怒りたいときに怒れる環境
「彼は怒れるようになって、よかったと思う」
単語をひとつひとつ、丁寧に包むように彼女は言った。
同じグループにいる彼は、些細なことにも毎日怒る。2回言っても相手に聞き間違えられたりだとか、食べに行ったお店で冷たい対応をされたとか。どうして彼にばっかりイライラする要素がふりかかってくるのかと思うほど、常にイライラしている。
そんな彼のことを、すごくもったいないなと思っていた。そして、ちょっぴり嫌だった。例えその感情が自分に向けられていなくても、怒っている人の近くにいるのはストレスだ。
「まぁまぁ」なんてなだめようと思った日にはこちらにもとばっちりが来る。怒られて嬉しい人はいないから、彼は怒ることによってまわりと距離を作ってしまうのではないかと、少し心配もした。
「どうしてあんなに怒るんだろう?」
彼と同じグループの彼女にぽろっとつぶやいた。彼に対して、耐えられないほどの大きな不満があるわけじゃない。けれどもっと楽しく生きたほうが、彼のためになるんじゃないか。そんなふうに考えて出た言葉を聞いて、彼女が言ったのが冒頭の言葉だった。
「彼は怒れるようになって、よかったと思う」
彼女いわく、数か月前の彼は怒ることをあきらめていたらしい。「言っても解決しないから」と怒りの感情を自分の中に閉じ込めて、ずっと我慢していたそうだ。閉じ込めなきゃいけない感情がある時は、口数も少なくなる。次第に何もしゃべらなくなり、一時期は孤立してしまったという。
「だから、今は感情が出せるようになって、いい方向に進んでいるの」と、彼女は言った。
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悲しい時に涙を出すと落ち着いてくるように、不満があるとき、つらいとき、悩んでいるときに口に出して言ってみると、次第にどうでもよくなったり、解決の糸口が見つかったりする。「出す」という行為は、感情を消化して次に進むのに重要な役割を果たす。
もちろん、「出す」場所にも注意が必要だ。周りがそれを受け止めてくれなければ、出すことで関係が悪くなったり、付き合いが切れたりしてしまう。彼女のように、「出すことはいいこと」と受け止めてくれる存在がいてようやく、湧き上がってくる自分の感情に対して、しっかりとぶつかっていけるのだろう。
もちろん、毎日怒らず、笑って過ごせるようになれればいい。けれどそれは「笑って過ごす」ことよりも、歓びや楽しみを笑いで出せる環境があること、内面から出てくる感情をそのまま吐き出して、「いいことだね」と言ってくれる環境があること。それが一番なのだ。
怒りっぽい彼のことを、明日からはやさしい気持ちで見守っていられるような気がした。