苦手な“主役”への憧れ
「みほちゃんって、自認がわき役なんやな」という言葉を昨日の夜から繰り返し考えている。「人生で1回くらいはみんなに注目されてみたい」と話していたときにもらった言葉だ。続けて友達は、「自分の人生の主役は誰になるん?」とも聞く。
自分の人生の主役。そういえばあまり考えたことがない。
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主役のようなポジションはどうも苦手だ。飲み会の場で私がメインで話すことは極力短時間で終わらせたい。みんなにわかりやすく話せないし、自分の話を楽しく聞いてくれる人は少ないと思うからだ。誰かがつまらない思いをしてまで話したいことも見つからないし、ちょっととんちんかんな発言をして困らせてしまうかもしれない。大人数になればなるほど、「主役」が似合う子にずっと話していて欲しいと思っていた。
とはいえ、しぶしぶわき役になっているわけではない。ディズニーランドのパレードを見れば、ミッキーマウスよりも路上のダンサーに憧れるし、主役を作る花火師になりたいと思った時期があったし、先日歌舞伎を見た時も、やってみたいと思ったのは太鼓役だった。そこまで注目はされていなくても、自分の役目を全うして、わき役を楽しそうにやる人をいつもいいなぁと思ってみていた。
では、自分の人生でも私はわき役なのだろうか。主役な気はしないけれど、私がわき役になってしまったらどうなるんだろう。自分の人生をメインに振舞ってくれる人は一体誰なのだろうか。
銀座線に乗り込み、スーツ姿のサラリーマンの隣に座り、「そもそも“自分の人生”なんてものは存在するのだろうか」なんてぐるぐる考えていたところで、ちょうど送られてきたOTくんのnoteを読んだ。読み進めるうちに、私はすっかりnoteの中の「じゃがいも」になっていた。
“今までとかわらずテーブルの上では脇役だったけれど、お碗の中で私はたしかに主役で、でも「主役だなんて、恐縮です」と言っていい、控えめな味に仕上がっていた。”
最初は私みたいに、目立つことが怖くて、でもどこかひねくれていたはずなのに。いいなぁ、控えめな味で主役ができるなんて。
*
私は、「主役にはなりたくない」なんて言いながら、じゃがいもみたいに居心地のよい主役の場所を、実は探しているのかもしれない。誰かのわき役をずっと演じながら、「いつかきっと」と、苦手な主役を夢見ているのかもしれないな、と思う。
どんな私になろうとも、私の人生の中で私は、たしかに主役のはずなのに。
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