イメージはガタガタ変化したほうが楽しい
昨日のnoteに書いた著者さんは、他にも様々な社会問題にフォーカスをあてた作品を書いている。作品だけを見ていると、とても威厳があり、あまり笑わないような、まじめな人なのかなという印象。しかし、会ってみると想像していたイメージとはかなりかけ離れていた。
どんな話でも9割は冗談で返ってくるし、「2人で飲むよりみんなで飲む方が楽しいじゃん」なんて自分の周りの人を引き合わせたりする。刑務所に行くような取材の合間に、2時間半空いたからといってパラグライダーをしてしまうような方だ。
「作品と実物と、本当にギャップがありますよね」一緒に飲んでいた女性が改めて口に出す。それに対して、「そうでもしないと、続けられないからな」と笑いながら答えていた。
それを聞いて、なんだか、シーソーみたいだなぁと思った。
交互に勢いよく重心をかけることで、シーソーはガタガタと動き遊び道具として成立する。重心が強くかかればかかるほど、どちらかへ振り切れるスピードがついて面白い。彼もまさにそんな人で、作品と実物と、振れ幅が大きいからこそ深みが出ていて、お会いした後にまた彼の作品を読みたいな、と思ってしまうほど、魅力的だった。
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「あの人はこういう人」という統一されたアイデンティティがあることに、今まで憧れていた。他人にがっかりされてしまうようなギャップがあることを気にして、それが少ない人、最初から最後まで同じイメージの人になりたいなぁと思っていた。
けれど、がっかりギャップなんて怖がらずに、いっそのこともっとガタガタしてもいいのかもしれない。「自分」の振れ幅が大きければ大きいほど、自分も、周りにいる人も、面白くなるんじゃないかなぁ。周りの環境やその時の気持ちで、表情も態度も変わるのだから、変わることを恐れずに、変化を楽しんでいったほうがいいんだろうなぁ。