その現象に名前をつけるなら
ものごとに対して「自分から見えた印象」を、自分のことばで付けていったら、見える景色が変わるんじゃないかと思う。
「もしかしたら周りと違うかも」と思うことに、ここ数年でいろいろ言葉がつくようになった。LGBT、ポリアモリー、ADHDなど、ジャンルは問わず様々だ。
ことばが作られることで、「何かが変」と思っていた人たちが、すごく生きやすい時代になってきていると思う。例えば注意欠陥/多動性障害のADHDは、ことばの無い時は単なる不注意で落ち着きのない人として見られ、「ちょっとおかしい」とか、「変わってる」と思われてしまいがちだ。けれど名前がついて、「努力だけでは難しい、直しずらいこと」がわかれば、周りもそのつもりで接してくれるようになる。「よくわからない人」のカテゴリから抜けられる。
また、レズ、オカマと言った差別的に聞こえるものは、LGBTという新しいことばを付けたことによって、差別色が消え、ひとつのカテゴリとして存在するようになった気がする。
ことばは世界に新しいものを生み出すことができるし、印象も変えることができる。
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では、自分が変えたいもの、よくわからないものに、自分のことばでラベリングをしていったらどうなるのだろう。自分がほしい世界が見えてくるのかもなぁと考えた。例えば何をしても気持ちが落ち込んでしまう、もやっとしたよくわからない時期に、「テンション注入期」なんてことばにしたら「肉食べて元気つけよう」とか、「カラオケ行ってスッキリしよう」とか、ちょっと前向きな気持ちが増えるかもしれない。本棚の上を「お花畑」と名付けたら、山積みの本を棚に戻して、そこに花を置きたくなるだろう。そんな風に、名前から先に入って世界を変えていくことも、十分可能なのだろうなぁと思う。
名前をどう表記するか、どんな名前でいくかも自分の印象が大きく変わる。やわらかい雰囲気を出したければひらがなだし、ちょっとイマドキのような、かっこよさはカタカナに出てくる。
今見えているものやことは、ことばの組み合わせで出来ている。どんなことばを話すのか、どんなことばに囲まれていたいか、意識しながら世界を作っていきたいなぁ。
せっかくだから“ライター名”をつくればよかったと思っています。