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2020.9.21 21:54 毒親のことを羨ましく思う時

この度引っ越しをしたのですが(詳しくは下記参照)なんと両親がはるばる手伝いに来た。三十路手前にもなってこっぱずかしい。

物理的に800km以上離れてからは何気に安定した関係を築いているので、元毒親といったほうがいいかもしれない。
ただ毒親育ちであるが故の、人間関係への苦手意識や拙劣さ、未熟さはまだ克服できていない。

久しぶりに会った母は、相変わらずすぐに大声を張り上げる事は変わっていなかった。コミュニケーションが基本的にネガティブで、すべての事象を後ろ向きに捉え口に出す。

父親はそんな母親にイラつき、たまにキレながら引っ越し作業を手伝ってくれた。

一通り終えて3人で夕食を食べていた時の事。
こんなに平和な夕食は初めてではなかろうか。誰の悪口も言わず、何かを否定されることもなく、まるで普通の家族のようだった。この両親とそのような時間を過ごすことができるなんて、少し私は居心地が悪かった。二人の目を見て話すことができなかった。

両親は九州へ来る間、何度も人目を憚らず大声で喧嘩をしたのだろうが、それ以上にこれまでの思い出話をたくさんしてきたようだった。
私が3歳の頃、海水浴に行ったときに溺れかけた話。どんな浮き輪を使っていたか、それを見た弟の反応など、昨日会ったことかのように楽しそうに話す父。
「いろんなところに行ったねぇ」と母が言う。「和歌山の海にも行ったよね?あんた、覚えてる?」
私は全く覚えていなかった。
父が「それはまだ生まれる前だ。二人で行ったんだ」と返す。

両親の間には特にこれといった共通点がないと思っていた。趣味も無く、父は仕事人で母は専業主婦。
何度も離婚の話が出ていたし、高校時代の私はこんなつらい思いをするくらいならとっとと離婚してくれと願っていた。
しかしそんな二人にとっての共通点は”私”と”弟”で、私と弟が存在することによって起きた出来事や思い出が両親を結びつけていた。

美味しいごはんを食べながら、和やかに思い出を語らう相手がいる事ってとても幸せなんじゃないか。

「自分の両親を見て、このような幸せな家庭を持ちたいと思いました」という方がいる。いつも私はそのような考えに至ることができず、寧ろ嘲笑的であった。

でも今、その考えがわかった。

どんなに共通点が無い相手でも、つらい出来事があっても、二人の間の楽しかった思い出と長年の歴史が心の在りどころになるのかなぁ。孤独より、よっぽどいいなぁ。

”結婚しても幸せにはなれない”と思い、独り過ごしてきた。
でも、”結婚って実は良いものかもしれない”とまさかの、自分の両親を見て思った。


以上

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