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そして5月のある日に思う

5月は日本に戻っていたこともあって読み切れた本は一冊だけ。そのかわり、本屋さんに行って、新刊、古本、沢山買ってくることが出来ました。

昔から本を読むのは好きです。他の趣味が入れ替わり立ち替わり登場したり消えたりすることはあっても、趣味=読書の部分は変わることはなく、「いつから読書を始めたんですか?」と言う質問の意味がわかりません。「息をし始めたのはいつですか?」と聞かれているように聞こえます。

こだわりのない分、系統だてて読むとか、文学部に行きたいとか考えたことはありませんでした。ただ、何か単調な作業をしている時(食事とか歯磨きとか待ち合わせとか)は必ず目が活字を求めている、そんなレベルです。その時話題になっている本を読むというわけでもなかったし、どういう理由でその時々、読む本を選んでいたのかも、はっきりとした答えはありません。

去年(2021年)の冬、なにか突然、本を並べてみたいなと思い、Instagramに本のためのアカウントを作成しました。本(=オリジナル)アカウントは10年くらい利用していますが、それとは別に、本専用。

たいそうな感想文が書けるとも思えず、自分の覚え書き程度に読み終えた本を載せて行こうかな、と思っていました。友人が「チラシを配るように宣伝していくんだよ、自分を知ってもらいたい人をフォローしてさ」と言っていたので、その時熱中していた絵本の朗読を聞いてくれそうな方(お子さんやお孫さんがいる方)を中心に宣伝活動(?)を始めました。

徐々に自分の方向性が見えてくると共に、驚いたのが、こんなに本を読んでいる人がいるんだということ。これぞ読書家!と思わず唸ってしまう有名どころのタイトルがどんどん流れてきます。それと同時に知らない作家の、でも面白そうな本もぞろぞろと。

興奮と焦り。焦ったところで仕方ないのはわかっているけれど、こんなに沢山の、興味の惹かれる本が、未知の森となり山となり目の前に立ちはだかっているなんて。
何から手をつけたらいいのかさっぱりわからない。この作家とこの作家はどちらを先に読んだ方がいい?この作家の中ではどの作品を読むべき?

本好きを称してきた自分が恥ずかしい。全くの赤ん坊になった気分でした。

そんな中、だんだんと趣味の合う人、と言うか感性の合う人と繋がれるようになってきました。同じ感想を持ったからというわけではなく、不意をつかれる方向から小説を読み解く視点といった、なにか自分でも思ってもみなかった部分で。
顔も知らない環境も年齢も性別も全く関係なく、信頼できる人というのが文面からわかってくるのです。コメントの中での阿吽(あうん)の呼吸。

偶然か必然か、そんな方々と直接お目にかかる機会が出来ました。
初めましての集まりなのに、いきなり遅刻するわたしを優しい目で迎えてくださる二人。

文学知識の幅と奥行きプラス人間性に120%の信頼を寄せるチロル先生。
どこまでが真実でどこからが虚(きょ)なのかわからない、楽しい渦を作り人を巻き込む魔術師、木ノ子さん。
ハジメマシテのくせに、お互いのクセなり過去なり経験なりを知っているという不思議な関係。最初こそちょっとぎこちなく歩き始め、目的地が“休館”だったことでヘンな肩の力が抜けてそこからはもう遠慮なく話題が尽きない。沢山勉強もさせていただきました。

直接会う関係が一番大事だと思っているけれど、SNSでも大事な人は見つけられる。けれども一周回ってやっぱり会って顔を見て表情を交えて関わり合えるのが一番だなと思う、結局。

その日は遠くの友のバースデーを祝いビールとジンジャーエールで乾杯。

カウンターで料理は頼まず此処では呑むだけ。お店の人、スマン

チャンスは逃さずためらわず。
フットワークは軽くいたいもの。

チロル先生
マッチョ木ノ子

木ノ子さんは面白いことを仕掛けている最中 ↓


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