材になった。買い物にはエコバッグを!と渡してみたところ、その昼から毎回愛用し始めたのだ。素直さを兼ね備えていたとは驚きだ。
初日の買い物から帰ってくると、2円ほしいかと言うが...意味がわからない。よくよく聞くと、バッグを持参したために2円値引きされたのだという。
つまりは可愛い孫のおかげだという絡みだったわけだが、そこは何ともわかりづらい男である。啓蒙するべきはコミュニケーション力であるようにも見えたが、それは私の管轄外であるため何もなかったこととすることにした。
それにしても、彼らの柔軟性には感服する。長年培ってきた生活習慣や価値観を一旦脇に置き、新しい考えを柔軟に聞き入れ、取り入れようとしたのだ。彼らの半分以下の年月しか生きていない私でも、そんなにすぐに自分を変えられるかと言ったら疑問符がつく。祖父母を通して、「素直さ」の魅力を再確認させてもらった。
孫は大変満足しているが、我が家のエコ改革は始まったばかりだ。次は洗剤の見直しとコンポストの導入を実現したいというのが目先の目標である。
ちょっぴり自信をつけた孫が進める、我が家のエコ革命はこれからも続く。