見返りをもとめず、“ただ、座ること“が大事
「座禅をしたら救われる、と思って禅を組んでも意味が無い。何も考えずに、『ただ、座ること』そのものに集中しなければいけない」と、僧侶の人が言っていた。
心が乱されると決まって「座禅がしたい」と思うけれど、それは間違った使い方だと釘を刺されてしまう言い方だ。すがるように座禅をするのは欲望の塊。見返りを期待したり、今後のことを想像したりしないで、今やっていることに集中しろ、という通達なのだと思う。
悩みの9割はたいてい、「今考えてもわからないこと」について悩んでいることが多い。あの人はどう思ってるんだろう、とか、このままの自分でいいのだろうか、とか。そんなものはあの人に聞かないとわからないし、いいかどうかはその時になってみないと判断できない。だからこそ悩んでしまうのだけれども、悩んだところで解決方法は見つけられないような気もする。
見つけられないモヤモヤを抱えて動けなくなる前に、今できること、今してることに集中して一個ずつやっていくことを、僧侶の人は言っていたのかなと思う。救われるか救われないかはわからない。けれど目の前のことと誠実に向き合った分だけ、できることも広がってくるのだろう。
妄想で終わらせないで、今できること、やってこう。
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