しゃくしゃく余裕で過ごしたい
焦ったり、余裕がなくなった時こそその人の本性が出ると言われている。
新婚旅行中にケンカをして、帰国後すぐに別れる"成田離婚”なんて言葉もあったように、特に旅行中はそんな場面に出くわしやすい。2人きりだと余裕のない相手にも向き合わざるを得ないため、「こんな人だなんて知らなかった」となってしまうのだろう。
焦っているところは極力誰にも見せたくないし、できれば「大丈夫」と言って相手を和ます役でありたい。けれど本当に余裕がなくなってくると、そういうわけにもいかなくなる。かなりよく言えば人間らしく、けれどそれは極力落ち着いた行動を取りたい、大事な部分だったりする。
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徳島県神山町の山道を、友人と車で上った。と言ってもペーパードライバーの私は隣にちょこんと座っているだけで、「この先に何があるか行ってみようよ」の誘いにちょっとの緊張をもって乗ったくらいのことしかしていない。
道はどんどん上へ続き、朝まで降ってた雨のせいか周りは水であふれている。頂上付近まで来て、少し外の景色を見た後、「悲願寺」を案内する看板を見つけた。
今までの山道がそこまで悪くなかったから、「せっかくだから悲願寺寄って戻ろうか」と余裕の選択を行う私たち。ここからが悲劇の始まりだ。
道を変更してからはガタガタの山道が続く。10分走らせても、20分走らせても、悲願寺が見えない。
だいぶ山を下ってようやく悲願寺につき、神秘的な雰囲気を堪能してからまた車に乗った。
今までの道を上るのは危険だと判断し、帰りは違う道を選んで進むことにした。そして、ここで絶望と直面することになったのだ。
途中まで舗装されていた道路が山道に変わり、身体が浮かんでしまうほどのガタガタ道がほぼ1分間隔で続く。
ゴツン、ゴツンと、街中で聞いたら車を止めて様子を見たくなるほどの音が車の外から聞こえる。車体が沈んでしまいそうなほどの水たまりが立ちはだかる。生い茂っていた木が無くなり、ススキのきれいな景色とともにいよいよ道が細くなった時にはもう、「今日中には帰れない」と思った。車はどこかで動けなくなるか、転落するか。連絡をとろうにもスマホの充電は残り5%。
隣では友人が「やばい、やばい」と言いながら笑う。もしかしたら笑っていなかったかもしれないが、普段通りのような落ち着いた声が聞こえてくる。恐怖で正面から目が離せない。けれど、「運転している方が大変なんだし、ここで取り乱しちゃだめだ」と心が私に言い聞かせてくる。
「やばいですねこれ、あはは…」なんて極力無言を避けようとするも、「これ、道に木が倒れてたら終わるね」とか、「車壊れたらやばいね」なんて話をするうちに本気で余裕がなくなり、最後のほうは何も言葉がでてこなくなってしまった。
スーパードライバーと優秀な車のおかげで、険しい山道をなんとかこえて道路に出た。ほっと落ち着けるかと思いきや、なかなか緊張が解けず夜になり、温泉に入ってようやく気持ちが和らいだ。
ここまで一緒に戦ってくれた車はというと、町にもどってしばらくたってから調子が悪くなり、外に出てみるとパンクをしていた。山道じゃなくて、ちゃんと道に出てからパンクを気づかせてくれるなんて優秀すぎる……と、車に愛しささえ感じた。
戻ってから私たちが駆け抜けた山を見る。あんな所まで行ってたのか、と思うとなんだか笑えてもきた。
あんなに絶望していたにも関わらず、「なんだかんだ面白い経験したなぁ」と、喉元通れば熱さも忘れてしまうもの。恐怖が終わるとやけにポジティブになるから不思議だ。
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ただ乗車していただけなのに、ドライバーの緊張を和らげるでもなく、絶望につぶされてしゃべれなくなるあたりが情けないなぁと、後からふつふつもどがしさが湧いてきた。私がドライバーじゃなくて、焦らず道を進んでくれる友人で本当に救われたと思う。
余裕がなくなると何もできなくなる現実を突きつけられた今回の一件。「ピンチの時に見せる余裕」を培うためには、場数なのか何なのか……。