見出し画像

ボツになったプロフィール写真

写真を撮られてもしっくりこなくなった。

思えば、全然変わらなかった体重から数年かけて、7キロ近く増えている。過去の写真と比べると顔に肉が付き放題、目のしわが圧倒的な存在感を放っている。そればかりか最近はゴルゴ線まで気になって、加工無しでは人様にお見せできないと思うようになった。写真は若いうちにたくさん撮っておくべきだなと、受け入れがたいリアルな自分と向き合うようになって、ひしひしと痛感している。

そんなことを予知していたのか、30歳になる前に、友達と2人で私は小さな冊子を作った(今風に言えばZINEになるだろう)。ひと月ごとに1つテーマを決めて、カメラの上手な人に撮ってもらう。友達の誕生月にはダブルベッドの上で下着でプレゼント交換とか、4月は桜の木の下でドレスを着てワインで乾杯するとか。

画像1

8月は、ひまわり畑で服や身体に絵の具をつけて遊んだ。

こんなふうに普段は撮らないカットを考え、来る30代のために、20代の自分を写真の中に閉じ込めた。今写真を見返して、すっきりとしたあご回りの自分を見ると、この選択は本当に正解だったと過去の自分を誇りに思う。

撮られることがすっかり苦手になった私だけれど、仕事がら記事に登場したり、プロフィール写真を提出することがある。記事に登場する場合はわき役なのでなんとかなる。問題はプロフィール写真だ。今までは顔に余計な肉がないころの写真を提供していたが、今回の要望は「カメラと一緒に」だったから、新しく取り直す必要が出てしまった。

“カメラと一緒に”ということは、高性能でごまかせない。スマホもiPhone7だから、盛れるアプリで頑張るしかない。もちろん加工は自然に。ナチュラルに。

仕事が始まる前の数十分で家を飛び出し、太陽の光がきれいにあたるところを探した。ここならなんとかなるだろうと思う場所を見つけたものの、実際撮れた写真は眉間にしわを寄せる一歩手前みたいな表情だし、風が吹いて髪の毛がメデューサみたい。必殺目線ずらしも今回はNGなので、風を待って真正面から勝負を挑まなくてはいけない。

30分ほど粘って数十枚もの写真を撮ってもらったけれど、どれも結局しっくり来なかった。もはやこれは解決しない。私という素材の問題なのだろうと諦めて、まぶしそうに笑う顔パンパンのピン写真をプロフィールとして提出したのだった。

厳選した1枚を不自然にならないギリギリまで加工して提出を終え、スマホのアルバムに戻ってくると、冴えない顔した私がアルバムを占拠していた。スクロールを続けていたら、「こんなに撮ったのに、全部削除しちゃうのかな」と、もったいない精神がひょっこり顔を出した。あんなに嫌がっていたのに、人の気持ちってすぐに変わってしまうものなんだな。

だからここで、カモフラージュできる最大限の加工して、最大限マシになったいくつかの写真をここにアップロードし、何十枚もの写真を供養しようと思う。20代と全く同じ私には戻らなくても、「今でも十分いい感じじゃん」といえるようになる日が来ることを夢見て。

iOS の画像 (1)

iOS の画像 (2)


最後までありがとうございます!いただいたサポートは、元気がない時のご褒美代にします。