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いつまでも、母は母で、娘は娘。

「この前は娘がご馳走様でした」と、病院のベッドで目をつむりながら祖母が言った。祖母の声も、「〇〇がご馳走様」も、久しぶりに聞いた。

その出来事が起こったのは、祖母が入院をしてからしばらくが経ち、だんだん会話が出来なくなってきた頃。毎日眠るように過ごす祖母のもとへ親戚が訪れた時、唯一話した言葉がそれだった。そういえばこの前、親戚の人に夜ご飯をもらったことを、少し目を開いた祖母に母が伝えていたなぁ。あの時祖母は、うなずきもしていなかったけれど。


私が小さい頃は、冒頭の言葉をよく母が言っていた。友達の家でお昼ご飯をご馳走になったり、泊まりに行ったりした時、必ず母は電話をかけて、相手方のお母さんへお礼を言う。

「子どもの代わりにお礼」なんて、小さい頃だけだと思っていた。けれど、いくつになっても親は親で、子どもは子どもなんだろう。孫でも、子の娘でも、全く入り込めない”親と子”の、関係。

社会の中における関係性は、すごく相対的だ。数年前は新人だったはずが今では中堅になり。にも関わらず、身を置く場所によってキャリアが変わると、立ち位置もガラリと変化する。

平成生まれがマイノリティだった時代はあっと言う間に終わっていたし、私は守られる立場から守る立場に移行していることもある。

そんな流動的な関係性の中で、周りの環境によって姿が変わる自分を感じているからこそ、祖母の発言がずっと心の中に残ったのかなぁと思う。いくつになっても、どんな状態になっても「あなたは娘で、私は母親」と自然に振舞う祖母。その愛を受けている母がなんだか羨ましくもあった。

最近、怖い夢を見た。

夢の中で私は怖い夢を見ていて、実家の部屋で目が覚めた。あまりにも怖かったから、小さい頃みたいに枕をもって両親の寝室に入り込んだところで、本当に目が覚めた。

私は今、両親と離れて暮らしている。以前頼っていた場所は、歩いて数歩のところにはない。怖い夢を見ても、今は1人で解決するしかない。

年齢とか関係なく、「変わらない関係性の人」が近くにいるって、なんて心強くて、安心できることなのだろうか。1人になって数年が経ち、ようやくわかってきたような気がする。


それでも、夜中は無理かもしれないけれど、電車を使えば会いに行けるんだから。私もちゃんと、「母と娘」をやりたいなぁ。

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テーマ #年齢と関係性

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もりやみほ
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