すべてはわたしの一部にすぎない
人が血液型占いや性格診断に興味があるのは、自分がどういう人間なのかを一言で表せないことにある気がする。さまざまな面を知ってしまっている以上、「私はこういう人間だ」を自信もって主張できることは少ない。
仮に主張したとしても、「私はこういう人間でありたい」の願望要素は少なからず入っているはずだ。自分が何者であるかは人とのかかわりの中で変化していくもので、絶対的に“これ”と言ったものはない。自分に正直であればあるほど、自分を定義するのは難しい。
例えば「あなたはやさしいね」と言われた時。言われたその時、その人に対してやさしかったかもしれないけれど、わたしはやさしくない時の自分も知っている。どうしてもイライラしてしまって、話しかけられたのに無視をしてしまった日のこと、相手が寂しいとわかっていながら、自分の都合で連絡を絶った日のこと、どう考えても「やさしい」と言われる権利は無いような出来事も、“わたし”はすべて知ってしまっているのだ。
人の性格は相対的で、気分や状況によっても大きく変化する。「どんな人間か」なんてひとくくりにして語れるようなものではない。だからこそ、周りから見た「あなたってこういう人」で自分のことを知っていくし、一方で「あなたってこういう人」と言われたことがすべてではないこと気づいていく。
言われたことは、その人から見たわたしの一部。
しかしほんの、わたしの一部に“すぎない”
そんなふうに考えたら、「あなたってこうだよね」に一喜一憂しなくて済むのだろう。
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