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何気ないポスターの前で号泣した、あの日のこと。

それは、遡ること今から11年前、2008年10月のことでした。

その年の5月に乳がんを告知され、日本テレビでの報道記者の仕事を休職して通院していたわたしは、ある一つのポスターを目にしました。

「乳がんは、早期発見すれば治る病気です」
「大切ないのち、無駄にしないで」

乳がん検診の大切さを訴えるピンクリボンのポスター。
自分が乳がんにならなければ何も深いことは感じなかったであろう何気ないポスターの前で、私の心は凍りつきました。

わたしは早期発見はできなかった。早期発見どころかステージ3の乳がんだから、もう治る見込みはないんだ…
いのちを無駄にしているつもりなんてなかったのに…

早期発見できなかった自分がいのちを無駄にしたと責められているように感じて、駅なのに、溢れる涙を止められませんでした。

その帰り、たまたま通院していた病院の近くにあった東京タワーがピンクに輝いているのを見て、「あれは、私とは違う世界にいる健康な人たちのために輝いているんだな」と感じ、この世の中から一人とり残されたような気がして、さらにかなしくなりました。

あの頃、私の心は相当弱っていました。
被害妄想だ、と言われてしまえば、そうかもしれません。

その後同じように乳がんになった仲間と出会いこの話をすると、「わたしは全然大丈夫、傷つかなかった!」という人もいる一方で、「わかる!ピンクリボンキツいよね」という人も少なくありませんでした。同じ経験者でも感じ方はそれぞれ違いますが、翌年からは、私たちにとってピンクリボンの日は、「また一年、生きられていることに感謝する日にしよう」と決めて、集まって励まし合ったりしてきました。

後に学ぶと、国の乳がんの検診の対象年齢は40歳から。乳がんになったとき、わたしは24歳。若くて異常も感じていないのに過剰に検診をするのはリスクの方が大きいことも知り、キャッチーで端的な言葉で行う啓発活動は怖い部分もあるんだと知りました。

その後、ピンクリボン関連のお仕事のご依頼をいただくことが増え、最初の数年は自らがトラウマで向き合えずにお断りしていましたが、ここ数年は思いを話して参加もするようにもなりました。
乳がん経験者もたくさん参加するようになった最近の表現は、毎年いい方向に向かっていると思います。

また、抗がん剤をしていたときのこと。

何気なくつけたテレビのお笑い番組で、「ハゲ」「ヅラ」という言葉が飛び交っていました。
病気になる前の私だったら、素直に笑えていたかもしれません。

でも、抗がん剤の副作用で文字通り髪の毛が抜け落ちてハゲになり、ヅラを被っていたわたしは、見ていられませんでした。
そして、テレビ局で働いていたのに、しばらくテレビをつけられなくなりました。

8ヶ月の休職の後、日本テレビで記者やディレクターをする仕事に戻り、自分の書く原稿へも、意見を求められたり監修したりする番組へも、向き合い方が変わりました。
これを放送することで、傷つく人がいないだろうか、傷つく人が想像できるなら、同じことをもっと違う表現で伝えられないだろうか、と。

「なんでこの表現がダメなんだ?こっちのがわかりやすいじゃないか?」と上司に言われて、何度も戦い、話し合ってきました。
ありがたいことに、「社会のために、人のことをよく知り、伝えたい」という純粋な思いを持った同僚に囲まれていた職場だったので、難しくてもいつも「初めて知るマジョリティ」「経験しているマイノリティ」の両方にとって最善と思える形を探ってこられたのは幸せだったなと思います。

それでも、自分の手の届かないところで放送された番組を見てギョッとして、その担当者に連絡をして…ということは、昨年12月に退社するギリギリまでなくなりませんでした。

2016年には、がん患者さんやご家族の声にとことん耳を傾けて無料で相談に乗るマギーズ東京をオープンしました。

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センターにはこれまで2万人ほどが訪れてくださり、現地でご対応しているのは信頼のおける医療の専門家なのですが、共同代表という立場上、私のもとにも毎日たくさんの声やご相談が届くようになりました。

この頃から、厚労省や都庁、PMDAなどの審議会などにもお声がけいただくようになりました。

行政の審議会は、いつも多様な立場の人から構成されていて、私は、患者経験者であり、患者さんやご家族に寄り添う支援者であり、マスメディア経験者という立場です。
もしかしたら比較的若い女性、という立場もあるかもしれません。

だから、今回の一連の「ACP」「人生会議」の普及啓発に関する審議会も、私の立場の人々から聞こえてくる声を可能な限り代弁するつもりで参加していました。
最初お声がけいただいたときは、私は厚生労働省管轄のニュースを担当する「厚生労働省記者クラブ」に所属する記者だったのですが、恥ずかしながら、「ACP」がなんのことだか、さっぱり知りませんでした。
だから、「詳しくないので私には務まりません」と一度お断りしたのですが、内容と趣旨を聞いて欲しいと言われて説明を聞くと、なるほど、これは大切なことだとわかり、参加させていただくことに決めました。

実は、厚労省では、それまでも、「ACP」については話し合われてきていました。でも、厚労省を担当する記者にお知らせする記者クラブの掲示板に、「ACPのあり方に関する委員会開催のお知らせ」などと書かれていても、記者も「ACP」がなんたるかもわからないので、誰も取材に行っていなかったのでした。

厚労省の記者クラブには、毎日何十ものお知らせが張り出され、毎日「これを報じてほしい」と会見にいらっしゃる方々がいます。そこから、日本テレビの場合はわたしと先輩の二人、他社も一人から数人の記者で目を通し、取捨選択して報道していかなくてはならないので、何のことかもわからない委員会に取材に行っている余裕はないのです。

そんな背景もあって大切なACPのことを誰にも知られていないなんてもったいない、できることをしていきたいと思い参加した審議会。
参加してみると、多様な立場からの専門家と言っても、わたし以外は、医療者や法医学者として既にACPに取り組む多様な立場からの専門家が集まっていて、専門ガイドラインの文言の精査などから始まって、言葉が難しすぎて最初はついていくのも大変なくらいでした。

そこから今回話題になっているポスターが出るまでのことはFacebookに書いたのでここに共有し、ここで詳しく書くのは省略させてもらいます。

https://www.facebook.com/100001678579162/posts/2546523892080205?d=n&sfns=mo

書いてすぐに反響があり、シェアや、さまざまな立場から真剣に考えてくださったコメントの多さに驚くとともに、感謝しています。

ずっと念願だった厚生労働省と、記者として、また委員として関われるようになって6年が経ちましたが、私がこれまで向き合ってきた厚労省の担当者の方々は皆とても真摯に、本気で社会のことを考えている方々ばかりです。
よく話しても話が通じない、理解し合えないと思った方も、いません。

実際に、「人生会議」という愛称を決めた選考委員会も、厚労省の担当者の方も含めて多方面に思いやり、配慮し、人々が抱えるさまざまな思いを想像する愛に溢れた委員会で、ここに参加させていただけことを誇りに思っていました。

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だから、今回のことでは、世の中への発表前に、ひとことでも、この委員会の誰か一人にでもお知らせくだされば、ポスターの印刷後に配布中止、なんてことにはならなかっただろうと、悔しくて仕方がありません。わたし自身、委員会が終わった後の進捗を確認できていなかったことを大反省しています。

同じインパクトを求めても、大きな修正や撮り直しはできなくても、小籔さんの表情の上に書かれたコピーに手を入れたり、心電図の絵をなくしたりするだけでも、もう少し人生会議の本質を伝えられる内容にしたり、このポスターを見て悲しい気持ちになる人に配慮あるいい形にしたりできる可能性があったと思うからです。

実際にポスターを見て衝撃を受けた後も、他の委員の先生方と、第二弾を打つなどしてこのポスターを活用しながらいい形にもっていける方法はないかと話し合っていた矢先に、ポスター配布中止の一報が入ってきました。

ポスターができたことよりも、できたポスターが配布中止になったことの方がニュースになってしまう悲しい世の中ですが、これを機に、「そもそも人生会議とは何か」「どうして大切なのか」に焦点をあてた報道が増えたり、それぞれが考える「人生会議ポスター案」がSNSに広がっていたりしていて素敵だなと思い、みんなで力を合わせてピンチをチャンスにしていけたらいいなと思います。

ちなみに、ACPの愛称を募集したときも、ロゴを募集したときも、厚労省の担当者の方は、応募してくれる人が少なくて悩んでいました。ロゴの時は特に、少しお金を払ってでもプロにお願いした方がいいのではないか、と私は言いました。でも、予算がないから、また一般の方々に考え参加してもらうきっかけもつくりたいから、とのことで、一般公募を貫かれていました。
そんな中、今回は少し時間が経って予算がついたため広く公募することをせずに吉本興業に事業委託することになったのだと察していますが、人生会議の認知度が上がった今なら、ポスターも、動画も、募集したら応募してくださる方は増えるのではないかと思います。また人生会議には正解も不正解もなく、それぞれのストーリーがあっていいのだとも思い、「人生会議ポスター展」「私の人生会議スピーチ大会」やコンテストなどを開催してみたりするのも素敵かもしれません。

今、私はがんになったときにしていなかったこととして大後悔したことのひとつ、世界一周の旅をしていてインドの寝台列車でこれを書いていますが、世界は広いけれど、日本も広い。
みんなそれぞれが、たくさんの経験や思いを抱えながら生きています。

誰も傷つかない広告やメディアなんてないのかもしれない。でも、さまざまな気持ちに寄り添い、想像力を巡らすことのできる人が増えたら、きっとこの社会はもっと優しくなると信じています。

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