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#5【妊娠】切迫早産になってどん底の妊娠生活

2023年4月~東京から沖縄に移住しました。
仕事を辞めて世界一周を夫婦で旅して周ろうとしていた時、妊娠していることが分かり、元々住みたいと思っていた沖縄に移住を決意。
新居に引っ越して3日目、転院先の病院を診察。
#切迫早産  ですと。

子宮頸管16㎜。即入院が多いですが、内服で3日様子を見ましょうとなり、
一度帰宅。

翌日の夜、お腹に違和感があったため夜間急患で診察しそのまま入院。

ただし週数が浅く、母体と赤ちゃんの安全の為にはNICU(新生児集中治療室)とMFICU(母体胎児集中治療室)がある総合病院への転院が良いだろうとなり、2日後に救急車で搬送。
移住して3日目、転院→入院→転院とバタバタと過ぎていった。

沖縄はまだまだ医療機関でのコロナ規制が厳しく、診察を夫と受けることも入院中の面会も一切禁止されています。立会い出産も多くはまだ解禁されておらず、何というかちょっと寂しい、いやとても孤独を感じる。

切迫早産は病気ではない。
珍しいことではないが、その原因は様々で、原因不明ということも多々ある。まさに私の場合は感染等もなく医学的には原因不明の切迫早産。

最初に切迫早産だと診断された日、モニターでお腹の張りをチェックしている時から先生の前では我慢していた涙が止まらなかった。

夫は車で待機してくれていた為、LINEで状況を説明するも、切迫早産についてすら自分で説明しなければならないので、それもキツイ。

車で1時間ほどかかる病院へ通うことになっていたのですが、帰宅の道中はショックで何も言葉にすることができず。

家に帰ってしばらく、やっと泣ける。と思って大泣きしました。何もできずとにかく泣き続けた。

早産になってしまったらの想像から、
こうなったのは自分のせいだ、あの時あんなことしなければよかったの後悔、
そしてこれからどうなるのかの不安。
ひどいお母さんでごめんねとお腹の赤ちゃんには何度も謝った。

引っ越し前に予定を詰め込んでしまったことや、移動での疲れ、引っ越し作業、夫の実家に帰って喘息も出てしまったし、ケンカもして、、
起きたこと全て一つ一つ自分を責めた。

翌日、お腹の張りが気になったため、1時間の移動が気になるも急患へ。
そのまま入院になることは覚悟していたので荷物を準備して行き、結局入院することに。
ここからの入院生活、総合病院へまたすぐに搬送となり約3週間。
そう長い期間ではなかったと思いますが、本当に苦しかったです。心身ともにボロボロ。

  • 24時間点滴のストレス

  • 点滴の副作用 血管痛、吐き気、火照り

  • 注射の副作用

  • 点滴、採血、注射で血管がボロボロ

  • 面会禁止

  • プライベートな時間が少ない

  • 申し訳ないことにご飯が本当に美味しくない

  • 看護師が多く、情報共有できてないのか毎回同じことを聞かれる  

  • 移住者ということで子育ての支援環境について過度に心配される

  • 隣のベッドの外国人が終日電話しておりめちゃくちゃうるさい

  • 半個室だが人が入ってくる度ノックでびくっとする

  • 寝たい時に意外と眠れない

  • トイレが1つしかないし汚い

  • 設備が古すぎてWi-Fiもがない

  • 冷蔵庫はテレフォンカードのようなものを購入する必要がある

  • 泣きたい時に泣けない!!!!

もうあの点滴の辛さは経験したくない。
妊婦殺しのマグセントというあだ名がついているくらい、本当にキツい。
最初に循環を良くするため濃い濃度のものを20分間入れられるのですが、その時私はオペ用の針を刺されていましたので、血管痛は本当に拷問なのか?と思ってしまった(笑)
スピリタスをショットで5杯くらい飲んだかな?というほどの火照りと、同時に突然襲ってくる吐き気。

そこからマグセントの血中濃度を調べるため4時間おきの採血。

キツすぎる!!
まだ切迫早産の状況すら受け入れられていないのに、体もぼろぼろでどうしたらいいんだと。

しかも、切迫早産って子宮頸管の長さが戻ることはなく現状維持をするための対処療法しかないんです。

正直私はお腹の張りも多かったわけではない。
薬の副作用と入院環境の方がキツすぎて別の病気になってしまうんじゃないかと心を完全に閉ざしてしまう。

またもやドン底に落ちたような気持ちを味わい尽くし、切迫早産を受容していくしかない。

これらは何を気付かせてくれるのか?
何を学ばされているのか?
どんな意味があるのか?

受け入れていくプロセスは大変。
だけど必ず意味があると切り替えて、
気付きと学びに変換していっている最中。

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