下を向かずに、勢いつけて
小学生の頃は、夏になるとよく泳ぎに行った。市民プールも楽しかったけれど、やっぱりいつもと違うことができる場所の方がワクワクする。波のプール、流れるプール、スライダー。どれも休むのを忘れて遊んでしまう場所だけれど、ひとつ“楽しかった”記憶が薄いものがある。それが「飛び込み」だ。
実家近くの多摩川で、電車に揺られて行ったとしまえんで、高いところからジャンプをして水に入る「飛び込み」は、いつも怖がりながらやっていた。毎週土曜日のスイミングスクールでやる飛び込みとは全然違い、足から先に水に入るそれは、1番最初に飛び込む前に、足がすくむ。
下を見るとその高さは、より誇張されて見えるから不思議だ。思い切ってジャンプ台を離れ、水に入るまでの、あの時間が止まったような感覚。息を止めるタイミング。頭までかぶる水。
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今回、約20年ぶりに「飛び込み」をした。舞台は海。せっかく来たのだからとジャンプ台に立ってみたものの、下を向くとやっぱり足がすくんで踏み出せない。頭の中で「やめる」選択肢もひょっこり顔をのぞかせる。一度戻る。けれどここにきて「やめる」はつまらない。
行っては戻りを繰り返していると、一緒に来ていた人たちからのカウントダウンが聞こえてきた。「勢いつけていっちゃいなよ」の合図だ。
下を向くのをやめる。5、4、3でジャンプ台の先まで走る。2、1、でジャンプ台から足が離れる。時が止まる。水しぶきが上がる。海水が私の全身を包む。
すぐに身体が浮かび、水面から顔を出して手で拭うと、平泳ぎでその場を離れた。
怖い、怖いと言いながら、結局3回飛び込んで、次のスポットへ行くときには後ろ髪引かれるようにその場を後にした。
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“どうなるかわからないこと”に自分から行くことって、かなり覚悟が必要だよなぁと思う。1度成功体験を作ってしまえば、動くことのハードルは低いかもしれない。けれどもし、最初の飛び込みでけがをしていたら、私は今後飛び込むことはなかっただろうなぁとも思う。
「やってみたいな」という気持ちがあっても、実際にやるまでにはさまざまな葛藤があるのだ。
同じように「やりたい」という人を見つけて行動に起こし、「やっぱり怖い」と言った時に後押ししてくれる周りに支えられて、でも最後は自分で覚悟を決めて。次の挑戦ができるのは初回の成功体験が鍵。それが私の“挑戦”に必要な要素なのかもしれないなぁと、3回目の飛び込みが終わったところで考えた。
不安で怖いな、と思うことがあっても、周りを巻き込んでやってこ、と思った平成最後の夏。もっともっと、飛び込んでこ。