ADHDの息子が海外インター校で変わった話④コミュ力とはなんぞや
マレーシアクアラルンプール在住の
美帆です。
マレーシアで3人の子育てをしています。
長男は8歳の頃、注意欠陥多動性障害、ADHDと診断されました。
3年前、中学1年時の偏差値は35。
そんな長男をマレーシアのブリティッシュ系寄宿制
インターナショナル・スクールへ入れて3年。
息子はこの学校で
成績優秀者として2年連続でトロフィーを獲得するほど
成績の良い生徒となりました。
それはどういった要因によるものか。
日本との違いは何か。
考えたことを書いています。
企業が求める人材像は…
採用シーズンになると「企業が新卒社員に求める人材像」などという記事をよく見かけます。
私は日本で働いていたころ、採用に関わったことがあり、そういった記事もよく読んでいました。
「新卒採用で採用担当者に聞く!
求めるスキルは?」
そんな特集をよく見かけていました。
そこで1位だったのは
「コミュニケーション能力」
何年もこれがダントツ1位。
画面の向こうの方に聞きたい。
あなた、これ、習いました?
採用担当者が欲しいのは
「コミュニケーション能力、コミュ力の高い人」
なんです。
2位は圧倒的に差をつけられて「語学力」
2位の語学力、英語は教えられました。
だったら1位のコミュ力も、教えられてもいいはず。
ADHD長男のコミュ力、「コミュ力を伸ばす教科」が海外にはある
相手に自分の意思や想いを筋道立てて伝えることが出来る、ことや「言葉のキャッチボールが出来る」ことがコミュ力だとすると
ADHDの長男は、この「コミュ力」が弱いです。
例えば皆でAについて話していたとします。
息子が「そう言えばAに関連してBも考えないとな」「BにはCというオプションもあるな」「だったらDをやるといいな!」と、頭の中で考えた場合、いきなりDだけ一人で熱弁してしまいます。
B、Cが見えない周りの人は「ぽかん」とするばかりです。
日本にいた頃は、仕方ない、と思っていました。
ですが、今の学校、というより、海外の学校にはコミュ力を学ぶ教科があったのです。
少なくとも、アメリカにもイギリスにもオーストラリアにもあり、アジアでは韓国やシンガポールも大きな予算をつけて始めているそうです。
人気教科で、例えば将来「医師」を目指す場合はコミュ力は大事だ!ということで、選択科目として選ぶ生徒もとても多い。
その教科は
Drama
です。
Dramaという教科
インター校に入れて、私が驚いたのは「Drama」が中学まで必須教科であることです。
日本では学芸会前にしか無いこの「Drama」。
時間割にあり(週2〜3時間、生徒によって変わる)、高校生がもちろんDramaを大学の受験科目に選べます。
最初は確かに驚きました。
ですが、説明を聞いて納得しました。
演劇は
自分の考えや気持ちを「相手にわかるように」表現しないと成り立ちません。
例えば、我が子から実際に聞いた話ですが
劇の中で家族同士「握手」をする場面がありました。
しかし、演者の1人の女子生徒がイスラム教徒でした。
イスラム教では女性が男性に触ることは出来ないのだそうです。
彼女が「私は男性とは握手できない」と言ったことから、「ではこの場面で握手に変わる親愛の情を表現出来ることは何か」を皆で考えることになったそうです。
まさに「コミュニケーション技法」を学んでいます。
握手は親愛の情を示すことが出来る、ということ
それ以外に親愛の情を示すのはどういうやり方があるのか、ということ
を、実践的に考えるのです。
もちろん自分たちで考えるだけでなく、先生から指導を受けています。
演劇では主役だけでなく「群衆」や「効果音」「照明」「音楽」も必要になります。
これにより集団における役割分担も学ぶことになります。
全員が主役、ということにはなりません。
一度も舞台に出ずに裏方に徹することもあります。
その中で「全体で良いものを作る」こと、
より良くするために自分の役割から提案出来ることは何か考えること
提案を相手に説明する力
周りの人を生かすにはどうしたらいいのか考えること
様々なことを学べます。
また、授業だけでなくハウス(寮)対抗のドラマやフィルム(短編映画)のコンペティションもあります。
子供達は主体性も学んでいけます。
コンペティションでジャッジに伝わらなければ、独りよがりであったことも学べます。
これがADHDの我が子にどういう影響を与えているか。
因果関係はわかりません。
が、私はこの教科は、他人とのコミュニケーションに特に問題を抱える子供達にも良い影響があると信じています。
息子は私と意見が衝突することを恐れなくなりました。
言葉で伝えようと努力をするようになりました。
今までは相手に「伝わっていない」と思ったら、同じフレーズを何度も何度も繰り返すだけだったのに、「言い換え」を考えるようになってきました(まだまだですが)。
そして集団における役割分担とは、まさに「ダイバーシティ」で求められることで、我が子は我が子の能力に合った「集団における役割」を考えることが出来るようになる、と考えています。
実際、全体のストーリー作成は苦手だけど明るく、剽軽なダンスが好きでシャイでも無い長男は、ハウスフィルムでは「ラストに一人で踊る役」を演じ、主役では無いものの会場内の笑いを取れたと嬉しそうに話していました。
日本の状況
実は、日本でもこの取り組みは始まっています。
「芸術表現を通じたコミュニケーション教育の推進」
です。
しかし、残念ながらあまり話題にはなっていないようです。
予算も微々たるもののようです。
希望する教育機関全てで実施することも実現出来ていません。
実施している市区町村の予算を見ても、その額は単発のワークショップとその外部講師費だけ、という状況で、しかもおそらく年一回一つの学校の一学年だけ、というところでしょう。
ですが「コミュ力」を教えて行こうという取り組みがあることをもっと多くの方が知れば、この取り組みにもっと予算が付くようになり、いつかは子どもたちが恒常的に演劇を学ぶようになるかもしれません。
コミュ力を求めるなら、コミュ力を伸ばす教育を。
そう考えています。
日本でもこの取り組みが多くの人の目に止まりますように!
ここまで読んでくださりありがとうございます。