『ハンチバック』書評――「健常者」という仮想敵に向けて
*
<生まれ変わったら高級娼婦になりたい>
<普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢です>
首をかしげたくなるようなツイートを続ける井沢釈華。10代の頃に全身の筋力が低下する難病・ミオチュブラーミオパチーを発症し、背骨は右肺を押しつぶすかたちでS字のように湾曲をしているという。両親には相当の資金があったようだ。身体の不自由さはひどいものの、死ぬまでに必要なお金なら揃っているらしい。
そんな彼女は両親が遺したグループホームの一室で、通信過程の大学生となって勉強したり、1記事3,000円ほどのポルノ記事を淡々と書き上げその報酬を寄付したり、大きな声では言えない願望をツイートする。
そんな彼女に対して嫌悪感を抱くのは、自称「男性弱者」でヘルパーの田中順。34歳にして身長155センチメートルといった要素が彼を「弱者」と自称させている。
「苛立ちや蔑みというものは、遥か遠く離れたものには向かないものだ」という本書の記述を考慮すると、田中は井沢に対し、近いからこその嫌悪感を抱いているのだろうか。田中は井沢のツイート内容を声に出し、蔑むような目をよせる。そんな田中を、井沢は1億5500万円で買おうとする。身長と同じ数字になるよう、せいいっぱいの悪意を込めて――。
本書を読み終えたとき、私も彼らと似ている気がした。井沢がなりたいと言っていた娼婦には、それを選ばざるを得なかった人がいるだろう。「普通」の人のように中絶することが夢だという一方で、子をもちたくても叶わない「普通」の人もいる。彼女が憎む紙の本好きの「健常者」で、文学賞を取れるのは一握りだ。ページをめくり本を読むこと、自分の足で買い物ができること、出産、子育てができること。それを「普通」だと決めたのは、どこの誰なのだろうか。社会にはびこる「普通」や「健常者」の概念にとらわれ、他者を蔑む彼らを見て、私はそれと違った目線から苛立たずにはいられなかった。
課題図書