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「バズ」は月か、それとも指か

自分が社会において、明確に「この部分で貢献できている」と知っている人、自分が開花する分野に気づいている人は、一体世界の何割いるのだろうか。

「半年間クオリティの高いものを出し続けて、跳ねなかったらその方面の才能がない」という言葉に心がザワザワした。

キャリアチェンジをしてから1年8ヶ月。今は正社員で働いているメディアの他にも、複数メディアで書かせてもらったり、毎日noteを続けて文章力アップを図っている。毎日自己ベストを出せているかと問われると、イエスとは答えられなくて、寝ぼけながら書いたnoteも、無理やり書くことを絞り出しているnoteも底知れない。

とはいえ半年経って跳ねてないから、私は才能が無くて、続けても意味がないのか…?と思い始め、朝から心がざわついてしまったのだ。8ヶ月間、毎日書き続けているけれど、有名になっていないから書くのは無駄なことなのか。もんもんと考えていたところで、鈴木敏夫さんの「禅とジブリ」にあった文章を思い出した。

私たちは、よく悟りを月にたとえるのですが、教えは月を指す「指」でしかないんですよね。指のほうに注目してしまうと、どうしても肝心の月が目に入らなくなってしまいます。--細川晋輔和尚

「有名になること」は、私の場合悟りの“月“でもないし、”指”とも違うなぁと思う。バズを起こすために始めたわけではなくて、文章力のアップのためとか、届けたい人に届けるために、書く仕事をしてきた。それが成果として「バズったか否か」があるのかもしれないけれど、それを考えたり、「向いてる/向いていない」問題を解こうとするよりも、もっと見るべき大事なものがある。

“月”に向かって進んでいるか、楽しいか/楽しくないか、だ。

自分の一番得意とする分野を見つけて、そこで活躍することは選ばれる人だけに与えられた特権のような気がする。得意がわからずに人生を過ごす人がほとんどだからこそ、「天職」が存在するんだろうなぁと思う。常にそれを探し続けていたら、ちょっと息切れしてしまいそうだ。

だから、自分が発揮できるかどうかを考える前に、今ある出来事に全力で向き合えるかどうかを考えていきたい。周りの反応も大事かもしれないけれど、自分の作った目標に対して今を比べる人間でありたい。才能の有無にかかわらず、「生きがい」が見つけられれば、それでいいんじゃないかなぁ。

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もりやみほ
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