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ミニマリズムじゃ味わえない幸せ

中学2年生のある日、「行きたくない」から学校を休んだ。その日の夜は、まるで世界から切り離されてしまったように静かだった。真っ暗闇の部屋、布団の中で目を開けているとぼんやり家具の影が見える。時計の針の音がやけに煩い。

じっとしていると心が誰かに襲われそうで、仰向けからうつ伏せになり、状態を起こして、私はぽつりと声を出した。

「どうしたらいいのかな」

話しかけた先には黒猫のぬいぐるみが1匹。何も言わずにじっとこちらを見ている。小学校2年生の時に祖父が買ってくれたものだ。何日か前に捨て猫の「コゲ」を拾って帰り、「うちじゃ飼えないのよ」と言われてしまったから。コゲとそっくりの、黒と白が混じった猫のぬいぐるみを買ってくれた。

声に出して話しかけたのは、たぶんあの日が最後だったと思う。けれど未だに、何かワクワクすることや、不安なことがあるとこっそりコゲを連れていっている。カナダへ初めて語学留学をした時、実家から寮に引越した時、そして今でも変わらず、枕元で私が寝るのを毎日見ている。

今は少しブームが去っている気がするが、「ミニマリスト」なるものが流行っていた。持ち物を必要最低限まで減らし、物に縛られない生き方を目指す。引越しが続いた時期もあり、私も数年前はそんな生活に憧れていた。

けれど、「必要なものが少ない」生活って、ちょっと寂しいかもしれないなと、あたりを見回してふと思った。

南米で買ったエケコの置物も、インド・キャメルサファリのおみやげラクダの置物も、大事な人がくれた地球儀も、そして私の枕元をいつも賑わす、コゲとかわいい仲間たちも。彼らはただ置いてあるだけで、何かを収納もできないし、ライト代わりに光るわけでもない。とくにエケコは、身に着けている粉や麦がこぼれてきているので、逆に掃除で手間がかかる。どれも生きるうえでは、特に必要がない。

けれど、置物たちは私に海の向こうを思い浮かべさせてくれる。ぬいぐるみは、ちょっと寂しい時の頼りになる。生きるうえでは必要ないかもしれないけれど、あるとワクワクさせてくれるし、落ち着かせてくれる。

普段の生活の中で「なくてもいいもの」に助けられていることって、きっとかなり多いんじゃないだろうか。映画や小説も無いと生きられないわけじゃない。旅行だって、メディアだって、無くても命に関わることではない。

けれど、私たちはそこに感動したり、励まされたり、刺激をもらったりしながら、「生きるために必要なこと」に対して、「明日もまた頑張るぞ」なんて意気込んだりしているのかもしれないな、と考えた。必要なものばかり、欠けてはいけないものに囲まれた生活は、毎日気を抜けずにちょっと窮屈だったりするのかな、とも思う。

直感でも自分がいいと思ったもの、心がちょっと動いたものは、用途がわからなくても家に持ち帰って楽しみたいなぁ。


石田ゆり子さんの『Lily』にある数々の“小さなもの”を見て、生きるだけなら「いらないもの」が与えてくれる、大切な時間に思いを巡らせたのでした。

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テーマ #「いらないもの」の必要性


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