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『ハンチバック』書評――「健常者」という仮想敵に向けて

この書評は、高円寺「本の長屋(コクテイル書房)」で開催されている「書評を書く読書会」に参加して書いたものです。読書会では、課題図書について参加者が800字程度の書評を書いて持ち寄り、話し合います。後日、主催者の方からも書評について個別にフィードバックをいただけます。



<生まれ変わったら高級娼婦になりたい>

<普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です>

首をかしげたくなるようなツイートを続ける井沢釈華。10代の頃に全身の筋力が低下する難病・ミオチュブラーミオパチーを発症し、背骨は右肺を押しつぶすかたちでS字のように湾曲をしているという。両親には相当の資金があったようだ。身体の不自由さはひどいものの、死ぬまでに必要なお金なら揃っているらしい。

そんな彼女は両親が遺したグループホームの一室で、通信過程の大学生となって勉強したり、1記事3,000円ほどのポルノ記事を淡々と書き上げその報酬を寄付したり、大きな声では言えない願望をツイートする。

そんな彼女に対して嫌悪感を抱くのは、自称「男性弱者」でヘルパーの田中順。34歳にして身長155センチメートルといった要素が彼を「弱者」と自称させている。

「苛立ちや蔑みというものは、遥か遠く離れたものには向かないものだ」という本書の記述を考慮すると、田中は井沢に対し、近いからこその嫌悪感を抱いているのだろうか。田中は井沢のツイート内容を声に出し、蔑むような目をよせる。そんな田中を、井沢は1億5500万円で買おうとする。身長と同じ数字になるよう、せいいっぱいの悪意を込めて――。

本書を読み終えたとき、私も彼らと似ている気がした。井沢がなりたいと言っていた娼婦には、それを選ばざるを得なかった人がいるだろう。「普通」の人のように中絶することが夢だという一方で、子をもちたくても叶わない「普通」の人もいる。彼女が憎む紙の本好きの「健常者」で、文学賞を取れるのは一握りだ。ページをめくり本を読むこと、自分の足で買い物ができること、出産、子育てができること。それを「普通」だと決めたのは、どこの誰なのだろうか。社会にはびこる「普通」や「健常者」の概念にとらわれ、他者を蔑む彼らを見て、私はそれと違った目線から苛立たずにはいられなかった。

課題図書


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もりやみほ
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