結論は、「過去でも、現状でもない未来を信じる」
タイトルは、今、孤独で心が疲弊している人へのメッセージです。
「きれいごと」と、思った人は、飛ばしてください。
どうして適応障害にならないといけないのか分からなかった。
学校の職員の誰よりも、努力して、
誰よりも、時間を費やして、
誰よりも、子ども一人一人を大切にして、
誰よりも、新しい情報を手に入れ発信して、
どうして、もっと努力しないんだろう。
どうして、子どもの悪口が平気で言えるのだろう。
どうして、私は仕事を熱心にしているだけで笑われるのだろう。
私は、誰も信じられていなかったんですね。
そして、中途半端に自分も信じられなくなっていったんですね。
周りと比べて、自分が正しくあろうとしたんですね。
無理に明るくふるまう事で繋がり、会話が苦手になった
いきなりですが、かなり内気です。
交流は、苦手です。
交流を求めてくる人も、自分ができないからこそ
苦手でした。
過去、現状、そして未来
きっと、適応障害になっていなければ
自分を考え改めることはなかったと思います。
「教員」という狭い世界で、子どもを相手に
「お山の大将」状態で生きていたと思うと怖いです。
今、記事を書いているのは、
同じ境遇の人に、体験したからこそ伝えられる
ことがあると信じているからです。
自分から、「繋がる」ことをしようとしていることに
驚きを覚えます。
「お山の大将」の過去
適応障害のジレンマに苦しんだ現状
人を幸せにする未来
あなたは、どうですか。
今は未来が見えなくても、今は、必要な時間です。
ジャンプは膝を曲げて、力をためないと飛べないし、
ガノンドロフは、めちゃくちゃパンチに時間を
かけてすごいパワーを発揮するし(スマッシュブラザーズより)
力をためていることを頑張っているのだと、
自分を信じましょう。
この、瞬間の自分を最後まで信じてあげること。
未来につながります。
最後まで見てくださりありがとうございます。