「書くうえでやめてほしい2つのこと」をやめてみる
スマホアプリの中には読んでよかった記事たちがあちこちに散らばっている。GW中にそれをひとつへ集約すべく、保存されている記事をもう1度読み直し、このまま保存しておきたいものなのか精査することにした。
読んだ当時はとても重要だと思ったものも、日が経つと「もう読み返さなくてもいいかな」と思うものに変わることがある。それは例えば、編集者になりたての時に必要だと思った、スマホユーザーに合う「書き方」の決まりなど。参考書のように何度も読んで実践して、おかげさまで頭の中に叩き込まれていた。
反対に、今読んでも新しい発見があるかのようにワクワクしたり、定期的に読みたくなるものもある。ひとつはWIRED元編集長の若林さんとクラシコムの青木さんの、クラシコムジャーナルでの対談記事だ。
クラシコムスタッフには「書くうえでやめてほしい2つのこと」を伝えてあるのですが、ひとつは「書きたいものを書く」こと。もうひとつは「みんなが読みたいであろうものを書く」ことです。では、どうするか。なによりも「自分が読みたいものを書いてほしい」と。(青木さん)
読んだ当時、すごく意識して書いていたけれど、「自分が読みたいものを書く」のは結構難しい。書く技術に加えて、"自分はどんなコンテンツを好んで読むのか"の言語化をはっきりしておく必要があるからだ。それができていないと、どんな題材を選ぶか、それをどんな風に書くかが決められない。
インタビューの序盤では、若林さんからはこんな話も出ていた。
他者から「全然文章がつながってないじゃん」と見えることに気づけないのは、実は書き手の読解力に問題があるんですよ。自分の中の書き手と読み手が均等に存在していないというか……読み手のほうが弱いんですね。だから、文章がうまい人っていうのは読むのも上手なはずなんです。しかも、自分の文章をしっかり読める。
読むこと・書くことは表裏一体。ある程度本は読んできた方ではあるので、幸いにも仕事がもらえるほどにはある程度書けていると思う。けれどその後の、おもしろいとか、読んでよかったとか思える文章を作るためにはやっぱり「読解力」がキーになっているのだろう。
好きな文章について、何が好きか、どんな風にいいと思ったのかを言語化させるのは難しい。嫌いな文章についても然りだ。もっと他の人の文章にふれて、好き・嫌いの感度を高めていきたい。
去年の毎日note
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