宇宙の切り取り方が、その人の生き方
「顕微鏡で細胞を見た時、『ここにも宇宙がある』って思ったんです」そんな話に、吸い込まれるように聞き入った。
話しの主は、"覗くのが好き"という美容師さん。500円くらいで顕微鏡が売っているのを見つけ、購入して覗き込んでは、写真を撮っている時期があったのだそう。覗いているうちに、望遠鏡も顕微鏡も、大きさは違えど同じ行為をしていることに気が付いたという。
小さな細胞を顕微鏡で拡大してみるのも、大きくて遠い月を望遠鏡で見るのも、同じ「覗く」行為に集約される。望遠鏡では月を通して宇宙の一部を見る。それなら、顕微鏡で見る細胞も、宇宙の一部ではないだろうか。そんなふうに考えたそうだ。
続けて私は、同じ「宇宙を見る」行為でも、「見たい宇宙しか見ていないな」とも思った。覗いて見つけたものは自分が見たいと思ったもので、大きな宇宙のほんの一部でしかない。けれどそれが、「宇宙とは」に集約されるものだと勘違いして、見たものから全体を想像してしまう。全体を見ることは決してできないのだけれど、一部だけを見ているとそれがなかなか理解できなくなってしまうのだ。
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twitterやinstagram、SNSのタイムラインも「自分が見たい情報」がフィードに流れてくるようになっている。それが広く一般的に言われている意見だと勘違いしてしまうのは、「全体のうちの一部だ」と感じられなくなってしまうからなのだろう。
フォローしている人がそれぞれバラバラなように、私たちが一人ひとり見ている宇宙は違っている。どんなふうに受け取るか、どんなふうに切り取るかはその人自身しかわからない。またはその人自身もわかっていないかもしれない。
切り取って見た中にも宇宙はあるし、切り取らなかった中にももちろん存在する。結局宇宙はすべての場合に存在するから、私たちは「どう切り取りたいか」だけを考えればいいのだろう。
その切り取り方そのものが、生き方であり、個性なのだろう。
去年の毎日note
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