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DJ和尚 に学ぶ、仕事論

こんにちは。ライターの矢島美穂です。

昨日は義父の四十九日の法要に出かけてまいりました。

3月末には義父の葬儀があって、そして今回の四十九日。
短期間で数人のお坊さんのお仕事を拝見したわけですが・・・それがめちゃめちゃ面白かった・・・!(というと不謹慎なようですが!)

1カ月前:「こういうもの」だと思っていた葬儀

義父は若いころからしょっちゅう様々な大病を患い続け、さらに勉強好きな性格も相まって、自分でお経を唱えられるほどに仏教に救いを求め、その世界に精通していた様子。

にもかかわらず、葬儀場や日程の都合だったのでしょうか、先日の葬儀では実は義父には縁もゆかりもない宗派のお坊さんがお経をあげてくださいまして。さらに、後から聞くと仏門には入っていながらも、いわゆるバイトさん的立場だったという噂も・・・。
いまいち抑揚のないお経で、言うなればみんなが「これ、いつ終わるのだろうか・・・」「延々と繰り返していないですかね?」みたいな。クライマックス的な盛り上がりがない。さらに終われば、ペコペコしながら去っていく・・・。

いや、わたしは仏教に全く詳しくないですし、もともとお経を聞くってのは「そういうもの」だと思っていたから、それに目くじら立てる気持ちもなかったのですが、いわゆる「ありがたみ」をさほど感じなかったのが正直なところ。

昨日:「四十九日」レボリューション

そして迎えた昨日の四十九日。

義両親は、数年前に義実家の近くに墓地を購入しました。
宗教や宗派などは関係なく眠ることができるいわゆる「霊園」ですので、昔ながらの垂直に石が高く立つ仏教的なお墓の隣に、十字架が刻まれた墓石があったり・・・。
そんなわけで四十九日の納骨の儀も、霊園の管理事務所のホールに、その都度その家庭がお願いした住職さんをお呼びしそこでお経を聞く、というスタイル。

間もなくお時間・・・というタイミングで様子を覗きに来たのは、想像以上に若いお坊さんでした。

・・・が、このお坊さん、超デキる人だったんです!

当初10:00からスタート予定だった法要なのですが、わざわざ少し早めに部屋を覗きにきてくれて、一通り顔ぶれがそろっていることを知ると、「では、始めましょう!」と繰り上げスタート。
融通利くなぁ、今風な運営でありがたいなぁ・・・と思ったのもつかの間、お説教が非常にわかりやすい!

死をどんな風に捉えたらいいかをまず説いてくださった後、様々な儀式(?)を進めるタイミングで「自分が今から行うことはどんな意味合いがある」のかとか、「自分が口にする歌(と言っていました)の歌詞はこういうもの」だと翻訳してくれたりとか。そういうのを知ったうえで見るから、列席者も形式的に眺めるのとは違って、飽きないんですよね。

次女(5歳)はいま目にする様々な職業に憧れ、葬儀では「お骨を拾うお仕事もしたい」とまで言うほどだったのですが、前回の葬儀後「お坊さんはいやだ」というので理由を聞いてみると、「何やってるかわかんないから」と言っていたのですが。
その次女も、今回のお経を聞きながら「きょうはなにをやってるのかわかるね!!」と耳打ちしてくるほどにわかりやすい。

そしてついに、その時が・・・

そして、ついにその時はやってきました。

故人さまはとても信心深く、入院なさるときは取るものも取りあえず・・・といった状況だったにも関わらず、お経の書かれた本だけはお手元にお持ちになって病院に入られたというエピソードを、先ほど奥様からお伺いしました。
そこに書かれたお経というのは、○○というもので、△△という人が~~ということから書き上げた(?)ものとされています(←ごめんなさい、不勉強で全然細かい部分は覚えておりません。笑)。
本来○○は全5章からなる、長いお経なのですが、故人さまが大切になさっていたというこのお経の中から、本日は第1章をお経としてあげさせていただきたいと思います。

え~~!!!!DJじゃん!!!!DJ和尚じゃん!!!!
こんな、「リクエストにおこたえして・・・」ってライブ感のある法事、初めて!!!!

平均年齢はかなり高く、さらにみんな神妙な顔はしておりましたが、きっと心はアゲアゲ・・・
「よかったねぇ~お義父さん、本当によかったねぇ~!!!」という思いにつつまれながらみんなに見守られ、義父は仏になりました。

その後も、墓前に移動していざ納骨ってときも、「墓石の下に置いた骨壺をみなさんしっかり覗いてください~。誰がどのお骨か、わからないなんて悲しいですからね~。ちなみにここが満室になってしまった時には、手前にある砂の部分を使って順繰り自然に還していくことで子孫のスペースも確保されますよ~」的なお話をしてくれたり。

お作法的にわからないことがあっても、「これでいいですか?」ってフランクに聞ける空気も纏っていて、儀式・形式を重んじるのではなく、リラックスして義父に寄り添うような場を作り上げてくれました。

残された爪痕に思う「仕事論」

法要って、正直「面白いもの」ではないと思っている人がほとんではないでしょうか。

神妙で厳粛な気持ち、とか、故人を想う気持ち、あるいは義理で列席する人はなんなら「ぶっちゃけ面倒」くらいな気持ちはあっても、「いや~今日の法事は楽しかったね~!面白かったね~!!」とはなりにくい。
けれど、それを軽やかにやってのけた、あの若いお坊さん。
それでいて、その儀式の本質的なことをきちんと心に刻み込んでくれた仕上がりは、本当に見事でした。

お坊さんと言えば、ただただ何となく「ベテランの方がありがたい」とか思いがち。
そしてお坊さんも、「滞りなくお経あげておけばそれでよし」と思っていそう。事実、私たちもそれ以上望んでいないし。

でも、どんな仕事においても、仕事への付加価値のつけようはいくらでもあって、「自分だけの仕事」はいつでもどこでも生み出せるものなのだなぁ、と改めて思い知らされました。
「まずは経験を積んでから」と思ってしまえば、時計の針がグルグル回るのを待たざるを得ないけれど・・・時計の針が回る最中も、人柄やその人だけの引き出しの中身をしっかり耕すことができていれば、いつも十分に相手を納得させられる。
いつも、仕事を誰かの、そして自分にとっての「エンターテインメント」にすることができる。
その事実を目の当たりにして、ものすごい勇気や希望を受け取った気分です。

夏の新盆では、今度は義実家にお経をあげにきてくださる予定とのこと。
今度はどんなライブが繰り広げられるのか。
法事が楽しみになるなんて、初めてだ。
ありがとう、DJ 和尚。


▼フリーライター・一田憲子さんのWebサイトで連載をしています▼
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矢島 美穂|本の言うことを聞くライター
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