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誰のために生きてるの?

今さらながら、大ベストセラー「嫌われる勇気」を読んでいる。

読む人を選ぶとは思うけど(過去の辛かった経験や、トラウマに苦しんでいる人にはとってはどうなんだろう…)、自己啓発系の書籍をなぜか避けてきた私からすると、もっと早く読んでおけばよかった…と思えたバイブル的存在になりつつある。学校はまずこの本を教科書にして先生も親も子どもたちも共に学んだら、皆幸せになれるのでは、とまで思ったほど。

今、振り返れば、出産後に参加した子育て講座や、歩き始めたばかりの娘と参加していた森のようちえん、私のまわりの素敵な人たちが話す内容、全部リンクしていて、このアドラーの思想とつながってる。

このnoteでもアドラー心理学の学びを記録していきたいなと思うのだけど、今日は最初「?」だったのが、「!」になり、でもやっぱり「?」…私、混乱してます、というお話。

彼は「承認欲求を否定」しているらしい。他者から承認される必要などない。むしろ承認を求めてはいけない、らしい。

そもそもなぜ承認を求めるのか。
つまりなぜ人は人から褒められたいと思うのか。

多くの場合、それは「賞罰教育の影響」と彼は言う。適切な行動をとったら褒めてもらえる。不適切な行動をとったら、罰せられる。アドラーはこの教育を厳しく批判。

例えば、『駅前のゴミ拾いをしよう!』と決めて行動するあなた。街をきれいにして気持ちよく過ごしたい、というのがおそらく前提にあったはずなのに、その行為を誰にも気づいてもらえない、感謝してもらえないのであれば、やめてしまうかもしれない。つまり、それは「褒めてほしい」という目的が最初にある、という。

アドラー曰く、

「我々は他者の期待を満たすために生きているのではない」。

ユダヤの教えにある言葉、

「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか」

これには頭のてっぺんからつま先まで、重い石がズドーーーーンと突き抜けていったような衝撃を受けたのですが、アドラー先生曰く、「他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになる」と。

私はこのnoteを始めて数日になるが、最初は誰かに見てもらおうなどと全く考えてはいなかった(人からの評価を恐れてなかなか始められなかったくせに、そこは矛盾するのだけど)。でもいざ初めてみると、時々「♡」をいただけたり、最近初めてコメントをくださる方もいて、感激。読んでくれる方がいるというのは、モチベーションUPにつながるし、単純にめちゃくちゃ嬉しい。

ただ、♡がひとつもらえると、次の記事では♡2つを期待してしまう。全然もらえないと、凹む…

つまり「承認欲求の塊」です、私…

他人から承認してもらおうとするとき、ほぼすべての人は「他者の期待を満たすこと」をその手段とする。

うーーーん、たしかに…

自分の思いをぶちまけよう!と思ってnote始めたのに、こんなこと書いても面白くないかも、♡もうもらえないかも、なーーーんて数日書いただけのくせに思ってしまった私がいた。恥ずかし…「自分の人生を生きる!」と決めて始めたのじゃなかったか!

でもさ、普通に読んでくれる人がいる、って嬉しいよね?それはアドラー的にはどう解釈するの??でも嬉しい、と思うことは確か否定はしてなかったっけ…いやはや、何度も読み返したくなる不思議な心理学だね。

そこから話は「課題の分離」に入っていくわけですが…それはまた今度。

承認欲求、もっと掘り下げたい!

私は私のために生きてる、といえるかな。

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