"非現実"を求める余暇時間
最近、特にプランを考えずに友人たちと旅行をすることが増えた(そして旅先で仕事をすることも増えた)。学生の頃は「ここ行こう!」「あれしよう!」みたいな計画をあれこれ立てて観光し、ホテルへ1度チェックインした後は夜の街に繰り出して飲む、みたいなものが旅先での過ごし方だったように思う。
それが社会人になってからは、観光地よりも温泉地、チェックインは極力早めに終わらせて、宿でゆっくり過ごすみたいな旅行にシフトしていっている。夜は飲むときもあれば飲まずにサクっと寝てしまうことも。そういった「何もしないこと」がすごくリフレッシュする旅の過ごし方になっている。
いつも日々の業務が終わった後は、trelloで作った自分のタスクをこなす時間。何かの名目で集まる人とは、夜ご飯の数時間の中でそれぞれの近況を報告しあう。夜が遅くなっても、朝はできる限り早く起きて溜まっている仕事を片づける。隙間時間には良い情報を見逃さないよう、SNSのチェックを行う。毎日何かに追われては追いかける世界に生き始めると、余暇の時間ができれば特に「何もしない」を求めるのかもしれない。
東京のカフェにいる時は、「何もしないこと」は自分の首を絞めていることにもなる。けれど自分の生活圏とはちょっと離れた空間で、思考もパタっと停止させて、何もしないことを目的にしたら、それはなんだか非現実的で、でもすごく生産的な行為になるような気がする。何もしないで過ごした旅行から戻ってきて、心の余白が出来ていることを見つけ、そんな気がしています。
テーマ#何もしないこと
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