私の人生 ~自閉症の妹と過ごす中で。Part2~
兄弟児の心に寄り添うみほです!!
前回、noteをかいてみて約1週間。なんだかんだ、濃い1週間でもっと前な気がしていました。前回に引き続きまずは、自分の思いをアウトプットするところからということで文章を綴っていきたいと思います!😙
そして、今回は何を書こう!?と思ったのですが、とりあえず幼稚園・小学校時代に感じていたこと②を書きます。そして、時系列で書いていこうと思ったのですが、なかなか難しい。妹とのかかわりだけでなく、自分の人生そのものとかで湧き上がってくるものが多いなと。ということで、支離滅裂な文章になりますが、あたたかく眺めてもらえたら(見守ってもらえたら)うれしいです。
妹のことをもっと知りたい、障害のことを知りたいとおもっていた小学校中学年
今も妹のことや障害について知りたいというのは気持ちとして持っていますが、知りたいという気持ちを抱き始めたのはおそらくこの頃なのではないかと思います。また、強く感じるときの波みたいなのがあって、1回目がこのタイミングなのかなって思っています。
正直なことをいうと、なにか大きなきっかけがあったのか、日常、妹と接する中でだんだんと感じるものがあったのか思い出せません。(おそらく、後者なのかなと思っていて、自分と何かが違う。だから興味をもったという感じかもしれませんね。母も葛藤がありつつも少し落ち着いてきた時期で、妹が妹として存在しているという認識をもちはじめたのもこの頃かもしれないです。)
当時、どのくらい知りたいと思っていたのかというと・・・
学校の授業で調べたことをミニ新聞だかポスターみたいなやつにまとめるって機会があったんですけど、私は自閉症のこととか、脳腫瘍について調べて記事にしてました。(今思えば、小学校中学年が興味をもって調べることかと言われれば不思議さを感じるけれど、当時は必死だったし、それだけ知りたいと思っていたんだろうなって。((笑)←今の私は少し余裕があるからいい意味で笑い話です。)
(それこそ、授業で扱って障害とか福祉がテーマだったという可能性も否定はできないんだけど、全然関係なく興味のあることを調べるって感じだった気もするし、友達は全然関係のないことを調べていたような…。それか、福祉とかそういうのがテーマだとしても障害名とかってよりも目に見てわかりやすい点字とか車いすをみんな調べていた気がする・・・とはいえ近いテーマの子とかもいて嬉しかったような記憶もある)
(そうそう、妹は良性で日常に支障はないらしいんですが、脳腫瘍?(正式名は忘れましたが)みたいなのが脳にあるらしいです。私もよくわかってないんですが、障害とは直接的には関係がないみたいなことをいってた気がします。そんなこんなで、妹が小学生の間くらいは半年とか1年に一回くらい、県の大きな病院に定期通院していて私もそれにつきそうって機会があったりしました。この時もいろいろ感じていたんですが、また別の機会で書き起こせたらと思います。)
その時は、1学年1クラスの地元の小規模な小学校に通っていたので幼稚園からともにしてきた妹のことも知っている友人、出会ったのは小学校あがってからだけど、直接的な関わりはなくても妹のことをしっている友人(どう思っているかはまた別問題ではあるけれど…。)(妹は小学校2年生(私が5年生の時)まで2年間は同じ小学校に通ってました。3年生にあがるタイミングで支援学校に転校した感じです。*また、ここも後日noteにしますね!)に囲まれている環境だったので、日々の大変さ!?とかはあっても妹のことも実体験交えて、調べて発表するということに対しては抵抗感みたいなのはほとんどなかった気がしています。先生に言われたこと?で覚えているのが、よく調べているね。誰よりも調べているね。と言われたことでした。
繰り返しにはなりますが、その当時、感じていたかどうかはわからないけれど、自分自身の生活に直結するというのが大きかったのだと思います。調べてそれがほめられるというのもうれしかったような気はするけれど、それ以上に妹のことが少しでも分かったような気がしてそのほうが嬉しかったような気がしています。あとは、おぼろげながら知ってもらえてうれしい、知ってほしいというような気持ちも持っていたような気がしています。
(Part1でかいた、私を見て、調べた私は友人や家族、先生などに見てもらえる対象になれるというのももしかしたら少しはあったかもですが)
ちょっと一旦、話はそれるけど、今も好きですが、この頃からノンフィクション本(特に障害者とかその周囲をあつかったもの)にはまっていたような気もしています。中・高生のときかもですが、沢山ノンフィクション本にふれてきましたが、”五体不満足”と”15-ハンディ”という耳の聞こえないテニスプレイヤーの話がふと頭に浮かんできたので、とりあえず需要ないと思うけどシェアしておきますね。 不思議とそういう本に勇気づけられたり、全部ではないにしろ勝手に共感をしていたような気がしています。
妹のことが愛おしいの巻
さて、話は戻り上記の知りたいと思っていたのとほぼ同時期?の頃から、紆余曲折はあるものの1兄弟というか姉妹として、妹のことを愛おしいなと感じることが増えていったような気がしています。それは、他の兄弟・姉妹がどうなのかわからないけれど、普通の兄弟のかわいいって思う感情なのかなって思っていたりします。(今は家族とか兄弟の在り方も多様化してるし、普通というカテゴリーでまとめるのはどうなのか!?とも思いますが、一旦そこは保留にさせてください)
この当時は、言葉はほとんど発さないし、発してもオウム返しだった気がするけれど、なんかわかんないけれど、かかわりにいってくすぐり遊びをしたときに見せる笑顔がとびきりかわいいのだ!!!!😘
(実は、今も実家に帰った時とかに年齢を重ねて頻度は減ったもののとびきりな笑顔をみせてくれたり、お姉ちゃんと呼んでくれたときには、思わず私も笑顔がこぼれるのである😊😙🤗)
重なる部分もあるけれど、一人っ子とはまた違って、年齢の近い妹がいるのにどう遊んだらいいのかわからない、遊びたいのにどうしたらいいかわからないという状況だったけど、この頃から(妹の)反応がみえるようになってきたというのも大きいのか遊ぶことが増えた気がするなと思うのである。
(3歳差って考えたら障害がなければもっと早い段階から遊んでいた(じゃれていた)と思うんだけどね...(笑))
普通の会話ができて(コミュニケーションがとれて)、普通に遊んでができる兄弟をうらやましくおもっていたな~。
〈今もうらやましくは思うけど、妹と無邪気に遊ぶ?みたいなのがこの年齢になっても少しできるということには幸せを感じているかも。小さい子を面倒見るようなかんじ!?同じうらやましいでも思考がちょっと違うっていうのかな~!?〉
兄弟ゲンカをしてみたかった!!
他の兄弟児の人も発信しているのをみたことがあるけれど、兄弟ゲンカをしてみたかったな~って思ってます。
(兄弟ゲンカにあこがれていました(★ ω ★) )
兄弟児によっては知能がある程度発達してるとか、年齢関係とかでケンカしたことあるかもだし、あるあるではないのかもしれませんが、私の経験・思いとしてうけとってもらえればと思います。
友達とかが兄弟でケンカした、もう嫌みたいなこといってるのをきく機会はそれなりにあっていいな~というのを思ってました!(それは変化はあれど、小学生の時だけでなく中学生の時もたしか思っていた。それこそ発達心理学でいうギャンググループとかチャムグループへの変化とかもダイレクトに影響受けていたかも。(急に心理系の言葉出てきてすいません))
自分が成長していけば、精神的なところの年齢差は離れていくから相手にならなかったみたいなところなのかなと思っていますが、私が妹に何か言ったとしても反応はかえってこないし、例えば、お菓子を食べたくてとったとしても悔しがるとかないし(え!?おもしろくないな。)みたいな状態でした。(実際にお菓子をとることはあったけど、すぐにやらなくなりました。)(時が経って少しは自分のものという感覚が妹もわかるようになったのか、わざととって返してみたいな反応を楽しんでいるみたいな瞬間もあったりしました。いいか悪いかは別としてそれがかかわり方の一つだったのかなって思います。)
さて、今日はここまでかな。
編集後記
冒頭でもふれましたが、
書いて文字に起こしていくうちにだんだんと湧き上がってくるものがあって、私の人生についてのnoteは長くなりそうだなと感じている今です。番外編みたいな感じで、兄弟児というよりかは1個人の軌跡を発信する機会もあろうかと思いますが、それはそれで、私という人間を知ってもらえたらと思います。今後ともよろしくお願いします。🙇♀️
最後まで読んでいただきありがとうございました。‼️
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