3回目の3月9日
今年も3月9日を迎えました。
お母さんとお別れして、3年です。
今日はいつも通りお店に立って、
いつも通りに過ごしました。
でも、いつもより、お母さんを感じながら過ごしました。
夜、お家に帰ってきてごはんを食べました。
BGMはお母さんが好きだった、ユーミンや小田和正さんを流しました。
泣くしかありませんでした。
2年が経つと、毎日「お母さんお母さん」って考えなくなりました。
3年目はふとしたときに、お母さんを感じるようになりました。
今日は、せめて今日は、3年前のことを、今日までのことを考えよう、思い出そうって、お母さんを想うと、ああ、やっぱり寂しいなあって未だに思っていることに気づいてしまいました。ぽろぽろ溢れました、いまもパチパチとキーボードを打ちながらぽろぽろです。
お母さんがいなくなって、
私は、より私らしく生きられるようになりました。
お母さんがどう想うか、悲しまないか、そのことを私はずっとずっと考えて生きていました。と、いうことに気づいたのは、この1、2年のことです。もちろん、生前、私は自分でたくさんのことを選んではいましたが、やっぱり根底にあるのは、お母さんが喜ぶ顔が見たい、というこども心。
お母さんに愛されたいという素直な気持ちの現れだったと思います。
(やまほどの愛情を注いでくれていたとも思います。)
そんな、土台を、指針を3年前に突然失った私は、
あらゆることを私自身で選ぶしかなくなりました。
はじめのころは、落ち着かなかった、不安でした。
いつも”お母さん”で決めていたことも痛感しました。
けど、そのおかげで、私自身をしっかり見つめるようになりました。
私はどうしたいの?って。
自分だけで選び、決断していくことはときに恐怖も伴うし、
ぽんこつなへんちょこな私もいますが、
そんな私でいるから、
そんな私でさえも好きでいてくれる、そう、あなたがいてくれるおかげで、
いまの私があります。
(ほんとうにありがとうございます。)
28歳のいま現在、私の人生最高だなと思っています。
その最高はいまの最高なので、
もっともっと高くなる予定です、そして最幸です。
こう、思えるように、
こう生きられるようになったのは、
あのときお母さんとお別れしたから。
お別れをもって、「自分の人生を生きる」という、
私の指針になってくれたんだと、いまはたしかに思えます。
当時は、こう思えるときがくるなんて
想像もしませんでしたが、そうくるか・・と。
やっぱり偉大だと思い知らされます。
ありがとうね。
私らしく生きている私を見て、
きっと笑ってくれてるんだろうと思ってるよ。
お母さんとの別れは今日も悲しいけれど、
あれからね、私にはたくさんの居場所ができたよ。
逢わせたいほどあたたかで、
すてきなひとたちの中で、毎日過ごしているよ。
叶わないけど、逢ってほしいなあ。
お母さんの周りのみなさんにも、よくしていただいているよ。
好きなことを好きでいることをいつも応援してくれていたから、
そのまま私は生きています。
おかげさまで今日もしあわせだよ。