言いたいことを言える子供に。
家族で過ごしている日の夕方ごろ。
夫が、さっき言ってたやつどこ行った?というので
目の前にあるやん、というのだけれども
それが探せない人。いつもそうなので、ものすごくイライラする。
それやって、そのティッシュの前にあるやつ。
どこ?
だから、そこにあるやん、目の前!白い小さな袋!
袋?ないけど?
だからあるやんって!もう!!
結局私はいつも取りに行く羽目になる。
それが無性に腹が立って、なんでこれが分からんのよ!
と怒ると、夫も怒り返す。
袋って言ったらビニール袋やと思うやろ!
思わんわ!!
などと口喧嘩をしていたら。
5歳の長男が
「もー!仲良くしてよね!!!」と茶目っ気たっぷりに言ったので
「ごめんなさーい!!」と私もすぐに謝る。
ウフフと息子と笑い合って、夫も苦笑する。
私が子供のころは、親が喧嘩をしていたらすぐに怯えて逃げていたし
母親が怒っていたら、怖くて足がすくんで、何も言えなかった。
こうやって長男が、親である私たち二人に、仲良くしなさいよと
発言できることに、安心する。
昔と違って、核家族は進み、さらに閉鎖的なものになっていると思う。
家族以外の大人とほぼ接することのない子供も多いのではないか。
私は、子供にとって閉鎖的な世界で生きることほど恐ろしいことは無いと思う。
自分の生きている小さな世界だけがすべてだと思っていたら
そしてそれが耐えがたい現実だったとしたら。
そこから逃げる術はなく、自分を防護する方向に心は動く。
結果的に、記憶を無くしたり、感情を失くしたり、人格を分けたり、いろんな影響が出る。そしてそれは、大人になってからも、顕著に人格に出る。
自分が知っている大人が親と学校の先生だけだったとしたら、世界は親と先生だけのルールで回ることになる。
勉強ができなかったら先生からは評価されず、親がさらに評価してくれなかった場合、子供は学校でも家庭でも行き場を失う。
そんな恐ろしい閉じた世界で子供を育てることは、本当に怖いなと思う。
親がどんな自分でも、認めてくれる人であれば救われるだろうし、更に親以外の大人が自分を評価してくれたら、支えにもなるだろうと思う。
例えばおじいちゃんおばあちゃんだったり、習い事先の人間だったり、友達の親であったり。
子供にとっての、逃げ場所を作ってやることも、親の役目なのではないかな、と私は思っている。
親の言うことが絶対で、必ず正しいなんてことはない。
それを今からきっちりと伝えていきたい。
だから、息子がそうやって、親に注意してくれることがあったら
私は心から安心する。
萎縮してない、恐怖で縛ってない、大丈夫だ、いまのところ!と思うのだ。
そして、きちんと伝える。
ちゃんと言ってくれて、ありがとうね!ママ助かったよ!と。