Miho Woodgate(海外女性経営者、スモールビジネス専門コンサルタントxコーチ)
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【My Story#17】まさかのバリ島移住
2008年11月、ついに家の改築工事が終わり、それを祝って、家族3人でバリ島旅行に行きました。
最初の1週間はウブドに滞在したのですが、初日から、夫はすっかりウブドに魅了されてしまいました。ウブドはビーチエリアから小一時間ほど内陸に入った、のどかな田園エリアです。標高が高いので比較的涼しく、緑が濃く、景色の素晴らしい場所がたくさんあります。また、バリの伝統芸術・芸能の中心地で、バリ絵画、バリ舞踊
【My Story#16】下宿屋のおかみさん
夫と共同購入した家は、築45年のこじんまりした中古住宅でした。広い裏庭には、ピザ窯の小屋がありました。この家を1960年代に建てたのは、ポルトガルからの移民家族で、毎週日曜日になると、奥さんが薪でパンを焼き、いい匂いが通りにあふれていたそうです。
夫は、大工仕事が大好きで、セミプロ級の腕をもっていました。古い家を、自分で少しずつ改築し、とても素敵な3LDKに生まれ変わらせました。ハウジング専門雑
【My Story#15】本当の自由はとても不自由
思春期の頃から、親の敷いたレールの上に乗る人生なんてありえない。私は私の人生を自由に生きるんだと思っていました。
会社でもそれなりに評価され、行動力がある方だと思っていました。でも、大学院を修了して、完全に自由になってみて、これが大いなる勘違いだったということがわかりました。
よく考えてみれば、会社員時代は何をするべきかは会社が決めました。大学では先生が決めました。私は、それを達成する方法を考
【My Story#14】会社員マインド vs 起業家マインド
私と夫は、生まれ育った国と文化が違うということ以外にも、大きな違いがありました。
それは、お金に関する考え方です。
彼は20年来のフリーランスのフォトグラファーで、会社員経験はほぼありません。また、夫の父親は現役時代はイギリスで事業を営んでおり、サラリーマン家庭ではありませんでした。お金は自分で稼ぐ、自分で増やすというスタンスの家庭環境で育ちました。
一方、サラリーマン家庭育ちの私は、会社か
【My Story#13】オーストラリアで自信喪失
大学・大学院進学準備のためのアカデミック英語コースで、若いアジア人留学生たちに囲まれながら、英語の勉強にどっぷり専念しました。日本人の友だちもできました。
人生ではじめて、シェアハウスに住んでみました。私は自分のプライバシーがないと落ち着かないタイプで、見知らぬ人と同じ屋根の下に住むなんて、それまでの私には、とても考えられないことでした。でも、折角の機会なので、これまでの自分だったら絶対にやらな
【My Story#12】兼高かおるさんの言葉
システムエンジニア時代も、マーケティング時代も、データを駆使し、ロジカルに説明するのが得意だった、左脳派の私。
それなのに、人生最大の転機では、なんのロジックもなく、とりあえずオーストラリアに行くことを決めました。再就職活動をすれば、働かずして失業保険を半年間もらえることもわかっていました。でも、そんなことをしたら、自分が腐ってしまうと思ったのです。それに、日本にいると、あれほど好条件で、ネーム
【My Story#11】人生を変えたボストン・ノート
休職中、自分が情熱を持てることを探して、いろいろな本を読みました。その結果、産業心理や人材開発、人材育成などに関することに興味があることがわかってきました。
三つ子の魂百までとはよく言ったものです。幼稚園の頃、「はたらくおじさん」が好きだったこと、小学校の頃、学校の先生になりたいと思ったこと、高校生の時の進路指導で人に関わる仕事をしたいと書いたこと、大学生の時、家庭教師のバイトや教育実習が楽し
【My Story#10】Why not?
そもそもコンピューター好きではない私が、IT業界にいるのはもう限界。そろそろ卒業して、自分が情熱を持てる業界に移らないと、年齢的にも手遅れになる と焦り始めました。
結婚願望はなかったので、婚期を逃す焦りはなかったのですが(笑)、キャリアチェンジ適齢期を逃すことが心配になりはじめました。
当時、海外留学してMBAを取ることが流行っていました。海外のMBAを取れば、再就職に有利だと思い、チャレン
【My Story#9】安定か自由か?
この頃、友達がちらほらと家やマンションを買い始めました。私も触発されて、週末になると物件を見て回ったりしました。安定した大企業勤務の上に、外資系でサラリーが高かったので、高額の住宅ローンも問題なく組めるようでした。
あるとき、世田谷区にある一戸建ての物件が気に入り、買おうかどうか迷いました。30年の住宅ローンの見積もりも作ってもらいました。ある日曜日の夕方、不動産屋さんにお願いして、その家でしば
【My Story#8】なんのために?
このように学びは大きかったのですが、1台でも多くパソコンを売るという使命には、どうしても感情的にコミットできませんでした。感情的なコミットメントがなければ、がんばる原動力がありません。ガス欠です。
そんな状態でしたから、仕事に結果を出せず、評価も芳しくありませんでした。入社10年をすぎて、はじめて仕事で自信を喪失しました。
そして、こんなことを考えるようになりました。
一台でも多くパソコンを
【My Story#6】ブリスベンの衝撃
そんなころ、オーストラリアにアジアパシフィック全体のパソコンのコールセンターが設立されました。私はセンターの立ち上げを手伝うため、ブリスベンに2週間ほど海外出張に行きました。
コールセンターのマネージャーは、ヨーロッパでのコールセンター設立の実績をかわれて、ブリスベンにやってきたイギリス人男性でした。腹心の部下2名もイギリスから連れてきていました。週末、数名の同僚と一緒に、マネージャー宅のランチ
【My Story#4】20代女子の願望
当時のIT業界のご多分に漏れず、労働時間はとても長かったです。深夜残業はあたりまえで、夜中にタクシーで帰宅することもしばしばでした。週末もよく働きました。それでもイヤイヤやらされている感じはなく、仕事が好きでした。
今振り返ってみれば、仕事が好きだった理由は、会社から与えられた仕事が、当時の私の個人的な願望を叶えてくれていたからです。
具体的には、
①経済的に安定・自立すること
②自分が成長し
【My Story#3】舞台は大きいほうがおもしろい
バブルがはじける直前の1990年に大学を卒業し、アメリカのコンピューターメーカーIBMの日本法人である日本IBMに、システムエンジニアとして入社しました。
入社数ヶ月前に送られてきた書類の中に、勤務地の希望を書く欄がありました。私は関西生まれの関西育ちなので、自然と大阪勤務を考えていました。ところが、その書類を郵便局に出しに行く車のなかで、突然こんな考えがヒラメキました。
「舞台は大きいほうが
【My Story#2】子ども時代
時代の価値観
私は1960年台後半の高度経済成長期に、兵庫県の赤穂市に生まれました。父は
大手繊維メーカーの会社員でした。母は結婚前は幼稚園の先生をしていて、子どもが大好きで、料理が得意な専業主婦でした。三歳年上の兄と四人家族で、兵庫県と奈良県で育ちました。
父は十一歳のときに空襲で父親を亡くし、経済的に苦労して育ちました。子供の頃の夢は、白いごはんをお腹いっぱい食べることだったといいます。