わたしの想い
『わたしの想い』
もうすぐ、≪本質的な叡智のバトン≫が出雲で開催されます。
先日のブログで参加することを書きましたが、
家庭の都合で行けなくなってしまいました。
だけれど、
わたしの想いは変わらないから…。
ここに、
なぜこの社会情勢の中、出雲へ参加しようとしていたのか、
記事に残しておこうと思います。
✳︎
≪本質的な叡智のバトン≫をよく知らない方の中には、
「バトンという場は、
カウンセラーのそらさんという方がお話をするのでしょ?
じゃあ、もう問題を感じていない人が参加する必要はないのではないかな?」
そう疑問に感じる方も多いかと思います。
そう感じることは当たり前なことだと思います。
そういうカウンセリングとか、
そういう人との関わりしか世の中にはないから。
私は、確かにバトンに参加したことで
何でも人並みにできるようになりました。
精神的な病で7年間病んでいたことが
大げさじゃなく一瞬と言っていいくらいで治りました。
そして、幼少期から抱えていた体力がなくて頑張れないという問題すら
数回のバトンで改善して、何でもできるようになりました。
この間の金曜日に
たった二か月弱の短期のフルタイムのお仕事だったけど
無事に派遣期間が終了しました。
そんなわたしの今のフィーリングは
ずっと何年も前から
週5日フルタイムで働けていていたかのような感覚でいました。笑
あんなに、大量の薬を飲んで体力もなく社会に
馴染むなんて…絶対に無理だと諦めていたくらいだったのに。
参加当初は、
精神的に病んでいる状態でしたので、
まず生活すること自体がままならなかったし、
体力もなかったから、
家事なんてできなかったですし、
ましてや週五日働いて自分の生活費を稼ぐなんて…
夢のまた夢のようなものでした。
詳しくは下記のリンクをご覧ください
自分のこと
『自分のこと〈1〉リポビタンD。笑』
https://ameblo.jp/miho-rikka11/entry-12354691332.html
『自分のこと〈2〉自分が無いことは悪いこと?』
https://ameblo.jp/miho-rikka11/entry-12356017927.html
『自分のこと〈3〉頑張ることがないと鬱になる!?笑』
https://ameblo.jp/miho-rikka11/entry-12356948985.html
『自分のこと<4>わたしには心臓がない…?笑』
https://ameblo.jp/miho-rikka11/entry-12370283277.html
身体のこと
『全く違うわたし *1』
https://ameblo.jp/miho-rikka11/entry-12428013349.html
『元気って、こういうこと♪』
https://ameblo.jp/miho-rikka11/entry-12456987217.html
『自分で驚く、劇的な変化♪』
https://ameblo.jp/miho-rikka11/entry-12503135750.html
いまは、信じられないくらいに
心身ともに元気で、
家事もこなしながらフルタイムで働いています。
そして、
「できるようになったこと」それとは別に、
社会の出来事や周りの環境に影響されない
本当の意味での幸せというものを感じられるようになりました。
これは、
そらさんだけでなく…たくさんの方々が関わってくれたおかげでした。
出雲やほかのサロンで
趣味や嗜好や年齢や経歴とは別のところにある、
『本当のわたし自身』を感じようとしてくれるたくさんの方と日常を共にし、
たくさんの方が『本当のその方自身』をその生活の中で感じさせてくれて、
その方から直接その方の『本当の意味での人生』のお話を聞くことができたからです。
そらさんだけでしたら、
ただ考え方みたいなものを知っただけで、
「そんな考え方ができたらいな…」と
積極的に変わろうとしなかったと思います。
長く病んでいましたから。
それから、わたしは
バトン初参加ですぐに薬をやめたのですが、
すぐに断薬をできたのも、
そらさんの周りの方々が過去苦しんでいたのに、
今本当に幸せそうだったから勇気を持てたことです。
そして、
何をやれるようになる必要があって、
何をやらなくていいかを教えてくれたのは、
そらさんではなく周りの人たちでした。
それも、わたしの本質を感じてくれて。
だから、
そんな人たちのように、わたしも人生を生きたい。
過去のわたしと同じように、
なにを信じる必要があるのかすらわからないで
苦しんでいる人たちのために。
苦しんでいることすら気がついていない人たちのために。
✳︎
今回のバトン参加を取りやめた理由は
家族が心配してくれたからでした。
私も、離れて住む親には、
このタイミングで出雲に行くことは話したくありませんでした。
心配をかけたくないから。
でも、難しいけど
心配することが優しさなのかというと
そう思えないわたしがいます。
心配することが優しさだと思ってしまうことは当然のことです。
でも、その人がその人らしく生きることを見守ることも優しさだとおもうのです。
もちろん、自分勝手な好きなことをすることを
見守るというとは全くちがいます。
出雲の人たちや、兵庫とかで関わってくれた人たちのように
その人らしさとか、その人の人生とか
むずかしいけどそういうものを見て寄り添うことも
優しさだとおもうんです。
だから、わたしもそういう関わりをしたいと思いました。
✳︎
わたしは
今のコロナの問題が起こっていないときに
苦しんでいました。
そんな中で、自ら命を終える人もたくさんいることを知っていました。
今もその苦しみの中にいる人はたくさんいて
コロナで苦しんでいる人は確かに増えると大変だけど
もっともっとたくさんの人が、
以前から苦しんでいて今も変わらず苦しんでいます。
わたしもそんな一人でした。
そんな体験をした私が、コロナの問題で
そういう人に関われないというのは
今のわたしにとっては、生きている意味がないくらいに感じてしまいます。
わたしは、本質的な叡智のバトンという場で
心の底から、生まれてきて良かったと思いました。
だから、もしバトンの場でわたしのように苦しんでいる人に関われないとしたら
わたしは生きている意味がないと思うほど
やることのない中で、前のように生きなくてはならなくなります。
わたしはバトンの場で、
人と関わるということの本当の意味を体験しました。
だからわたしは、わたしの人生として
そういう方々に関わりたい。
私なんかが何もできないとわかっていても。
みんなも、自分が何ができるのかなんてわからないで
わたしに関わってくれたから。
わたしは今回行けなくなってしまったけれど。
「あなたの人生に本当の意味で関わりたい」
「本当のあなたを知りたい」
そう想う人たちが出雲では待っています。
わたしのように、県外から
過去のわたしのような人のために
出雲に訪れる人もいてくれます。
本質的な叡智のバトンについて
https://ameblo.jp/sora-ni/
あなたが、
影響を受けることなく人生を歩むことができますように…
問題の処理ではない豊かな人生を感じられますように…
生まれて来て良かったと心から感じ、笑いあえますように…
そう、いつも想っています。
本当に本当に心から。
みほ