誰かを傷つけることについて、弱冷房のカフェにて。
今日はナスとミートソースのスパゲッティ。アイスティと悩んで、結局アイスコーヒーを頼んだ。カフェではいつも長袖が必要だけれど、ここは弱冷房で嬉しい。アイスコーヒーがスパゲッティより先に来た。氷の冷たさとコーヒーのぬるさが混ざっている。スパゲッティが到着するまで、脳内でたわいもない会話が繰り広げられている。
ー最近、誰かを傷つけた?
うん。自覚的なのは5月。けれど無自覚なものは昨日でも、もしかしたら今日もしているかもしれない。
ー5月の時は、どうして傷つけたと思った?
その人に辛い思いをさせてしまったから。正直、私はどちらでもよかった。けれど相手の期待に応えきれないな、と思って。その結果、相手は傷ついたと思う。
ーでも、相手の期待に応えられなかったならそれでいいんじゃないか?
どちらにしても傷つくんだから、どっちでもよかったのかもしれないけれど。嫌いなわけじゃないのに、どうして傷つけてしまったのだろうかと思って。
目線を落とし、グラスの氷をつつく。ひと息ついたところでスパゲッティが到着した。麺は少しくっついていて、フォークにまきつけようとすると大きな塊になってしまう。一口大になった麺をほおばったあと、また話を始めた。
ーまぁ、傷ついたからこそ気づくこともあるかもしれないよね。自分もそういう経験あるんじゃないかな?
それは確かに。ただ私にはその勇気がないなぁ。
ーどうして勇気がないんだと思う?
もしも相手に傷だけを負わせてしまったとしたら、私は責任取れないし、相手には憎まれてしまうかもしれない。
ーそれは、“自分のせい”になるのが嫌だ、ということ?
うおお、結局自分を守るため、的な……!
口の中に、ちょっと苦めのバジルの香りが広がった。飾りのように置いてあったバジルを食べたからだ。 手を休めて正面を見た。女の人が1人、本を読んでいる。隣には3人グループの女性がパニーニを食べている。あたりを見回しながらストローを口に運ぶと、グラスに着いた水滴が左腕をつたった。
ーどうしてそんなに、自分を保護する必要があるのだろう?
本当、ちょっと過保護なんじゃないかと思う。思えば過保護って他の人に対してもそうで。仕事をお願いしても辛くないかな、とか、無事にやれるのかな、大変な思いをしてないかな、というのがすごく気になってしまう。
ーそれってすごく疲れそうだし、肩こりそう。
その通り。肩は定期的に鍼もやってる。
ー周りの人からも、過保護な扱いは受けていたの?
そうだったのかもしれないな、と思う。実家にいる時は何も言わなくても母親が部屋をきれいにしていたし、仕事や勉強においても、迷っていると誰かがフォローしてくれた。過保護かどうかはわからないけれど、サポートはすごく手圧かったような気がする。でもそのおかげで、色々チャレンジもできたなぁとも思う。
ー今のあなたはその人達みたいになってると思う?
どうなんだろう。ちょっと違う気がする。単純に、人が悲しむことに怯えてるだけな気がしてきた。
ー傷つけること、悲しませることは絶対にいけないことなのかな?
悪意があるか、ないかによるのかも? その人を陥れようと思ってすることは相手も得るものはない。相手のことを考えて、今は傷つくかもしれないけれど、その後きっといい結果になるよね、そう信じてる、みたいなことは、結果的にいいことなのかもしれない。
ーその人のことを考えた上だったり、知らないうちにだったりで傷つけてしまったなら、その後しっかり謝ればいいんじゃないかな。
そうなんだろうな、とは思う。たぶん、失敗して覚える、みたいなことが苦手なのかもしれない。完璧を求めるというか、マイナスからのリカバリーより、つねに100点を目指すような。
ー常に100点とか無理でしょ。
それに今まで、気づいていなかったんだと思う。無理なんだから、傷つけることを過度に怖がるんじゃなくて、傷つけてしまった後にどうするかを、もっと考えていく必要があるのかもしれない。
女の人はたぶん、あと10分もすると本を読み終えるだろう。辻村深月『サクラ咲く』。スパゲッティで満たされたお腹はパンパンになり、少し苦しい。ひと息ついて、「常に100点なんて無理なんだから、無理を前提に生活したほうが、100点取った時に嬉しいと思うけどなぁ」と言われた時のことを思いだした。今まで培ってしまった考え方を修正するのは難しいなぁ、なんてもごもごしながらコーヒーを飲み干した。席から立ちあがり、トレーを返却し、カフェを後にした。
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テーマ #誰かを傷つけてしまうという感情