【My Story#12】兼高かおるさんの言葉
システムエンジニア時代も、マーケティング時代も、データを駆使し、ロジカルに説明するのが得意だった、左脳派の私。
それなのに、人生最大の転機では、なんのロジックもなく、とりあえずオーストラリアに行くことを決めました。再就職活動をすれば、働かずして失業保険を半年間もらえることもわかっていました。でも、そんなことをしたら、自分が腐ってしまうと思ったのです。それに、日本にいると、あれほど好条件で、ネームバリューのある会社を辞めてしまった自分を責めてしまいそうで怖くもありました。
今までの私のことを誰も知らない、まっさらな世界に、すぐに行きたかったのです。
36歳でした。キャリアチェンジのことは五里霧中でしたが、中途半端だった英語を、この機会にガッツリ勉強して、ペラペラになることで、次につなげようと思いました。
最初はメルボルンに行こうと思い、周到に情報収集していたのに、実際に行くことにしたのは、まさかの西オーストラリアの州都パースでした。たまたま雑誌で紹介されていたパースの、突き抜けるような青空とスワン川の写真に添えられた、「パースは世界で一番美しい街」という兼高かおるさんのコメントを見たときに、直感が「ここだ!」と叫びました。
子供のころから「兼高かおる世界の旅」は大好きなテレビ番組でした。ですから、兼高さんの言葉が、天からのお告げのように響いたのです。私は雑誌のページを切り取り、クリアフォルダーに入れて、ことあるごとに眺めました。
パースにあるカーティン大学附属の英語コースに申し込み、学生ビザをとりました。
2004年3月、両親に見送られて、関空からパースに向かって旅立ちました。