嫌いの感覚
前に同僚から、「もりやさんと"嫌いだな"と思う部分が似ている気がする」と言われたことがあった。好きが似てるよりも大事だと思う、とも言う。
好きが一緒の時と、嫌いが一緒の時を想像してみる。
どこまでもパワーが加速していくのが、好きが一緒の時だと思う。「これ好き」「いいよね」と会話がポンポン弾んでいく。アイデアがどんどん出てくる気がする。好きに共感してもらえるので、一緒にいて楽しい。
では、嫌いが一緒の時。
多分、日々の中で話が盛り上がることは少ないかもしれない。相手が楽しそうに話していても、同じ熱を向けられるかはわからない。好き同士に比べたらずっと平熱状態で会話が進んでいくだろう。けれど「相手からこういう反応をされたら嫌だ」「こういう事は言われたくない」の、最低ラインが一緒の場合、これだけは守りたいというものに結束ができるかもな、と思う。
ライターさんにはこういう対応したくないよね、とか、初対面の時にすぐタメ語の人には距離を置いてしまう、とか、あの人の言い方はもっと別の方法があるよねとか。
何かに夢中になっている人の話を聞くのは、たとえそれが自分に興味の無いものでもすごく好きだ。その人がなんでそんなに好きなのかが気になるし、自分にない視点をくれるので新しい世界が見える。けれど嫌いが違うと、自分の嫌いなことをされてしまう可能性もあるということ。そして嫌だなと思う感覚を共有できないのはすごくストレスが溜まるような気がするのだ。
あの人はどんな事が嫌いなのか。なかなか嫌いという態度はすぐに出て来づらいけれど。仲良くなりたい人がいる場合は、好きなことよりも押さえておきたい、大事な部分なのかもしれない。
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大テーマ#嫌い
テーマ#相手の反応
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