ビジネスが上手な人と凡人の頭の違い
ビジネスが上手な人と下手な人がいる。ビジネス脳が賢い人と賢くない人というか。
わたしは後者もいいところ。いっしょうけんめいそれなりに勉強して、勉強したことを使ってなんだかんだ考えて実行しようとするのだけれど、やっているうちに自分がなにをしているのか分からなくなってくる。
ビジネス脳が賢い人がたまに、見るに見かねてアドバイスをくれるのだけれど、それを聞くとさらに頭が真っ白になるというレベル。
昨日もビジネス脳が賢い人と話していて、話しているといつの間にか個人授業になっちゃうんだけれど。
それで一つわかったことがある。私とビジネス脳賢い人の違い。
わたしは1+1の答えを求めている。あるいは1+1は2であってますよね?っていう安心を。
1+1の答え、もしくは1になにを足したら2になるのか、ということを探さないといけないと思い込んでいるから、ずっと1+1から出られない。そのひとつの式計算の枠から出られない。
ところが賢い人は、たとえばこの1は1カップだけれど500mlでもある、と考える。そして500+500は1000で、さらにはその1000を100ずつにわければ1+1は10だ、という考え方をするわけ。
1+1をいかに豊かにするか、いかに独創的な計算をするか、そのひらめき力が高い。枠にとらわれていない。
賢さを測るテストにdivergence test(逸脱性のテスト)というものがある。
これはたとえば、レンガ1個や毛布1枚の使い道をできるだけたくさん考えなさい、という問題に答えるテストだ。創造性とひらめきを測るテストと言える。
どんなにIQテストで高得点でも、このテストで高得点をとれるとは限らない。IQテストで高得点の人が、逸脱性のテストでは2つしか使い道を思いつけなかったりする。
ビジネス脳が賢い人はたぶん、divergence testも高得点がとれるんじゃないだろうか。
ここで凡庸以下の私はがっかりして絶望することもできるけれど、でも、枠を外してみよう、と意識するだけで、1+1を3にするぐらいは思いつけるかもしれない。
1を500とみることができる、と知ったことで、他の見方はできないだろうか、というアンテナが立つようになる。
天才たちは逸脱性のテストで数十個もアイデアを思いつくらしい。凡人の私には5個しか思いつけなかったとしても、絶対に1つに決まっていると思っていた答えが、一つとは限らないと考える癖をつければ、一つしかないと思いその一つがどこかに転がっていると探し、その一つが見つからなければ他はすべて間違いなんだと考え、見つかるまでは動けない、なんていうよりも、ずっとずっと創造的だし、道はひらけやすい。
1だと思っているものはとらえ方を変えれば500だし、見る方向を変えて上から見たら実は奥にもうひとつ1があるかもしれない。
そう思うと、答えが1つだけから2つに増えるだけでもワクワクしてくる。