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それでもあなたの道をいけ

分かち合う
ホワイトバッファローの伝説の演目を米本久美子さんの作画でアニメーションに製作して去年12月23日に千葉市のホールで割と大がかりに音楽と共に公演してから、せっかく製作したアニメーションを生かす為に小編成(一気に2人)で出来ないものかとあれやこれや工夫して数回やってみてこれは出来ると自信もついた頃、昨晩は念願の金沢八景にあるアサバアートスクエアでホワイトバッファローの伝説を皆さんと分かち合ったのだった。

分かち合うという表現を使うのは初めてなのだが、当日になってその日の公演をイメージした時にこの物語を今日来てくれた人たちと分かち合うというイメージがしっくりきた。

念願というのもここで美炎さんLIVEしたらいいよと誘ってくれていた友人(Ayaさん)から声をかけられて数年。
なかなか実現していなかったのだが、このアニメーション付きでのホワイトバッファローの演目が完成して、小編成で気軽にできる形になった時に、Ayaさんとこれはもうやるしかないよとアサバアートスクエアに2人で押しかけて日程を決めてきたのだった。

Ayaさんとの出会いも実はホワイトバッファローの話に繋がっていて、私が初めてこの物語に出会ったのが2011年2月にアメリカのアリゾナ州のセドナへ行った時にお世話になった日本人の女性がその後日本に一時帰国のおりに、会いたい人がいるから連れて行ってと言われて一緒に行ったのがAya さんの家だった。その時にAya さんの恩師が私の高校時代のお世話になった先生と共通だという事が判明して一気に親しくなり、初めて私のLIVEを見に来てくれたのがまだ当時は出来立ての音楽だけで届けていたホワイトバッファローの舞台だった。それ以来Aya さんがアサバアートスクエアでやったらいいよとずっと言っていたのだが、というのもAyaさんの弟の写真家の井島健至さんの奥さんがこのアサバアートスクエアの大ママこと浅葉和子さんの娘のHaruさんという繋がりだった。

友人に紹介してもらったということもあるのだが、遊びに来て一目で好きになってしまったこの場所は日本のアリゾナのような、世界の少数民族の聖地のような、というのもここではたくさんの少数民族の人たちが滞在して色んな催し物をしていると言うこともあって独特な雰囲気とエネルギーに満ちているのだ。
そしてこの人が何よりこの場所を魅了的に光らせているのだが、大ママこと浅葉和子さんは見た目は可愛いおばあちゃんだがエネルギーに溢れていて、子供達にアートの種を蒔くことが親たちそして社会にも波及して平和に繋がるという信念のもと数十年活動していて、そのきっかけとして4年サウスアメリカに暮らしネイティブに学んだ経緯がある。

和子さんと娘のHaru さんが滞在していたまさにその時にホワイトバッファローの伝説の物語に登場するホワイトバッファローウーマンが私が再び生まれてくる時は世界が危機に瀕している時だと告げて去るのだが、ホワイトバッファローの子が生まれたのだ。

1994年のことだった。

そしてネイティブの人たちは伝説のその時が来たとしている。

そしてこの伝説に沿って世界で祈りを捧げる儀式が執り行われ、その一つが2004年朝霧高原であった。
その時にも和子さんは参加していて実はこのアニメーション作画の米本久美子さんも娘のすみれさんとこの場に参加していた。(ちなみにすみれさんは私のCDジャケットやチラシやポラリスのロゴなどデザインをいつもしてくれている)日本人は1000人ほどいたそうなので出会う事はなかったが同じ場にいたという事は昨日終演後に判明した。

終演後に和子さんが私の所に来て、この物語は伝説だけど、本当に今現実の話。
ホワイトバッファローの子は生まれているの。だから現実の話なのよね。
今の現在の話なのよ。これをもっともっとたくさんの場所でこれからやらないとね。
と私に言った。

今に繋がる物語であるからこそ私も今必要な話だと思って突き動かされるようにこの音楽作品を作ったのだが、伝説ではなく現実だとはっきりと和子さんが言った言葉に衝撃を受けた。

ホワイトバッファローをやる時は演目自体35分なので一部は普通に音楽LIVEをやり、プロジェクターなど用意する関係で休憩を長めにとって、2部でアニメーションと共に演奏する。
この場所に昨日集まった人たちはそもそもが和子さん繋がりで引き寄せられている人が多いせいか、中には物語を知っている人もいた。
スクリーンの位置の関係で休憩中みなさんに椅子の位置を変えてもらう必要があり、皆さんサッとスクリーン前に椅子を動かすと休憩するでもなくもう前のめりで椅子に座って待っている。
いつもは皆さんが一度散ってその中でゆっくり準備をするのだが、昨日はちょっとした緊張感の中でみなさんに見守られながら準備した。

ストーリと共に展開する音楽とアニメーションに私自身も味わいながら時間が流れていく。
ちょうどその日の朝に準備していてホワイトバッファローの曲を弾いていた時窓のすぐ脇に立つ木の枝にカラスがとまってこっちを眺めていた。ああ四つ足と羽ばたくものたちの願いの曲の通りに羽ばたくものたちが見ているなと思って嬉しくなった事を思い出した。

そして最後の曲の祈りが終わり、アニメーションも終わって真っ暗になり、明かりがついてみな私も含めてぼーっとしていた。
このアサバアートスクエアという場が改めてこの物語をリアルに感じる場であったからだと思う。

和子さんの娘のHaruさんが声をかけてくれて、我にかえり、大ママから一言何かある?とふってくれたときに、和子さんが皆さん手を繋いで輪になりましょう。とネイティブの人に伝わる祈りのやり方を教えてくれて電気を消して再び暗くした中で皆でホワイトバッファローにも出てくる生きとし生ける全てのもの達の為に祈った。この地球は私たち人間だけのものではないという事を私たちはこうして度々確認する必要があるのだ。

そして和子さんは今日ここに何人来ている?1人が10人に話してください。そしたらすぐ平和が来るの。簡単なことなの。ね。お願いしますね。と言った。
私はその言葉にも衝撃を受けた。
簡単なこと。
ウクライナに続いてガザの悲劇を連日目のあたりにして、平和とはこんなにも脆くて戦争が無くなることがこんなにも難しいのかと気持ちが塞ぎがちだった。
簡単なことなの。
今日ここに来た人たち1人が10人に話したらすぐ平和が来るのよ。
和子さんのエネルギーはこの信念から来るんだと思った。

私は本番前に1人になれるところで簡単にお祈りをする。
今日の場所、今日集まる人たち、今日の演目をイメージする。
祈りの言葉は毎回だいたい同じになるのだが少し変化する。
祈りの最後にアサバアートスクエアでホワイトバッファローの演目をする事が光の道になるイメージが湧いたので、ここからまたホワイトバッファローの物語を改めて続けていく事になるんだなと予感がした。

それは和子さんにかけてもらった言葉で私が勇気を得て、遠慮する事なくあちこちで公演したいと思う事につながったから道が見えたのだと思う。
そういえば昨日の明け方見た夢で一本の大きな木がたっていた。中が空洞になっていて蔦が絡まって緑だった。そこに月灯りが差し込んでいて私は、ほら光の道ができてるよと覗き込んだ夢だった。

前半のライブは世界各地の少数民族の人形たちの前で。


友人のAya さんと弟の写真家井島健至さん



大ママこと浅葉和子さん。 バッファローの下で。


この秋から始動したドラムの前田仁との2人ユニット、ポラリス。 ポラリスは北極星。 ふとこの写真をみるとまるでポラリスの下で撮ったみたい。


この写真を撮ってくれた時に撮った人が立っていた場所がバッファローの下で、みんながあ!バッファローだと気づいた瞬間だった。


このホワイトバッファローの演目の時に必ず来ている真っ白な衣装はパリ在住のHAKUYO MIYA さん。 白い羽がたくさんついていて、どこかで演奏するたびにその場に一つ二つ羽を落としていくのですが(笑)本当にこの演目にぴったり。アニメーションにも羽や鳥のモチーフが出てくるし、羽ばたくものたちの代弁をしている気持ちになる。


終演後にHaruさんが、今日の事をFacebookに投稿したらコメントで、古代フラをしている方が書いている出来立ての記事がまさにホワイトバッファローウーマンのことだったと教えてくれた。


2011年2月に初めてセドナでホワイトバッファローの伝説を聞いた時。ティピの中でインディアンフルートと即興演奏した。

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