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最期までのステップ

文章を書く人の数人で集まって、「書く日、書く時、書く場所で」というマガジンを作っている。最初と最後の文章を揃えたり、みんな同じテーマを決めて書く。最近はみんなが超多忙すぎて、書くことお休み、飲み仲間化しているけれど、たまに飲んだり書いたりするとみんなのレベルの高さに焦りを感じてしまう。

以前、そんなメンバーで「理想の最期」というnoteを書いた。

私の理想の最期は、祖母や祖父の最期に影響をうけている。「色々あったけど、後悔は無いよね」と言って、見送られるのがいちばんいいなぁと思うのだ。

仕事をしていると、つい会社の目標が自分の目標になってしまう。「それが達成されたら、自分はどうしたいの?」というジュンヤさんの言葉に戸惑ってしまうくらい、会社の目標に同化される。飲みに行った別の友達にも、「社畜体質なのかもしれないです」と話したら、「自分の欲求を届けるアーティストというよりは、依頼者の課題を解決するデザイナータイプなのかもね」と、綺麗な言葉に変わり返ってきた。

"デザイナータイプ"に寄っている私は、生涯かけて「これを成し遂げたい」「発信したい」と思うものが、ぼんやりしてしまっている。それよりも、必要としてくれてる人にどう役立つかとか、伝えたい思いと相手のいる人の、通訳みたいな役割をしたいという気持ちが強い。

そもそも、ずっとやりたいと思っていたことが、アパートメントの連載で一区切りしてしまった。そのうえで今思うことは、目標の立て方を少し見誤ってたなぁということ。多分私はかなり個別具体的すぎて考えすぎて、マイルストーンの1つを理想に掲げていたのかなぁと思う。生涯かけてやりたいことって多分それの、もう一段階抽象化されたものであるのかもしれない。

理想の最期にむけてやることは何なのか。後悔の無い死に方をするには、どんなふうに生きるのがよいのか。いつになったらわかるかなぁと、ちょっと気が遠くなったりする。

考えがまとまった時にはすでに、病院のベッドで横になっていたりして。

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毎日数人でお題を決め、noteを書いてます。ハッシュタグは #毎日note
テーマ #自分の理想の人生とは

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