時の回廊を歩く~ハマスホイとデンマーク絵画@東京都美術館
時間の止まった世界に迷い込んで、窓ガラス越しに、知らない誰かの家の中をのぞき込んでいるーー
19世紀デンマークの画家、ハマスホイの絵を見ると、そんな奇妙にねじれた感覚が、自分の中に呼び起こされる。
「今にも動き出しそうな、写実的な絵画」や「具体的な意味を持たないが、何らかの感覚を刺激する抽象画」は、美術館にたくさんある。
ハマスホイの絵は、そのどちらでもない。写実的なようでもあり、よく見ると、すべての対象物が抽象化されているようにも見える。
何にせよ、こんなふうに、時の回廊を歩くような胸騒ぎを起こせる画家は、ほかにいないんじゃないかと思う。
1864年、デンマークに生まれたハマスホイは、王立美術アカデミーを卒業し、その誰にも似ていない奇妙な画風により、良くも悪しくも若くして注目を集める。
多くの作品のモデルとなる妻イーダと結婚したのち、コペンハーゲンのストランゲーゼ30番地に移り住み、ほとんど執拗と言っていいほどの情熱をもって、ひたすらに自宅の室内を描き続けた。
もしかするとハマスホイにとって、何を作品のモチーフにするかは、それほど重要ではなかったのかもしれない。カンバスの中に静けさを閉じ込めることそのものが目的だったように、私には思えて仕方がないのだ。
私が初めてハマスホイの絵を見たのは2008年、日本で初めての大規模な回顧展が開かれたときだった。
誰もいない室内。生活感のないがらんとした空間。感情の読み取れないモデル。そして、耳の奥がきんと痛くなるような静寂。
結婚を機に会社を辞め、知人もいない小さな田舎町に引っ越したばかりで、孤独を感じることが多かった私の心に、ハマスホイの灰色はぴったりと寄り添ってきて、息が苦しいほどだった。
当時、東北に住んでいた私は、新幹線で東京都美術館に足を運んだのだけど、帰りの荷物が増えるからと図録を購入せずに帰ったことを1年以上後悔し、古書店を探し回って、定価の3倍以上のお金を払ってようやく図録を手に入れた。
<左が2008年、右は2020年の図録>
あれから12年が経ち、同じ東京都美術館で見るハマスホイは変わらずに素晴らしくて、今回は後悔しないように宮沢りえさんの音声ガイドを最初からしっかりと聴き、図録も絵葉書も迷わず買いもとめたのだけど、2008年の、「どうしてもこの絵が見たくて、居ても立っても居られない」という息ができないほどの切実さは、いつの間にか私の中から消えているようだった。
あのとき大量に購入して何時間も眺めたストランゲーゼ30番地の絵葉書の代わりに、12年後の私が選んだのは、デンマークのほかの画家たちが描いた子どものいる室内画や、ハマスホイの作品の中では比較的珍しい風景画、陽光が差し込む部屋の絵葉書だった。
<ヴィルヘルム・ハマスホイ「若いブナの森、フレズレクスヴェアク」>
美術館はもちろん、芸術を鑑賞しに行くところなのだけれど、同時に、自分の心を映す鏡のような場所でもある。
同じ絵を見ても、そのときの状況や心模様によって、抱く印象はまるで変わる。だから、一度見たことがある作品でも、何度も、何度でも実物の前に立ってみたくなる。
<ヴィゴ・ヨハンスン「きよしこの夜」>
12年の間に、私はいつの間にか孤独と静寂に満ちたモノトーンの部屋を出て、騒がしく色彩があふれる煩雑な世界に棲むようになったらしい。
良し悪しの問題ではなく、ただそれだけのこと。水面に波紋が広がるように、人の心は、刻一刻と移り変わって1箇所にはとどまらない。
次にハマスホイが日本にやって来るとき、ストランゲーゼ30番地は、どんなふうに見えるんだろうか。