わたしは「こう読んだ!」Vol.2 『コロナ後の教育へーオックスフォードからの提唱ー』苅谷剛彦
こちらも2021年1月に書いたものです。コロナ禍真っ只中でしたね・・・。
以下、FBに書いていたものを転記します。
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第一部の中心トピックは、日本の教育改革のたびに繰り返されてきた思考の習性。それは、根拠のない理想論から演繹的に導き出し現場に下ろすというものだと、苅谷は述べています。予想できない未来を、私たちはどう主体的に乗り越えてきたのかを検証することで、これからの未来を生き抜くために必要なものが見えてくるはずだと。であるならば、私たちが今、これまで予想できなかったパンデミックの中で、どう教育実践を積み重ねているのか、そこで大事なのは何なのか、自ら検証していく必要があるのではないかと思いました。
後半は、コロナ後の教育への提言ー知の生産を追体験することによる教育ーが述べられています。これまで、教育や保育の場に身を置いてきた私の実感として、知識を得ることよりも、実体験を重視する傾向が強いのではないかと思うことが多々ありました。子どもではなく、教員、保育者のことです。もちろん、実体験の重要性は否定しようがありませんが、知識だって、人々の努力でーつまり実体験でー構築されてきたものなのに・・・と思うことがしばしばありました。苅谷の言う、知の生産の追体験は、もしかすると大人である教員、保育者にこそ必要なのではないか、と思いました。そしてもちろろん、子どもにも。自ら生み出すためには、知を組み合わせ、様々な角度から眺め、見えないものを見ようとする必要があります。それはいわゆる「個別最適化」された学びとは、また一味違うものであるというのが、苅谷の主張です。みなさんはどう思いますか。
コロナ後の教育をどう描くのかということは、今このときに、教育と研究に携わる者に突きつけられた大きな課題だと感じました。そして、同じ時代に生きる教育や研究に携わる人たちが、今、何を考えているのか知りたいなと思いました。
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