極める人とそうでない人の違い
どんなことにも共通すること。
いつも意識を向けていると、なにかいつもと違うことがわずかにあったとしてもそれに気づけるようになる。
この小さな違いを分かるかどうか、そのように意識を向けることができるかどうかは、なにかを習得する成長の差になる。
上手くなる人は2タイプ。
見ただけで理屈は分からなくてもできてしまう天才系と
つねに意識を向けて小さな違いに気づけるタイプ。
前者は生まれつきだし、そんなにたくさんいない。だから凡人が上達するには後者になる必要がある。
ヤムナ・ゼイクさんというカリスマ・トレーナーがいる。骨にアプローチしいつまでも動ける身体作りをサポートするボディエクササイズのメソッドを考案し世界中に広めている人。
彼女は、定期的に股関節に意識を向けケアをしていれば、ほんのわずかなズレでもそれがあったときに気づくことができ、悪化を防ぐことができる、と言っている。
まさにこれ。
英語もそう。
小さなことをスルーしない。たとえばなぜこの名詞の後ろの動詞はingがついているのかとか、なぜtheではなくaなのか、など。
日本語を母語とする人は、英文の中の短い言葉を無視しがち。前置詞とか、代名詞とか、冠詞とか、単数複数とか。
でも実はこの小さなことはなんとなくそうなっているのではなく、かならず理由があってそこに存在しているのが英語。その小さな短いことばを軽視していると文の意味がまったくとれずちんぷんかんぷんになる。
社交ダンスもそうだなと思う。
社交ダンスは2人で踊るものなので、1人の勝手な意図や力業で踊ると、すぐに崩壊する。2人だからこそ、重力や骨や筋肉といった身体の構造に沿った動きであることが求められる。
天才的な才能のある人をのぞき、なぜその一歩はその方向なのか、なぜその動きが起こるのか、を追求しないといくら外側だけ踊っているように見せても、2人のダンスにはなっておらず成長していくことはできない。
だから、優れた先生たちはその細かいところまで追求し理解し再現するマニアばかりだ。質問すると喜々として解説してくれる。
もし、なにを質問すればいいのか分からない、と思うなら、それは日々観察していないから。
ヤムナ女史のことばどおり、つねに意識を向けて観察し感じていれば、違いがあったときに質問できる。
また、自分と先生の違いにも気づき、なぜなのか質問できる。
あるいは、前回はできたのに今回はできない、といったことも。
これらはすべて、常に観察し感じているから。あれ?と思うことを小さなことでもスルーしないから。
この積み重ねが天才ではない人が成長し続け、その道を究めることができるかどうかを左右すると思う。