"敵は自分"だった頃から
「あの人の声を聞くとホッとする」という経験を持つ人はどのくらいいるだろうか。私はそれが、ゆずの2人の歌声だ。
風邪を引いた時も、受験勉強や就活がうまくいかず落ち込んでいた時も、恋をした時も、ふられた時も、小学生の頃からずーっと聞いていたからか、2人の声を聞くと心が落ち着くようになった。
今日は、3年ぶりにゆずライブへ行った。久しぶりの弾き語りドームライブ。お決まりのラジオ体操から始まり、何度も歌った懐かしい曲が続く。時には路上ライブ時代や、冬至の日ライブの映像が流れ、今の私よりもずっと若い2人がディスプレイ上に映った。
ライブの最後に悠仁が、2001年で行った初めてのドームライブについて、当時の心境を話し始めた。
「来てくれていたお客さんには大変申し訳ないんだけど、『絶対負けない』というか、『なにくそ』というか、ギラギラしたものが当時はすごくあった」という。
正確ではないけれど、とても穏やかな表情で、そう話していた。当時の悠仁を思い出してみると、やっぱり今にはない、爆発しそうなほどエネルギーがあふれていた。
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今日のライブはとにかく穏やかだった。ぽかぽかとした春の陽気みたいに、心の底からじんわりと幸せを感じる。彼らを好きになってよかった。こんなに幸せな時間は無いとまで思う。けれど同時に、今まであった燃えるような勢いは、たしかに無くなったなぁとも感じた。
「負けちゃいけない、負けるもんか」とギラギラしていた時は、そこから生まれるエネルギーがファンにもガシガシ伝わってきた。そこがとても魅力的だったし、それに奮起されながら、「私も負けてはいられない」と踏ん張ってこれたところもある。
「負けちゃいけない」対象はいつも自分で、自分の至らない部分との戦いや、どこまでできるかの度胸試しを、必死に繰り返していたように思う。辛いこと、悲しいことがあった時、勝ちたい相手はいつも自分だった。悠仁が言ってた"ギラギラしたもの"は、私の"負けたくない"部分と共鳴して、彼らの歌にのめり込んでいったのだと思う。
けれど、今は違う。必死で自分と向き合って、「負けちゃダメだ」と戦闘態勢に入り、弱い自分をひた隠しにして意地を張ってきた自分には、しばらく休憩を取ってもらうことにした。すると自分以外のことに興味をもつようになり、周りが生かしてくれるから、周りが助けてくれるから、今の自分がいるという考えにたどりついた。
いつまでも戦闘態勢でいるのは疲れてしまうから、そろそろ肩の力を抜いて、戦いのフィールドから降りようじゃないか。そんなふうに考えた矢先に、悠仁から2001年の時の話を聞いて、何年たっても私がゆずを好きな理由に出会えたような気がした。私たちは同じように変化して、歳を重ねているのだ。
ぽかぽかと温まるようなライブは、最後の曲で少し泣けてきた。とにかく夢中で、必死に自分と戦っていた当時が思い出され、そんな日々がキラキラ輝いて見えたからだ。当時は苦しかったはずなのに、今思い返すと達成感すら感じる。あぁ、あの時があったから、今の私があるんだろうな、とも思う。
自分と戦っていた時も、もう「無理をしない」と決めた時も、いつも2人の声があった。今回のライブで改めて考えさせられた。これからもこの声とともに、人生を歩んでいけたらなと思う。
今日の毎日note
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