
【イメージがない静岡】静岡の「のどかな生活」
他府県の方と話をするときに、「静岡市」と聞いてイメージが沸かない方が多くいらっしゃいます。
お茶・富士山・みかん・ちびまる子ちゃん。
この後ろが見えないというか、土地としてのイメージがないようです。
のんびりした県民性=平和?
三保原屋のある静岡県の中部地区、静岡市は、よく、のんびりしていると言われます。
確かにのんびりしている気がします。
では、なぜ、のんびりしているのか??
ここからは素人の推測ですので、異論のある方もいらっしゃるかもしれませんが記載してみます。
ちょっと結論を先に書きますが、
静岡は「平和を願われた場所」で「のどかな暮らし」をしていた期間が長かったのだと思います。
静岡市の江戸時代
日本人の価値観に影響を与えたとされる江戸時代くらいから静岡市を見てみますが、前提として、静岡市は海・山が近く、雪も殆ど降らない地域です。
最近の異常気象で猛暑のイメージがありますが、以前は夏も海からの風で気温が上がりにくい傾向がありました。
家康公の隠居場所

静岡は東と西を結ぶ、重要な街道”東海道”の要所。
(中山道に比べて起伏が少ない。)
特に中部地区の静岡市は徳川家康公が隠居していた場所です。
家康公が、秀忠公に将軍職を譲った1605年は、大阪には豊臣勢がいました。
当時10歳そこそこだったとは言え、豊臣秀頼公がいたタイミングであったことを考えると、非常に挑戦的な出来事だと思います。
防衛拠点
隠居をする家康公は様々な理由から駿府(静岡市)を隠居の場所と決めたそうですが、やはり大阪から軍勢が江戸に向かった際に、その間で迎え撃つ準備は必要だと推測されています。
(静岡が突破された場合は、後ろに箱根があります。)

更に、
・天竜川
・大井川
・安倍川
・富士川
と、静岡市に近接した地域を含めて大きな川に橋を架けなかったこと。
(橋は技術的、物流的な問題もあるようですが。)
当時の駿府の規模から考えると、
他都市に比べても人が出入りするような大きなお祭りが無かったと聞いたこともあります。
(間者の出入りを意図的に制限していた?)
このあたりは、聞きかじった話なので、根拠が弱く申し訳ございません。
平和を願った場所
江戸期や、明治期からも「平和への願い」があり、先人たちが、静岡の、のどかな日常を守ってくれていたのだと思います。
久能山東照宮

全国的には日光東照宮が、家康公のお墓として有名です。
静岡には、家康公が最初に埋葬された、久能山東照宮があります。
(未だにご遺体が久能山東照宮にあるという説も。)

久能山東照宮は「平和」を願った神社で、各所に平和の象徴がみてとれます。(たとえば、平和な世にしか現れない獏が、門に4体います。)
久能山東照宮は、お寺→山城→神社と、日本の状況に応じて変化をした場所で、非常に日本的な価値観が合わさっている場所と言えます。
是非、見るべきポイントを知ってから、見に行ってください。
静岡という名前
平和だった静岡(江戸期は駿府)ですが、明治維新により立場が悪くなります。
徳川家ともゆかりの深い静岡市は、明治維新により、従来の「駿府」「府中」というイメージを覆す必要が生じたと推測されています。
詳細は割愛しますが、静岡市で信仰のあつい静岡浅間神社がある「賤機山(しずはたやま)」から「賤ヶ丘(しずがおか)」という名前に決まりかかったようですが。
時世を思い土地柄を考えて静ヶ丘即ち「静岡」がよい。
と、名前が決まったそうです。
平和で、のどかな場所
ある程度、どの地域でも同じようなことが言えるのかもしれませんが。
静岡市は、東海道の要所であったこと。
森林部(76%)が多く、平野部(24%)が少ないので、人の交通の管理がしやすいこと。
静岡市から軍事的に強い勢力が誕生しにくかったこと。
(今川家が最大勢力ですが、今川家は文化への理解があった。)
などなど。
現在の静岡人の
「まぁお茶でも飲んで」
という、のどかな感覚が形成されていったのではないかと思います。
変化の現代で

現在は、時間の価値がどんどん高まり。
「まぁお茶でも飲んで。」
という感覚は希少になっていると思います。
静岡市に来ていただければ分かりますが、
・歩くのはゆっくり
・エスカレーターで急ぐ人も少ない
・車のクラクションが少ない
・歩行者がいると比較的とまってくれる
など、県民性としてある程度は「ゆっくりしている」ことは否めません。
(もちろん、個人差があります。)
そんな静岡のど真ん中で、生活を支えている三保原屋が提供する価値は、「静岡における普通の生活」を、改めて世に問いかけることかもしれません。
変化の時代への危惧
生活の本質は変わらないと信じています。
忙しい人が増えて、家電が進化し、それで生活が豊かになったか?と言われれば疑問に感じる方も少なくはありません。
情報が多くなり、お金も時間も他者に向けられることが増えました。
携帯に時間とお金を注ぎこむ意識もないままに、携帯電話から得られる情報に没頭している時もあります。
結果、「もう少し自分にお金・時間をかけてもいいのかな。」と思う方は全国的に増えているような印象です。
そんなときは、静岡の手つかずの、
のどかで
あざとさのない
生活を体験しにきてみてください。
色々な静岡のことはコチラ↓
シラスの消費量が多い
実は高級マスクメロンの産地
(千疋屋さんの高級マスクメロンは静岡産だったりします。)
隣の焼津市は鰹節が有名
旧清水市(清水区)は、ツナ缶なども有名です。
家康公とゆかりのあるものも多くあります
分かりやすい静岡のモチーフ